【完結】二人はさよならを知らない

シラハセ カヤ

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「ばーばのおうち、ついたよー!」

駐車場に車を停めた途端、後部座席の
チャイルドシートから、弾んだ声がする。

「うん、着いたね」

沙耶子は微笑みながらシートベルトを外し、
後ろに回り込む。

「ほら、降りようね」

2歳半になった娘を抱き上げると、彼女はぎゅっと
母親の首に腕を回し、ぴょんと軽く跳ねた。

「ばーばいる? じいじいる?」

「ばーばはいるよ。じいじは……」

言いかけて、沙耶子は言葉を飲み込んだ。
───じいじ、か。

洋介の父は他界していて、
娘にとっての「じいじ」はいない。
でも、夫の実家に行くときは
「じいじ、ばあばの家に行くよ」と言っているので、
彼女は「ばーばがいるなら、じいじもいる」と
思ったのだろう。

沙耶子は曖昧に笑いながら、
母の待つ玄関へ向かった。



「おかえり。あんたも、梨奈りなもよー来たなあ」

玄関の引き戸を開けると、
母がエプロン姿で迎えてくれた。

「ただいま、急に帰るって言ってごめん」

「ええよええよ、孫の顔見せてくれるなら、
 なんぼでも帰ってきてええんやから」

母が孫を抱き上げると、娘は嬉しそうに
「ばーば!」と頬を寄せた。

「お昼ごはん、もうちょいでできるから、
 先に荷物置いてき」

「うん、ありがと」

沙耶子が靴を脱ぎ、娘の靴も揃えていると、
廊下の奥から見慣れた姿が現れた。

───彰。

白いシャツの腕をまくり、
ポケットに手を突っ込んでいる。
その姿を見ただけで、胸の奥がふっと揺れる。

「……おかえり」

「あ、うん」

「洋介くんは」

「…仕事」

沙耶子が短く返すと、
娘が母の腕の中でバタバタと動いた。

「おろして! おろして!」

母が苦笑しながら降ろしてやると、
娘はとことこと小走りになって彰の前に立った。

大きな瞳を上に向け、
興味津々といった様子でじっと見つめる。

「……?」

「じいじやー!」

無邪気な声が、廊下に響いた。

沙耶子の心臓が、一瞬止まる。

───やばっ……

慌てて「違うよ」と言おうとした、その時だった。

「ちゃうで」

低く、静かな声。

娘の頭上から響いたその声に、
沙耶子はぎゅっと手を握る。

娘はぽかんと口を開け、きょとんとしていた。

「え? じいじじゃないの?」

「ちゃう」

「じゃあ……」

娘は少し考えてから、無邪気に笑った。

「おじちゃん?」

「……まあ、そんなとこやな」

彰がそう言うと、娘は納得したのか、
「おじちゃーん!」と嬉しそうに飛び跳ねた。

沙耶子は小さく息を吐き、笑う。

「びっくりした……」

「お前がちゃんと教えとけ」

「ごめん、言うタイミングなくて」

沙耶子は困ったように笑いながら、娘の髪を撫でた。

「ばーばの弟だよ~」
「弟?」

一人っ子の娘には、まだ兄弟が伝わらないみたいだ。

「でも、ちょっと似てるよね、
 口元とか、笑った感じが」

「……」

彰はそれには何も言わず、娘をじっと見つめていた。

沙耶子も、彼を見た。

あの頃と変わらないようで、どこか違う。

でも、何が違うのか——沙耶子には、わからなかった。

「さ、ごはんできたでー!」

母の声に、沈黙が途切れる。

「行こっか」

沙耶子が娘の手を引くと、
「おじちゃんも!」と娘が彰の手を掴んだ。

彼は一瞬戸惑ったように目を伏せたが、

「はいはい」

と言って、小さな手を握り返した。

ほんの一瞬、胸の奥にざわつくものを感じた。

でも、それを振り払うように、沙耶子は笑った。

「さ、行こっか」

それでも、心はざわつき続けた。

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