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第八章

お願い、神様④

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 夜であっても「いずも」の飛行甲板は慌ただしかった。昼間の騒ぎもあり、中国の潜水艦による奇襲を警戒してSH60Jシーホークが交代で闇夜の中を発艦して行く。
 もっとも、中国は「いずも」をはじめとする海自の対潜能力を極度に怖れていたので、彼らが自ら近づいてくることはなく、どちらかと言うとその役割は空母「遼寧」などの水上艦を日本の潜水艦から守ることだった。
 刑部はそんな様子を眺めながら艦橋の陰に座り込むと、胸ポケットからスマホを取り出した。
 もちろん、電波など届かない。画面をタッチすると、やはり敏生と同じように撮りためた写真を開く。にっこりと笑う妻と娘のベストショット。その二人の顔をそっと撫でる。
 温もりなどない、硬く無機質な画面。
 死ぬことなど怖れてはいない。戦闘機パイロットの道を選んだ時から常に死とは隣り合わせだ。だが、これまで自分が死んだ後のことは考えたこともなかった。
 もし、自分が死んだら妻と娘はどうなるのだろう。この笑顔が失われるのだろうか。それともこの笑顔が他の誰かに。
「クックック……」
 無性におかしくなった。柄にもなく、何かに怯えている自分が滑稽で仕方なかった。笑いながら夜空を見上げると、視界を横切る一筋の光。それは、これまでの人生で初めて見る流れ星。
 ああそうさ。たぶん明日俺は死ぬ。今さら生きて帰れるなんて思っちゃいないさ。だからせめて、それがどんな形であれ、妻と娘を幸せにしてやってくれないか。あんたがもし神様なら。
 刑部は柄にもなく零れそうになる涙をグッとこらえると、満天の星空に祈りを捧げるようにそっと目を瞑った。


 夕陽は敏生の部屋を出ると、後ろ手にドアを閉めた。
 身体中に残る愛しい彼の感触。下腹にそっと手を当て、目を閉じる。奥深くに残る熱は彼の印を受け止めた証。あらゆる禁を破り動物的な本能で彼を求めてしまったが、後悔など微塵もなかった。
「積もる話は済んだのか?」
 ビクッとして横を見ると、いつものニヒルな表情で刑部が立っていた。
 夕陽は慌てて乱れた胸元を抑え、刑部の邪魔にならないようドアから離れる。
「あ、その…ありがとう」
 多分、彼には全てお見通しだろう。
「俺が一人になりたかっただけだ」
 刑部はさして興味もなさそうに答えると、夕陽の横を通り過ぎドアノブに手をかける。
 その様子に夕陽はホッと息をつくと、ゆっくりと歩き出した。
「神月」
 そのまま部屋に入ると思っていた刑部に声をかけられ、驚いて振り向く。
「May God bless you」
 刑部は手元に視線を落としたままそう言うと、ドアを開け部屋に入っていった。
 夕陽は呆気に取られ、しばらくその場に立ち尽くした。いつも自分のことをお子ちゃまと馬鹿にしていた先輩パイロットからの、思いがけない言葉。
 英語だったのはニヒルな彼の照れ隠しゆえだろうか。
 もしかして、この土壇場であたしのこと認めてくれたのかな……?
 夕陽はクスッと笑うと、足早に女性居住区へと戻っていった。


 刑部が部屋に入ると、敏生はベッドの上で下着姿のまま胡座をかき、難しい表情をしていた。
「何だよ、やることやって現実に引き戻されたか?」
 刑部が椅子に腰かけながら敏生をからかう。
「そんなんじゃねぇよ」
 敏生は不貞腐れたようにそっぽを向いたが、やがて刑部の方に向き直ると遠慮がちに口を開いた。
「なあ」
「何だよ?」
「ライトニングで出撃するのと〝いずも〟に残るの、どっちが安全だと思う?」
「はぁ?」
 訝しげな表情で刑部が敏生を見る。
「あ、いや、例えばの話だよ」
「何を言い出すのかと思えば……。そりゃあ、〝いずも〟だろ」
「やっぱり?」
「当たり前だ。イージス艦を核とした鉄壁の防空網と、〝いずも〟を中心とした隙のない対潜網。ミサイルが命中したとしてもこの巨体はすぐには沈まん。一方、俺らのライトニングはミサイル一発でお陀仏だ。アドバンテージのはずのファーストキルも、専守防衛ではたちまち混戦になって意味を成さん」
「……だよな」
「今さら何だよ? まさか明日お腹が痛いとか言ってここに残るつもりか?」
「馬鹿にすんな」
 敏生はベッドから這い出すと幹部作業着を着始めた。
「今度はこっちから出向くのか? 光源氏さんよ、もうたいがいにしとけって」
「ばーか。そんなんじゃねえよ。散歩だ散歩」
 刑部の冷やかしに敏生が悪態をつく。
「刑部。……いや、先輩」
 敏生に突然、出会い立ての頃の呼び名で呼び直され、刑部は面喰った。防大時代、一緒にナンパ目的でクラブ通いをしていた時に、女の子の前で〝先輩〟と呼ばれると具合が悪いので無理矢理呼び捨てに矯正させたのだが、その時以来だ。
「いろいろ…ありがとうな」
「……何だよ、気持ち悪いな」
「人の気持ちは素直に受け取っとけ!」
 敏生はむくれると、バンッと乱暴に扉を閉めて部屋を出ていった。それは明らかな照れ隠しだった。
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