月夜の遭遇

馬場 蓮実

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9月11日(日) 

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 本日、雨。味気のない灰白の天井含め私の視界に映るもの全てが無慈悲に思える。
今日の天気なんて、もはや気にしても仕方がない。私は約束を破った。昨日から頭を駆けるのはそのことばかり。……夜空くん、今頃怒ってるかな——。
 二度目の賭けには勝てなかった。二度目こそ、私は私の身体を信じていたのだけれど、やっぱりこの世界ってそう甘くはない。こうなるとむしろ、最初から負けで良かったのに……いや、今一度目を勝ちだと思ってしまっている時点で、ある意味私はあの日夜空くんと遭遇した瞬間に負けていたんだ。
 一昨年の夏に癌が発覚して、私は着々と準備を始めた。この世界に未練を残さないように。人生に勝ち負けがあるとすれば、それは生きた長さじゃない。死ぬ直前に「あー愉しかった」と思えるかどうかだ。当然、早死にするつもりでいた訳でもないし、だからこそ私は変わらず勉強も続けた。なんなら、病室に居る今だって手元には参考書がある。今時癌は治らない病気じゃないし、その通り去年の春には手術治療も成功した。不自然な肺の痛みで気付いた肝臓癌は、私が山育ちだから早期発見できたのかもしれない。
 でも、こうなってはやはり油断しなくて良かったと思う。
『癌は転移する』
 この残酷な事象がゼロではないことを、頭の片隅に置いたまま私は過ごし、今年の春、それは肺で見つかった。
 覚悟しているつもりではいたのに、私はその時初めて涙を流した。私はわがままなんだ。友達とは全力で楽しみたい。だって、私が死ぬ時私は悲しくないんだもん。悲しんでくれるのは友達だけ。でも、逆に男友達は一切作らないようにしていた。もし、もし好きな人でもできようものなら……私はきっと、この世界に未練を残す。もっとその人と一緒に過ごしたいと思ってしまう。そんな身勝手な性格だから今ベッドに寝てるのかもね。
 どちらにせよ、もう彼と逢うことはないだろう。この肺の腫瘍が消えたとて、昨日の約束は私から破ったんだ。来年はもう何処で何してるのかも分からないし、万が一逢えたとしても、一生転移の可能性がある私なんか——
 コンコンッ
「美月ちゃん?」
 病室のドアから、高一以来お世話になっている看護師さんが顔を覗かせる。
「はーい」
「あ、起きてた。ご家族の方が来られてるけど、今大丈夫?」
 そういえば、大学入試の過去問をお母さんに頼んでいたんだ。私はコクっと頷く。
「......もうすぐ面会時間終わるから、あまり長くならないようにね」
 ニコッとしてドアを閉める看護師さんに対して、私は小さな『?』を頭に浮かべながらまた頭を動かした。



「美月ー、赤本持ってきたぞー」


 窓の外の冴えない夕方の景色を眺めていた私は、続いて左側から聞こえてきたその違和感を違和感として気付けないまま、ドアの方を向く。

「お父さんが持って……えっ!?」

「よっ、美月」

「夜空……くん!?」

 遅れて、不可思議だった看護師さんの言動が結びついた。
 大きい紙袋を持って入ってきたのは、お母さんでもお父さんでもない。正真正銘、本物の桜井夜空くんだった。
 あまりの衝撃に、私は自分のパジャマ姿に恥ずかしさを覚える余裕すらなく、口をあんぐりと開けるばかり。
「な、なんで!?」
「フフッ。秘密」
「ぇえ!?」
「ハハハ!にしても、田舎も案外良いとこあるな。人が優しい」

 私はまだ、これが現実なのか判断できないでいる。もしかして私、今夢を見てる?それとも実はもう……いや流石にまだ死ぬ程重症化はしてなかったはずだけど——。
 でも、この際なんでもいい。何故だか分からないけど、また夜空くんと会えた。初めて陽の下で相対することへの羞恥が無くもないけど、今はそんなの気にしてられない。
「正直、昨日来なかったからさ、美月はもう彼氏作ったんだと思ったよ」
 夜空くんは、サイドテーブルに荷物を置きベッドに腰掛け窓の外を見上げる。
「彼氏……作るわけ、ないじゃん」
「逆の立場だったら、どう思う?」
「んー……夜空くん彼女できたかーって思う」
「いや無茶苦茶じゃねーかよ」
 明るい窓辺で笑うその表情は、私にはあまりにも眩しい。眩しすぎて、ついつい私も笑ってしまう。
「ネタバラシは……来年の月夜にしようか」
「それ、私の現状知ってて言ってる?」
「当たり前よ。だから今死ねない理由を作ろうとしてんの」
「……もしかして夜空くんSですか?」
「ハハハ!否定はしない」
 そう言うと、夜空くんは立ち上がり、紙袋から別の小さな紙袋を取り出した。見た瞬間にそれは赤本じゃないことは分かる。日常の味から、思い出の味に変わりつつあるものだ。
「美月も食うか?」
「ホントSだね。食べれないの分かってるでしょ?」
「ふっふっ。じゃあこれも来年にお預けだな」
「......やっぱり一口ちょうだい」
「えー?仕方ねえ一口だけだぞ?」
「……ちょっとそれバンズだけじゃん!」
 久しぶりに、心の底から笑っている気がする。過去に二度しか会ったことのない夜空くんが、今自然に接してくれる唯一の相手になるなんて。関係が浅いからそうなのか、敢えて自然体を装っているのか、これが素なのか、流石にそこまではまだ分からない。でも、浅いままでいたからこそ、私は今笑えているんだと思う。もしそうじゃなければ、きっと苦しんでいる。まだ死にたくないって——。
 それから十分程度、私たちは他愛もない話をした。夜空くんが、バーガーとポテトを食べ終わるまでの間。私は美味しそうにそれを見つめることしかできないけど、それでよかった。面会時間ギリギリで訪れた夜空くんが、少しの長居を許されたのはそれのおかげだから。
「さて」
 食べ終わると、夜空くんは紙ナプキンを一枚だけ手に取り、ゆっくりと立ち上がる。
「ちょっと真面目な話になるんだけどさ」
 そう言いながら、紙袋からペンを取り出し、一瞬何かをメモしたように見えた。
「正直なところ、俺には分からないんだ」
 再び夜空くんの視線が私に移る。
 鼻から吸う空気と共に肩が上がり、唇にわずかな力を込め、口角を引き上げる。その表情は、苦悩に満ちていて、でもそれを私に見せまいと堪えている様だ。
「……なにが?」
「今更だけどさ、あの場所以外で……でこうやって会うことが果たして良かったのかどうか」
 ベッド横の丸椅子に腰掛けると、初めて見る真剣な表情で、私の手を取る。
「あの場所での、一時の特別な思い出にしておく方が美月にとっては良かったのかなー、とか……色々考えたんだ。ここに来る直前まで。でも結局、今日は勝てなかった。そんな理屈云々よりも、俺は自分の我儘を通しちまった。あれで最後にはしたくなかった」
「…………」
「だから、今度こそ俺はまた来年、あの日あの時間あの場所で美月を待つ。……その時に教えてくれ」
 温かい両手が、私の手からゆっくりと離れていく。不意に流れそうになった涙を必死に堪えて、私は小さく頷いた。
「あ、でも。もし……その間に辛いこととかあったら、いつでも言えよ。間違っても、黙って死ぬとか無しだから」
 私は、今できる精一杯の笑顔で応えた。
「……ふふっ。じゃあ『これから逝きまーす』って連絡するね」
「ハハハッ!それ聞いて安心した」
今度はバッと立ち上がり「また、来年」と拳を突き出す彼に合わせて、私も拳を預ける。

 次にその拳が離れたとき、彼は一昨年のように颯爽と姿を消した。

 静寂に包まれた個室は、数十分前と何も変わらない退屈な空間へと戻った。

 今目の前で起こっていたことは、本当に現実だったのか?でも、それの答えはこの手の中にある。この、丁寧に折り畳まれた一枚に——。
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