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第3章 過去と未来
未練
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「ああ、流石鋭いのう」
お爺さんは立ち上がり、ゆっくり伸びをしてみせる。
「ちょっとした未練があってのう。最後の時間旅行をしているところだ」
「未練……?」
「これも詳しくは話せないがな。なに、お前たちが気にすることはない。今までの話で察しがつくだろうが、未来と違って過去を知ることは問題ない。知ったところで過去は過去。変えることはできん。それに……」
桃色の夜空を見上げ、儚くもはっきりと言い放った。
「儂はここで生涯を終えるつもりじゃ」
さらっと言い放ったその言葉の意味をイマイチ咀嚼しきれず、俺は頭に『?』が浮かんだ。
ここで生涯を終える——。
こことは、この異世界のこと?
つまり、ここで、残りの人生を過ごす……と?
ポカンとする俺を他所目に、サクラは勢いよく立ち上がった。
「どういうこと?」
「そのまんまの意味じゃ。現実にはもう戻らん。……いや、『戻れない』と言った方が正しいかもしれんな」
戻れない……?
「……日誌に書いてないんじゃが、この旅には大きなリスクが二つある。一つは、片方の世界に居る間、もう片方の記憶が曖昧になること。時代が遠ければ遠いほどその傾向がある。もう一つは、この世界で時間跨ぎをすると、跨ぐ前の記憶が薄れること。これも同様に、遠ければ遠いほど。そして、跨げば跨ぐほど、じゃ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ——!」
いきなり重要な情報が多すぎる。一つ目はつまり、この異世界にいる間は現実世界の記憶が曖昧になりやすいってことで……わざわざ『片方』と表現したってことは、もし現実に帰ったらここでの記憶がまた曖昧になる、と?
もう一つの『時間跨ぎ』とは何だ?時間を跨ぐ……跨ぐ……あ、この異世界に居る状態で、別の時代に飛ぶってことか!?……いや、そんなことできるのか?
「つまり、あなたは今、記憶が薄れて現実に戻る方法が分からないってこと?」
「まあ、そんなところじゃ」
「いや、でも、さっきお爺さん知ってる口ぶりじゃなかったか?」
「ふふ……厳密に言うと戻る方法は分かる。が、肝心なのはそこじゃない」
どういうことだ……?さっぱりわからない。
「なるほど」
「いや分かったんかい」
「でも、それなら見過ごすわけにはいかないわ。あなたが帰らないとまた未来が変わる可能性あるじゃない」
「……安心せい。儂の後はもう十分育っておる。儂が老衰で死のうが意識不明のまま死のうが、それは些末な問題に過ぎん」
今サラッと言ったけど、こっちに居る間、現実の自分は意識不明ってことになるのか?寝てる状態と意識不明はだいぶ意味合いが変わってくるぞ……俺が発見されて今頃大騒ぎになっていないといいが。
サクラは、何処か納得がいかない様子で悩ましげに溜息を漏らす。
「その口調だと、仮に戻れるとしても戻る気ないわよね?」
「……察しが良くて助かる。先も言ったが、まだ未練が残っていてな」
「だから、その未練ってなんだ——」
と、その時。遠くの方から「ハルー!サクラー!」という声が聞こえてきた。この声は、今度こそ間違いなくトシだ。
それに反応してか、桃色の夜空を眺めていたお爺さんは「おっと」と我に返ったように視線を俺たちに戻す。
「語れないと言いっておきながら、ついつい喋り過ぎた。過去の人間に会うのは流石にマズいのでな、話はここまでじゃ」
お爺さんは後を振り向き、そのままゆっくりと歩き始めた。夜空が照らす空間から身を隠すように、庭の奥へと進んで行く。
「待って!一つだけ教えて」
サクラが小さい声で叫んだ。
「あの倉庫に鍵を掛けたのは、あなた?」
お爺さんは、しばらくその返答を濁した。無言で、何処へ繋がっているのかも分からない庭の奥へとただ歩き続けた。そして——
「お前たちが本当に帰る定めならば、その答えはきっと分かるはずじゃ」
その一言を最後に、お爺さんは完全に俺たちの視界から消えた。
「……なるほどねえ」
親指を唇に当て何か思い耽る様子のサクラ。
俺はその横顔を、ポカンと口を開けたまま、ぼんやりと眺めることしかできなかった。俺には何が『なるほど』なのか、全然理解できない。一体あの会話のどの部分で何を導き出そうとしているのか。つい最近まで勉強していた入試の論説文なんかよりよっぽど難解。だからこそ、今目の前にいるこの『お姉さん』が、凄く逞しく見える。
「とりあえず、追うか?」
「いや、下手に追ってトシが接触するのはマズい気がする。いい?お爺さんの話は一旦無かったことにするわよ」
「お、おお……?」
どうやら、サクラなりの本能的な危機管理が働いたのだろう。俺の取捨選択と多分同じ。ならばそれは、きっと正しい判断だ。
「こんなところにおったか!まったく、探したぞ」
声が聞こえてから三、四分が経ったころ、池側から回ってきたトシがようやく姿を現した。よく考えたら返事をしてないってのもあるけど、半周するのに数分かかるってのがこの家の広さをまた物語っている。
「和室は何も無かったから、ハルと庭の探索してたわ。そっちは何か見つかった?」
「おお!実はのう、鍵は無かったんじゃが、すげーもん見つけたぞ!」
そう言ってトシは、何やら手に持っていた厚紙のようなものを俺たちの前に広げた。
「こ、これ……」
俺は、思わず息を呑んだ。それは、現実に戻るにはさほど必要のない情報かもしれない。けれど、俺たちの状況を理解するには一番必要な情報だ。
「カレンダーじゃ!わいも見た時はびっくりしたぞ!腰抜けるかと思ったわ」
それは、ありふれたA3サイズのマンスリーカレンダー。日本の何処かの写真が大きく写り、その下にやや大きく
『4月』という表記。そして、その右端——。
お爺さんは立ち上がり、ゆっくり伸びをしてみせる。
「ちょっとした未練があってのう。最後の時間旅行をしているところだ」
「未練……?」
「これも詳しくは話せないがな。なに、お前たちが気にすることはない。今までの話で察しがつくだろうが、未来と違って過去を知ることは問題ない。知ったところで過去は過去。変えることはできん。それに……」
桃色の夜空を見上げ、儚くもはっきりと言い放った。
「儂はここで生涯を終えるつもりじゃ」
さらっと言い放ったその言葉の意味をイマイチ咀嚼しきれず、俺は頭に『?』が浮かんだ。
ここで生涯を終える——。
こことは、この異世界のこと?
つまり、ここで、残りの人生を過ごす……と?
ポカンとする俺を他所目に、サクラは勢いよく立ち上がった。
「どういうこと?」
「そのまんまの意味じゃ。現実にはもう戻らん。……いや、『戻れない』と言った方が正しいかもしれんな」
戻れない……?
「……日誌に書いてないんじゃが、この旅には大きなリスクが二つある。一つは、片方の世界に居る間、もう片方の記憶が曖昧になること。時代が遠ければ遠いほどその傾向がある。もう一つは、この世界で時間跨ぎをすると、跨ぐ前の記憶が薄れること。これも同様に、遠ければ遠いほど。そして、跨げば跨ぐほど、じゃ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ——!」
いきなり重要な情報が多すぎる。一つ目はつまり、この異世界にいる間は現実世界の記憶が曖昧になりやすいってことで……わざわざ『片方』と表現したってことは、もし現実に帰ったらここでの記憶がまた曖昧になる、と?
もう一つの『時間跨ぎ』とは何だ?時間を跨ぐ……跨ぐ……あ、この異世界に居る状態で、別の時代に飛ぶってことか!?……いや、そんなことできるのか?
「つまり、あなたは今、記憶が薄れて現実に戻る方法が分からないってこと?」
「まあ、そんなところじゃ」
「いや、でも、さっきお爺さん知ってる口ぶりじゃなかったか?」
「ふふ……厳密に言うと戻る方法は分かる。が、肝心なのはそこじゃない」
どういうことだ……?さっぱりわからない。
「なるほど」
「いや分かったんかい」
「でも、それなら見過ごすわけにはいかないわ。あなたが帰らないとまた未来が変わる可能性あるじゃない」
「……安心せい。儂の後はもう十分育っておる。儂が老衰で死のうが意識不明のまま死のうが、それは些末な問題に過ぎん」
今サラッと言ったけど、こっちに居る間、現実の自分は意識不明ってことになるのか?寝てる状態と意識不明はだいぶ意味合いが変わってくるぞ……俺が発見されて今頃大騒ぎになっていないといいが。
サクラは、何処か納得がいかない様子で悩ましげに溜息を漏らす。
「その口調だと、仮に戻れるとしても戻る気ないわよね?」
「……察しが良くて助かる。先も言ったが、まだ未練が残っていてな」
「だから、その未練ってなんだ——」
と、その時。遠くの方から「ハルー!サクラー!」という声が聞こえてきた。この声は、今度こそ間違いなくトシだ。
それに反応してか、桃色の夜空を眺めていたお爺さんは「おっと」と我に返ったように視線を俺たちに戻す。
「語れないと言いっておきながら、ついつい喋り過ぎた。過去の人間に会うのは流石にマズいのでな、話はここまでじゃ」
お爺さんは後を振り向き、そのままゆっくりと歩き始めた。夜空が照らす空間から身を隠すように、庭の奥へと進んで行く。
「待って!一つだけ教えて」
サクラが小さい声で叫んだ。
「あの倉庫に鍵を掛けたのは、あなた?」
お爺さんは、しばらくその返答を濁した。無言で、何処へ繋がっているのかも分からない庭の奥へとただ歩き続けた。そして——
「お前たちが本当に帰る定めならば、その答えはきっと分かるはずじゃ」
その一言を最後に、お爺さんは完全に俺たちの視界から消えた。
「……なるほどねえ」
親指を唇に当て何か思い耽る様子のサクラ。
俺はその横顔を、ポカンと口を開けたまま、ぼんやりと眺めることしかできなかった。俺には何が『なるほど』なのか、全然理解できない。一体あの会話のどの部分で何を導き出そうとしているのか。つい最近まで勉強していた入試の論説文なんかよりよっぽど難解。だからこそ、今目の前にいるこの『お姉さん』が、凄く逞しく見える。
「とりあえず、追うか?」
「いや、下手に追ってトシが接触するのはマズい気がする。いい?お爺さんの話は一旦無かったことにするわよ」
「お、おお……?」
どうやら、サクラなりの本能的な危機管理が働いたのだろう。俺の取捨選択と多分同じ。ならばそれは、きっと正しい判断だ。
「こんなところにおったか!まったく、探したぞ」
声が聞こえてから三、四分が経ったころ、池側から回ってきたトシがようやく姿を現した。よく考えたら返事をしてないってのもあるけど、半周するのに数分かかるってのがこの家の広さをまた物語っている。
「和室は何も無かったから、ハルと庭の探索してたわ。そっちは何か見つかった?」
「おお!実はのう、鍵は無かったんじゃが、すげーもん見つけたぞ!」
そう言ってトシは、何やら手に持っていた厚紙のようなものを俺たちの前に広げた。
「こ、これ……」
俺は、思わず息を呑んだ。それは、現実に戻るにはさほど必要のない情報かもしれない。けれど、俺たちの状況を理解するには一番必要な情報だ。
「カレンダーじゃ!わいも見た時はびっくりしたぞ!腰抜けるかと思ったわ」
それは、ありふれたA3サイズのマンスリーカレンダー。日本の何処かの写真が大きく写り、その下にやや大きく
『4月』という表記。そして、その右端——。
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