【完結】二人はさよならを知らない

シラハセ カヤ

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あれから三日が過ぎた。

四十九日も終わり、年が明けたことで、
家の中は普段の静けさを取り戻しつつあった。
香代子たちも、これまで慌ただしかった反動で
疲れが出たのか、朝から炬燵に座って
ぼんやりしている時間が増えた。

彰も、長く休んでいた仕事に戻り、
通常運転の生活へと戻りつつあった。
夜勤明けで帰宅し、コンビニで買った弁当を
適当に口に押し込み、煙草を咥えながら
無造作にPCを開く。

プログラムのコードを睨みつけ、
思考を巡らせる時間は、
余計なことを考えなくて済むからちょうどよかった。

けれど。

それでもふとした瞬間に、
あの夜のことを思い出してしまう。

───いや、違う。あの夜「だけ」ではない。

炬燵でうたた寝をする祖母を見たとき、
仕事帰りのコンビニで缶ビールを手に取ったとき、
家の中でふわりと沙耶子の使っていた
シャンプーの香りを感じたとき。

そのどれもが、彼女の姿を思い出させる。

思い返せば、沙耶子は昔からこの家の中で、
当たり前のように傍にいた。

小さかった頃は、母親の背中に隠れて
こちらを覗いていた。
姉の香代子の真似をして、呼び捨てで呼んできて、
生意気だと思ったが、
娘のようで可愛くて仕方なかった。

高校生の頃は、夜遅くに受験勉強をしているのを
見かけたこともあった。
大学に進学し、東京で暮らすようになってからは、
年に数回帰省する程度になったが、
それでも顔を合わせれば、変わらず「彰」と呼んで、
どこか甘えるように笑った。

───それがどうして、あんなことになったのか。

「……はぁ」

溜め息が、煙草の煙とともに
白く空気へと溶けていく。

後悔しているわけではない。

ただ、これまで築いてきた関係を
壊してしまったことへの罪悪感が、
じわじわと沁みついて離れないのだ。

電話をすれば、きっと沙耶子は出るだろう。

「やっぱり、好き」とすがるような目で
訴えてきた彼女の顔を思い出す。

もし、あのとき拒まずに受け入れていたら───
そんな仮定が、一瞬、頭をよぎる。

「……あほか」
口にした言葉は、自分自身に向けたものだった。


過去を振り返るのは性に合わない。
もう、答えは出したはずだった。
沙耶子は、前を向くと決めたのだから、
自分もそうすべきなのだ。

PCの画面に視線を戻し、
再びコードの世界へと意識を沈める。

けれど、心の奥底でざわつき続ける何かを
完全に拭い去ることができないままでいた。





日々の仕事に没頭していれば、
そのうち気持ちも落ち着くと思っていた。
いや、落ち着かせようとした。

だが、そう簡単にはいかないらしい。

沙耶子を見送ってから一週間。

仕事と家の往復を繰り返しながら、
何事もなかったかのように日常を過ごしていた。
職場ではいつも通り後輩の尻拭いをし、
上司の愚痴を聞き流し、淡々とコードを書き続ける。

それなのに───
ふとした瞬間に、沙耶子の姿が浮かぶ。

携帯の着信音が鳴るたびに、
一瞬だけ期待する自分がいる。

煙草に火をつけると、あの夜のことが頭をよぎる。

夜、布団に入ると、
ほんのわずかに彼女の体温を思い出す。

「……くそ」

独り言のように呟いて、煙を深く吸い込んだ。

どうかしている。

こんな気持ちは、久しく忘れていた。

別れた元妻とも
うまくいかなくなった時期があったが、
そのときですら、ここまで
誰かを求めるような感情にはならなかった。

この気持ちがただの執着なのか
何なのかはわからない。

だが、沙耶子のことを考えるたびに、
胸の奥に波紋が広がる。

それだけは確かだった。

その日の夜、酒を飲もうかと冷蔵庫を開けたとき、
不意に携帯が振動した。

画面を見て、息が詰まる。

沙耶子───。

一瞬、出るのをためらった。だが、すぐに指が動く。

「……もしもし」
『……彰?』

久しぶりに聞く沙耶子の声は、
少しだけ緊張しているように感じた。

『今、大丈夫?』
「ああ、なんや」

『……今どこ?』
「家や」

『そっか……』
沙耶子は、少しだけ息をついたようだった。

沈黙が落ちる。

お互い、何を言えばいいのかわからず、
言葉を探しているのが伝わる。

俺は何か話さなければと口を開いた。

「……なんかあったん」
彰も何か落ち着かないと言った様子で
徐に煙草を咥えながらライターに手を伸ばす。

『……会えへん?』

静かな夜に、その言葉は妙に鮮明に響いた。

「なんや、また来てたんか」
『今駅着いた、最終』
予想していなかったわけじゃない。

けれど、いざ沙耶子の口からそれを聞くと、
心臓が大きく跳ねた。

「……ええけど」

気づけば、そう答えていた。

『ほんまに?……そっか』

小さく笑うような声がした。
『迎えきて』

「…まだ俺が酒飲む前で良かったな」

沙耶子のほうからそう言ってくれたことが、
どこか少しだけ嬉しかった。

「……今から行くわ」

『うん』

これでええんか?

頭のどこかで、そう問いかける声がする。

これ以上、深入りすれば後戻りできない。
わかっているのに、俺はもう、
彼女を拒むことができなかった。

煙草に火をつけて車に乗り込み、
ゆっくりと息を吐く。

会えば、きっと、もう終わりだ。

そう思いながらも、
彰は沙耶子を迎えに行くことを選んだ。



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