夜桜の下でまた逢う日まで

馬場 蓮実

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第2章 佐野家

旧佐野家

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 公園の角を曲がり、ブランコの裏側を通過する。入口側以外は周りを木が覆っているから、ここから公園の様子はイマイチ分かりにくい。それでも、すぐそばにある桜の木が煌々としている様は感じ取れる。木々の間から差し込むその光が足元を淡い色で満たし、徐々に狭くなっていく路地に道標を与える。

 その道の途中、曲がってからおよそ百メートル弱歩いたところで、少し先を行くトシは無情にも進路を左に変えた。着々と危惧していた場所へと向かうトシの後ろ姿は軽やかで、その姿に引っ張られる俺の脚はいよいよ重たくなる。

「なるほど、こりゃ突っ切れないわけだ」

 何かを察したようにサクラが呟く。その視線の先に目を凝らすと、似たような二階建ての造りの家々から一転、公園の様に周囲を木々で覆う平屋が見えた。

「アンタ、なんか顔色悪くない?」

 言われた瞬間、ハッと我に帰る。今俺がどんな表情をしていたのかは自分でも分からない。意図せず口が開いていたのは気付いたけど、どうやら俺は、顔色を変えるほど実はショックを受けているらしい。でも、この場においては「大丈夫」と返すしかなかった。

「着いたぞ!ここが、旧我が家じゃ!」

 閑静な住宅街の中に突如として現れた豪邸。その豪邸を囲む木々は公園よりも整然としていて、緑の壁のように狭い間隔で植えられている。門の隣には、風格と歴史を感じさせる『佐野』の表札。

「ここが……」

 奥の方で光る暖色の位置、目指した方角、歩いた距離——


 残念ながら、間違いない。ここは今……あのマンションが建っている場所だ。


「こっちの方がよっぽど良いじゃん。住むなら私こっちだなあ」

「分かってねえのぉアネキよ。こういう古屋は里帰りで泊まるくらいが丁度えんじゃ」

「中坊のくせにジジイみたいなこと言って」

 古めかしくも立派な木製の門をくぐると、外界と切り離すかのように独特の雰囲気が周囲を包む。緑の壁の内側に広がる古風な世界観……右側には枯山水、左側には手入れの行き届いた芝生、松の木が悠々と伸び、奥には乾いた池と対を成すように本物の池が小さく佇む。遮光の木々により半減した光が照らす世界故に、より一層幻想的に見えているのかもしれない。

 門から真っ直ぐ伸びる石畳を越えると、ウチの倍はありそうな大きさの玄関が待ち構えていた。昔ながらの、立派な引き戸だ。トシは「お邪魔しやーす」と半分畏まりつつガラガラと大きな音を立てて戸を開ける。

「凄ーい!なんか箱根の旅館みたい」

「おまん行ったことあるんかよ」

 電気は当然の如く点かないものの、広縁から差し込む微光が広い玄関土間を薄らと照らす。間取り図を見て俺も旅館みたいだと思ったけど、サクラの今の発言は多分、この雰囲気と目の前に置かれた木彫りの衝立を見てのことだろう。こういうのって何故か虎とか鳥に竹のイメージなんだけど、これは多分……桜の枝と、川かな?

「これな、裏に詩みたいなもんが書かれてあるんじゃ」

 じっと見つめる俺に反応したのか、トシが衝立をポンと叩き裏を覗く。

「詩?有名な人の?」

「いや、わいも爺さんに聞いたけど知らんらしくてのう。ひい爺さんかもな」

「何て書いてあるわけ?」

「覚えとらんわいそんなもん」

「はあ?何それ気になるじゃん。ちょっと裏っ返して」

「アネキよ、これ見た目以上に重たいんじゃが……」

「だからあんたらに頼んでんのよ」

「「…………」」

 サクラの要望により(何故か俺も巻き添えをくらい)、トシと二人で息を合わせて衝立を反転させる。
 確かに見た目以上に重たいのは間違いない。でも幸い、ワックスをかけたようにツルツルな床のおかげでそこまで重労働にはならなかった。
 
 というか……トシはボロ屋と言っていたものの、庭やこの玄関を見る限り十分手入れは行き届いている。築年数は相当なんだろうけど、リフォームすればいいだけの話じゃないのか?全室を見て回れば考えも変わるのかもしれないが……。

「んー、絶妙に文字が小さくて暗くて読めないわ」

 衝立の裏は表と一転して彫刻の類は一切無く、床同様ツルツルの質感で、どうやら左上に文字らしきものが書かれているのまでは分かる。

「これでどうじゃ?」

 機転を利かせトシが再び玄関の戸を開けると、月明かりのような柔らかい光がギリギリサクラの背中に届いた。

「ナイス!ええっとぉ……」


 避けるように左にずれると、焦茶色の木目に黒黒しい文字が浮かび上がる。その文字を解釈するようにサクラはほんの少しの間沈黙し、そしてゆっくりと詠んだ。


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