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第一章

イデア②

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 今日こそは絶対に負けないんだから!!
 夕陽はF35Bのキャノピーを下ろすと、目の前で発進の指示を待っている僚機を睨みつけた。
 そのコクピットに座っているのは上官であり、ちゃらんぽらんな彼氏。いや、もう彼氏と呼んでいいのかすら夕陽には分からない。
 だいたいあたしのこと本当に大切に想ってくれてるんなら、あんなとこであんなことする!?
〝さっきはすまなかった! まさか「こんごう」のワッチにお前のパンツ見られてたなんて気づかなかった!〟
だからそうじゃないって! ……ってか何だそりゃ!? ワッチがあたしのパンツ!? ちくしょう「こんごう」め、沈めてやる……って違う! 悪いのは全部敏生じゃない!!
〝絶対に許さないから!〟
〝ゆうひ~~~~~~~!!〟
 泣きそうな顔で自分の足元にひざまずき、許しを乞うてくる空自最強のパイロット。
 ちくしょう、何でこんなやつを可愛いと思っちゃうんだあたしは。
〝……仕方ないわね。じゃあ午後の訓練、あたしに勝ったら許してあげる。敵機を多くロックオンした方が勝ちよ〟
 彼の圧倒的な実力は分かってる。こちらが不利なことも。でも無条件で彼の胸に飛び込むことなんかできない。女の意地ってやつだ。だが、彼の反応は、喜ぶと思っていた彼女の予想とは全く異なるものだった。
〝夕陽、それは……〟
 そう呟いて絶句した彼の表情に息をのむ。
 何で? あんたに圧倒的に有利な条件を提示してやったのに、何でそんな顔すんのよ?
〝分かった……〟
 そう言って自分のもとから立ち去る寂し気な背中。
 あいつ……、もしかしてあたしとなんかじゃ勝負にならないって考えてるわけ? 何でわざわざそんな面倒くさいことって?
 だとしたら……馬鹿にしてんじゃないわよ!!
 門真機の吸気ダクトカバーが開き、アフターバーナーが焚かれると、彼の機体はあっという間に「いずも」を発艦していった。
 STOVLタイプ(短距離離陸・垂直着陸)のF35Bは機体を急激に射出するカタパルトが不要なので、その発艦に派手さはない。
 夕陽は甲板員の合図で愛機を前進させると、スタート地点に着いた。
 発進OKのハンドシグナル。
 吸気ダクトカバーを開いてリフトファンを起動し、回転ノズルを斜め下に向けると夕陽は親指を立て、甲板員に敬礼した。それを受けた甲板員はその場で身体を深く沈めると甲板の先を指差す。
 GO!!
 フルスロットル。
 アフターバーナーを焚き、一気に加速するとF35Bが勢いよく「いずも」を飛び出した。
 ハイレートクライム急角度上昇―――――
 満載排水量二六、〇〇〇トンの巨大な「いずも」があっという間に水面に浮かぶ木の葉と化す。
 一気に高度三六、〇〇〇フィートまで駆け上がると、一足先に上空で待機していた編隊長の敏生と合流した。
「イデア、しばらくこの場で戦闘空中哨戒CAPだ。警戒を怠るな」
 インカムから流れてくる彼の指示。
「了解」
 喧嘩中の恋人とはいえ任務中は上官だ。私情は挟まず素直に指示に従う。「いずも」の遥か上空を大きく旋回しながら一〇分ほど経過した頃、動きがあった。
「ガイア、レーダーに反応。IFF反応なし。数・八。敵機と判断」
 レーダーに映る敵機に動きはない。それはそうだろう。ファーストルック・ファーストキルを目的に開発された最新鋭のステルス戦闘機。本日の演習相手であるF15Jが同じタイミングでこちらを見つけられるわけがなかった。
「ガイア了解。こっちも確認した。ロックオン」
「了解。ロックオン」
 ヘルメットのバイザーに映し出される複数の目標を同時にロックオンする。僚機同士はデータリンクされているので敏生と夕陽が同じ目標を追尾することはない。
「ガイア、フォックスワン」
「イデア、フォックスワン」
 フォックスワンとは中距離のレーダーホーミングミサイルを発射した際の隠語であるが、もちろん演習なので本当に撃つことはない。F35Bが積むAAM4ミサイルは一〇〇キロメートルの射程をマッハ四で飛翔し、その高機動性は狙った獲物を逃がすことはない。 
 ゆえに実際の戦闘であればこの時点でほぼ終了、那覇から飛び立った八機のF15Jは全滅ということになる。
 もっともこれが訓練である以上、今頃、遥か彼方ではロックオンされたF15Jがフレアを放ち回避機動をとっているはずだ。実戦での生き残りに一縷の望みをかけて。

           *

 F35Bによるアウトレンジからの攻撃とF15Jの回避機動の演習が終わると、次は空中戦闘機動演習に移る。いわゆるドッグファイトだ。
 ファーストルック・ファーストキルを身上とするF35Bではあるが、専守防衛を旨とする自衛隊においては先制攻撃は許されない。戦端が開かれる場合は必ず相手の攻撃があってからだ。
 よってF35Bといえど緒戦ではそのステルス性は全く意味をなさず、ドッグファイトが必要となる。
 回避機動訓練を終えた八機のF15Jがこちらに向かってくる。一方のこちらは二機。すれ違った瞬間からドッグファイト開始だ。
 今日こそあんたに勝つわよ―――――
 夕陽は、二時方向の少し上を飛ぶ編隊長の門真機を睨みつける。
 レーダーに映るBlip(ブリップ、輝点)が迫ってきた。もう少しだ。前方に複数の点が現れたと思った瞬間、それは一気に膨らむと物凄い衝撃波を残して次々と後方へ抜けていった。
「イデア!! ブレイク!!」
「ラジャー!!」
 二機は散開すると背後に回った敵機を追う。
 ドッグファイトという言葉は、相手の背後に回り込んでロックオンを狙うその様子が尻尾を取り合う犬同士の喧嘩に似ている事に由来するが、F35の登場はそのドッグファイトの概念すらも変えてしまった。
 まず、この機体には映画「トップガン」でその存在を知られるようになったヘッドアップディスプレイ式の照準器がない。それはフォックスワンの時と同様にパイロットの被るヘルメットのバイザーに映し出される。そしてそれが意味することは―――――
「ロックオン、ユーアーキル」
 F35Bとのすれ違いざまにかかった、女性の声による無慈悲な撃墜宣告にイーグルドライバーががっくりと肩を落とす。
 そう、F35Bはパイロットが敵機を視認するだけで全方位ロックオンが可能なのだ。必ずしも相手の背後に回り込む必要はない。そしてF35の積む短距離ミサイルAAM5はオフボアサイト攻撃(前だけでなく、横や後ろへの攻撃)を可能としていた。
 まずは一機!
 そして返す刀で斜め上を見る。
 よし、二機目!
 夕陽に撃墜されたF15Jが次々と戦闘空域を離脱していく。肝心の門真機の姿はどこにも見当たらない。そうこうしているうちに夕陽が四機目をロックオンした。
 あと一機、あと一機で敏生に勝てる!
 急旋回で敵機を追う。
 そのライトニングの鋭い動きに自身の体重の七倍のGがかかり、耐Gスーツが血液の降下によるブラックアウト失神を防ぐため、圧搾空気を送り込み下半身を強烈に締め上げる。
 いた! 五機目―――――!!
「ロックオン!!」
 勝った、敏生に―――――
 その後、すかさず六機目も墜とした夕陽の機の横に、いつの間にか門真機が並んでいた。
「よくやった、イデア。訓練終了だ。帰投する」
 取り立てて抑揚のない、編隊長としての事務的な声。
 初めて彼に勝った高揚感の中、それがどことなく気になった。

           *

 基地に帰投し、機を降りると夕陽は敏生を見つけて駆け寄った。
「あたしの勝ちよね」
 腰に手を当て、わざとらしく胸を張る。
「ああ……」
 敏生は全く興味なさそうに頷くと、夕陽の方を振り向きもせずさっさと行ってしまった。
 え……? 敏生、怒ってる……? 何? 何でよ? 初めてあたしに負けたからって、まさか逆ギレ!?
 憤然としてその場に立ち尽くしていると、
「どうしたんだよ? イデア」
 と、背後から声がかかった。振り返ると、TACネーム「アッシュ」こと刑部が笑いながら歩み寄ってくるところだった。夕陽達と入れ替わりでこれから訓練に入る予定のはずだ。
「何でもないですよーだ」
 夕陽は敏生の防大一期上であるこの刑部という男が苦手だった。全てを見透かしたような鋭くも冷ややかな視線。「いずも」転属前は小松基地に所属し、「G空域の悪夢」と呼ばれた、やはりかなり腕の立つ男。
「何、お前らまだ喧嘩してんの? やつには早く仲直りしろって言ったんだがな。まあ、処女くせえガキはそう簡単に歩み寄らんか」
「あたしはちゃんと歩み寄りましたっ! てか、誰が処女くさいガキよ!?」
 夕陽がプクッと膨れると、刑部が楽しそうに声を上げて笑った。
「歩み寄ったって、どんな風に?」
「今日の演習、ロックオン数であたしに勝ったら許してあげるって」
 その夕陽の言葉に刑部の表情から笑みが消えた。
「お前、マジでそれ言ったの?」
「えっ?」
 言葉の意味が分からず、夕陽はキョトンと刑部を見つめた。
「仮にも編隊長のあいつが僚機のお前を見捨てて単独行動なんかできるわけないだろ。その上、昔の仲間達を相手に撃墜を競い合うなんざ……、例え訓練であっても仲間想いのあいつからしたら耐えられないだろうな」
 それはガツンと頭を殴られたような衝撃。出撃前の敏生との会話、そして彼の寂しそうな表情がフラッシュバックする。
 正直、頭に血が上って彼に勝つことしか考えていなかった。それ以外は何も考えられなかった。ドッグファイトの間、彼はどんな思いで自分の愚かな行為を見つめていたのだろう? 編隊長として、自分の死角で恐らくひたすらフォローに徹しながら。
「ゲームじゃないんだぜ? 神月」
 刑部は夕陽の肩をポン、と叩くと愛機の下へ立ち去っていった。さっきまで勝ち誇っていた自分に対して、腹立たしさと恥ずかしさが一気に込み上げてくる。
 あたし……最低だ……。
 夕陽は天を仰ぐと、敏生が消えた艦橋の扉を見つめた。
 追いかけなくっちゃ……。でも、敏生に何て言ったら……。
 しばらくの間、夕陽はその場で逡巡していたが、キュッと唇を噛み締めると彼の後を追って駆け出した。
 きちんと謝ろう、彼に対して。そして今日、自分が墜とした仲間達に対してはせめて心の中で。たとえ彼が許してくれなくても。
 真っ青な南の空を、何も知らないカモメ達が鳴き声を響かせながら通り過ぎていった。
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