アドルフの微笑

桜庭かなめ

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第49話『料理は君に任せた』

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 4号室に入った俺は、旅行バッグからTシャツと半ズボンを取り出す。3人の着る制服を見たが、シンプルなデザインのものを持ってきて正解だったな。

「シンプルな感じでいいですね」
「遊びじゃなくてバイトで着るものだからな……って、璃子ちゃん!」

 気付けば、璃子ちゃんが4号室の中に入ってきていた。璃子ちゃんは俺の驚いた声にビックリした様子もなく、明るい笑顔で俺のことを見ている。
 着替えなんてすぐに終わることだからか、部屋の扉の鍵をかけるのを忘れてしまった。

「どうして俺の部屋に入ってきたんだ?」
「着替えを覗かないように、颯人さんのことを見張ってほしいと咲夜さんに言われまして」
「……そうなのか」

 覗かれたくない咲夜の気持ちも分かるが、男子高校生が着替える場に小学生の女の子をいさせてはまずい。中学生の小雪っていう妹がいるから、小学生の璃子ちゃんに着替えを見られても俺は恥ずかしくないけど、璃子ちゃんはどう思うのか分からないし。

「璃子ちゃん。窓から外に出て咲夜達のことを覗こうとしないって約束するから、4号室の扉を出たところで待っていてくれるか?」
「分かりました。……その前に、璃子って呼び捨てで言ってみてくれますか? 颯人さん、声がとても低いので、呼び捨ての方がしっくりくる気がして」
「分かった。……璃子」

 小学生の女の子相手でも、指定された呼び方に変えるとちょっとドキドキしてしまうな。
 璃子ちゃ……璃子は頬をほんのりと赤くしながらはにかみ、

「と、とってもいいですね。気に入りました。クラスメイトの男子にも呼び捨てにする奴がいるんですけど、彼よりもしっくりきますね。あいつ、声高いし……」

 その男子のことを思い出しているのか、璃子は不機嫌そうな様子になる。

「……そうかい。じゃあ、これからは璃子って呼ぶからな」
「はい。颯人さん」

 璃子は嬉しそうな笑顔を浮かべる。そういえば、颯人さんって呼ぶ人が全然いないからか、璃子に颯人さん呼びされるといい気分になるな。璃子の気持ちが少し分かった気がする。

「そういえば、一緒に来たお姉さん達はとても可愛くて、胸も大きいですけど、颯人さんは誰かと恋人として付き合っているんですか?」
「いや、誰とも付き合っていない」

 可愛いって言うのは分かるけれど、どうして胸のことまで言うのだろうか。確かに、3人とも大きいけれど。璃子は胸が大きくなりたいのだろうか。

「へえ、そうなんですか。じゃあ、3人の中で誰が一番好みですか? もしかして、好きな人がいたりしますか?」

 璃子はニヤリと笑みを浮かべながらそう問いかけてくる。こういう話題が好きなお年頃なのかな。

「3人とも素敵な女性だから、いい意味で一番の好みは決められないな。好きな人か……」

 そう呟くと、自然と咲夜と紗衣、麗奈先輩の笑顔が頭に思い浮かんだ。そのことで体がちょっと熱くなった。

「今のところはいない……な」
「ふふっ、分かりました。では、外で待っていますね」

 璃子はそう言うと部屋の外に出て行った。まさか、小学生の女の子にドキドキさせられるとは。もし、紗衣と麗奈先輩が俺に好きだと告白して、ワケありの咲夜も含めてみんなとキスしたことがあることを知られたら、色んなことを訊かれそうだ。
 持参した半ズボンと青いTシャツに着替えて、俺は4号室を出る。そこにいるのは夏実さんと璃子だけで、咲夜達はまだ出てきていなかった。

「おっ、神楽君。いい感じの服を持ってきたじゃない」
「よく似合っていますよ、颯人さん!」
「ありがとうございます。バイトですから、できるだけシンプルなものを持ってきました。こんな感じの服装なら大丈夫ですか?」
「OKだよ。うちで働いている人だって分かるように、この名札を左胸に付けてね」
「はい」

 夏実さんから『神楽』と手書きされた名札を受け取り、俺はそれを左胸のところに付けた。一気にスタッフになった感じがするな。

「春奈や紗衣ちゃんの話だと、神楽君は料理がとても上手なんだってね」
「料理やスイーツ作りがとても好きで。自分で言うのもアレですけど、この見た目ですから、接客ではなく料理や食器洗いなどの担当をしたいなと思いまして」
「なるほどね、分かった。まあ、私や璃子は大丈夫だけど、その姿を見て恐いっていうお客さんはいるかもしれないね。……ごめんなさい」

 気まずそうな様子で夏実さんは俺に頭を下げた。

「いえいえ、気にしないでください。地元では恐がられたり、怯えられたりする方が普通ですから。初対面で普通に話してくれる方が珍しいくらいです。特に璃子のような年下の子は」
「ふふっ、確かに目つきは恐いですけど、すぐに優しそうな人だって分かりましたよ。それに、ワイルドな感じがしてあたし的には好みです」

 璃子はとても可愛らしい笑みを浮かべながらそう言ってくれる。この笑顔を見る限り、お世辞ではなく本音で言っているのだろう。小雪みたいで可愛いな。なので、思わず彼女の頭を優しく撫でてしまう。

「ふふっ、友達の多い璃子だけど、ここまで早く仲良くなるなんて。しかも、4歳も年上の男の子に。……そうだ、神楽君。料理担当希望だから、後でうちの人気メニューの1つの焼きそばを作ってもらうよ。その出来によって料理担当にするか、それ以外の仕事をしてもらうか決めるから。金銭が絡む商品を作ってもらうわけだからさ」
「分かりました」

 無料ならともかく、お客様からお金を出してもらうんだもんな。なので、それだけの責任も発生してくる。どのくらいの腕前なのかテストをするのは当然だろう。

「お待たせしました」

 紗衣の声が聞こえたので、5号室の扉の方を見ると、5号室から海の家の制服姿になった紗衣、咲夜、麗奈先輩が出てきた。

「おっ、3人とも用意した制服を着ることができたね。よしよし」
「みなさんとっても似合っていますよ! 颯人さんもそう思いませんか?」
「ああ。みんなよく似合っていますね。爽やかな感じがしていいと思います」
「ありがとう、はやちゃん」
「颯人や璃子ちゃんに似合っているって言われて嬉しいね」
「制服を着るとスタッフになったって感じがするよね」

 3人は照れた様子でそう言う。
 この3人が接客をすれば、お客さんもたくさん入ってくるんじゃないだろうか。
 可愛らしい咲夜、凜々しい紗衣、落ち着いたお嬢様系の麗奈先輩。3人の姿を見ると、俺って魅力的な女の子と一緒にいるんだなと改めて思う。

「ふふっ、青春ね。さあ、3人も名札を付けて」
『はーい』

 3人は夏実さんから渡された名札を左胸のところに付ける。
 その後、せっかく来てくれたのだからとバイトの服装になった俺達のことを、夏実さんと璃子がスマホで撮影した。

「海の家は今、宿の関係者と、昼過ぎまでバイトをしてくれる大学生の子がやってくれているよ。お昼を過ぎたら、スタッフは宿に、バイトの子は帰っちゃうから、君達4人と璃子でやってもらうことになります。もちろん、私もいるから安心してね。神楽君は料理担当を希望しているけれど、3人はどうかな。もし、料理を担当したいなら、一度、どのくらいの腕前なのか確認したいんだけど」
「あ、あたしは料理があまり得意じゃないので、接客や食器洗いを頑張ります!」
「私も料理は好きですけど、はやちゃんの隣に立ったらドキドキしてまともにできなくなりそうなので、私も接客などをやりたいと思います」
「私は颯人ほどじゃないですけど、料理やスイーツ作りも好きです。ただ、ピュアスイートでのバイトは接客が中心なので、そちらの方もやれると思います」
「分かった。じゃあ、咲夜ちゃんと麗奈ちゃんは接客担当で決まりね。料理の腕前次第で、神楽君と紗衣ちゃんのどちらかが料理担当をしてもらおうかな。璃子はみんなのお手伝いね」
「はーい」
「じゃあ、神楽君と紗衣ちゃんは旅館のキッチンの方に行きましょうか。さっそく焼きそばを作って、腕前を確かめさせて。璃子、咲夜ちゃんと麗奈ちゃんを従業員用の休憩室に連れて行ってあげて。そこで挨拶の練習や、どんなメニューがあるのか教えてね」
「うん!」

 俺と紗衣は夏実さんについて行く形で、旅館のキッチンへと向かう。
 キッチンに行くと、板前の方なのか3人の従業員がいた。その中の1人である黒い短髪の男性がこちらにやってくる。

「夏実、こちらの2人が海の家の?」
「ええ、そうよ。料理担当に相応しいかどうか、焼きそばを作って確かめてもらうの。みんなのお昼ご飯にしようとも思ってる。残りの2人は璃子と一緒に、従業員用の休憩室にいるわ」
「そうか。初めまして、夏実の夫の海野保仁《うみのやすひと》といいます。今回は急なことにも関わらず、海の家のバイトとして来てくださってありがとうございます」

 とても真面目で穏やかそうな人だな。あと、俺のことを見ても驚いたり、怯えたりする様子もないし。このお二人からなら、璃子のような娘さんが産まれるのは納得かな。

「初めまして、神楽颯人と言います。よろしくお願いします」
「天野紗衣です。よろしくお願いします」
「2人とも、よろしくお願いします。私は番頭という立場上、海の家に行く機会はほとんどありませんが、何かあったら遠慮なく言ってください。夏実、残りの2人にも挨拶しに言ってくるよ」
「ええ」

 保仁さんは俺達に頭を下げてキッチンを出て行った。

「素敵な旦那さんですね」
「でしょう、紗衣ちゃん。では、2人にはここで焼きそばを作ってもらいます。レシピがあるからこの通りに作ってね。さっき言ったように、私達のお昼ご飯でもあるから」
「分かりました」
「お互いに美味しい焼きそばを作ろうね、颯人」
「ああ。どんな名目でも料理をすることに変わりないからな」

 それに、これがお昼ご飯になるんだ。できるだけ美味しく作りたい。
 俺はレシピを確認して、紗衣の隣でソース焼きそばを作り始める。
 多少、使う具材やその切り方が違うだけで、叶と再会した日に作った焼きそばと似ているな。これまでにたくさん作ってきた焼きそばだけあってか、とっても楽しいな。
 たまに隣で料理をする紗衣のことを見るけど、彼女も楽しそうだ。ただ、俺と視線が合うとちょっと恥ずかしそうにしていた。
 その後も、ケガなどのトラブルもなく、俺と紗衣は焼きそばを完成させた。

「完成しました!」
「……完成です」
「おおっ、2人とも美味しそうに作ったね。じゃあ、休憩室に持っていこうか」

 俺と紗衣はソース焼きそばをよそったお皿を持って、夏実さんについていく形で従業員用の休憩室に向かう。すると、咲夜と麗奈先輩、璃子はテーブルの上にある紙を眺めていた。メニュー表なのかな。

「3人とも、お待たせ。お昼時だから、腕前を確かめるのを兼ねて、神楽君と紗衣ちゃんにみんなの分のソース焼きそばを作ってもらったよ。海の家のレシピでね」
「うわあっ、美味しそう! 2人とも上手ですね!」
「颯人君のソース焼きそばはこの前食べたけど美味しかったな。紗衣ちゃんのも美味しそう」
「はやちゃんの作った料理を食べることができるなんて。夢みたいだよ。もちろん、紗衣ちゃんのも!」

 3人ともそれぞれの焼きそばを見て、いい笑顔を浮かべているな。特に咲夜と麗奈先輩は。電車の中でお菓子は食べたけど、3時間以上の移動だったからお腹も空いたのだろう。俺もお腹が空いた。
 その後、6人でソース焼きそばを食べる。
 みんな美味しそうに食べてくれて嬉しいけれど、テストも兼ねているから緊張するな。それは紗衣も同じようだった。
 さすが、紗衣の作った焼きそばは美味しいな。自分の作った焼きそばも美味しくできているとは思うけれど。

「神楽君。紗衣ちゃん。2人とも合格だよ。2人ならお客様に大丈夫な料理やスイーツを提供できると思う。神楽君は特に上手だね。うちの板前見習いとして雇いたいくらいだよ」
「ありがとうございます」
「良かったね、颯人」
「紗衣もな」

 合格だと言われたからか、紗衣はいつも以上に嬉しそうな笑みを浮かべている。俺も安心した。
 咲夜と麗奈先輩、璃子は俺達に向けて右手でサムズアップした。

「ふふっ、いい腕前を持つ子が2人いることが分かって嬉しいよ。自己申告したこともあって、神楽君には基本的にキッチンで料理やスイーツ作りをしてもらうね。神楽君の休憩時には紗衣ちゃんや私がキッチンに立つことにしよう。紗衣ちゃんは接客担当をメインにお願いするね」
「分かりました」
「俺も料理担当頑張ります」
「うん。みんな、今日の午後から明後日まで海の家をよろしくね! そのためにも、まずはこの焼きそばを残さずに食べましょう!」
『はーい!』

 咲夜、麗奈先輩、璃子はもちろんのこと、紗衣も珍しく元気に返事をした。
 料理担当を無事に出来ることになって安心したからか、さっきよりも自分の焼きそばが美味しく感じるのであった。
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