190 / 605
第2章
87.聖威師の滞留書
しおりを挟む
◆◆◆
吹きすさぶ風に、絹糸のような金髪が踊っている。
大神官室の窓を開け放ち、フルードはぼんやりと空を見上げていた。
「パパさん、ここで何をしているんだ」
涼やかな声と共に、フロースが転移で姿を現した。
「体を休めないと。今日は仕事は無いんだろう?」
「はい。昨夜緊急の神鎮めが入ったので、振り替えで本日が休みになりました」
「なら邸に戻るか、仮眠を取った方が良い」
「少し前までは横になっていたのだがね、眠れないと言って起き出してしまったのだよ」
フルードの側で、窓辺にもたれていたラミルファがやれやれと呟く。
「パパさんは寝付きが悪いのかな。私はいくらでも眠れるのだけど、愛し子を得てからは眠気が吹っ飛んでしまった。不思議だ」
「ふふ、時空神様も同じことを言っていたよ。愛し子の力は偉大だ」
「やはり考察しがいがある。私はこれからどう変わっていくのかな。自分のどこが、どういう風に、どのくらい変わるのか。検証するのが楽しみだ」
「もう変わっているじゃないか。引き篭もりだった君が外に出て、リーリアとデートしたのだよ。水神様も感無量だろう」
「それもそうか。……ねえパパさん、私はレアナとずっと一緒にいたい」
微かに色付いた双眸に見つめられ、フルードは穏和に返す。
「泡神様とリーリアは主神と愛し子になられたのですから。これからはずっとご一緒ですよ」
「だけど、特別降臨は有期限だ。いずれはレアナを置いて天に還らないといけなくなる」
「リーリアが寿命を終えて昇天するまでのご辛抱です。それに、少し間を置けば再降臨することも可能でしょう」
「僅かな期間でも愛し子を手放したくないんだ」
きっと、フレイムも同様に思っているだろう。このままずっとアマーリエの隣にいられれば良いのに、と。
「いや、レアナだけじゃない。パパさんとも、アマーリエとも、他の聖威師たちとも離れたくない。もっと言えば、天と地に分かれて在る現状自体がもう嫌だ」
淡々と言の葉を紡ぐフロースを囲むように、神威の泡がコポコポと漂う。
「天の神々もそう思っている。これ以上、同胞と離れていたくないって。特に、聖威師たちの主神はどれだけ苦悩し煩悶していることか」
「泡神様――」
「パパさん、滞留書を出してくれないか」
「聖威師の滞留書……僕たちにとって最も忌まわしいものの一つだ」
黙り込んだフルードの耳に、邪神の軽快な笑い声が滑り込んだ。
「地上にいる聖威師は、人間としての寿命が来るまで下界に留まることができる。だが、何もしないで無条件に許されるわけではない。一定期間ごとに、神々が定めた所定の滞留書に自身の名を署名する必要がある」
「うん。署名の更新を忘れれば、あるいは滞留書が破損すれば、その時点で寿命が残っていても強制昇天になる。今は大神官か神官長が、聖威師全員分の署名をまとめてしているんだよね」
太古の昔からそのような決まりがあったわけではない。正確に言えば原型のようなものがあるにはあったが、もっと曖昧で緩いものだった。
このように厳格化されたのは、聖威師が今の形で地上に留まることになった時――つまり帝国と皇国が創建され、聖威師が神官府の長になると決まった時だ。その後も、幾多の協議と紆余曲折を経て多少の変更や修正が追加されていき、現在の形になった。
なお、滞留書に署名をしなくても良い例外も一応はある。神に喚ばれて天に召されている期間などは、署名無しでも許容されるのだ。だが、そういった特例を除けば、更新は必須だ。
「私は穏便に済ませたいんだよ。聖威師たちの命を無理矢理奪うことはしたくない。滞留書を破棄できれば一番良いと思ってるんだ」
フロースが一歩前に出た。フルードは表情を崩さず、見守るラミルファはニヤニヤしたまま動かない。
「滞留書は、天界の原紙と地上の複製の二通。複製に署名すれば原紙にも同じ内容が反映される。複製は、パパさんとママさん、当真と恵奈が一年交代で管理しているはずだ。今はパパさんが持っている」
なお、アリステルは復讐を終えればさっさと昇天する予定だったため、複製の管理には携わっていない。スラリと細い指が、フルードの胸を指した。神の眼に光が閃く。
「滞留書は管理者が肌身離さず持っている。パパさんの懐にあるんだろう。天界にある原紙は厳重に保管されているから、破り棄てられるなら複製の方だ」
そこまで言った泡の神は、ふぅと溜め息を吐いた。
「繰り返すけど、私は本当に手荒なことをしたくないし、するつもりもないんだ。――だから圧をかけないでくれないか、焔神様」
吹きすさぶ風に、絹糸のような金髪が踊っている。
大神官室の窓を開け放ち、フルードはぼんやりと空を見上げていた。
「パパさん、ここで何をしているんだ」
涼やかな声と共に、フロースが転移で姿を現した。
「体を休めないと。今日は仕事は無いんだろう?」
「はい。昨夜緊急の神鎮めが入ったので、振り替えで本日が休みになりました」
「なら邸に戻るか、仮眠を取った方が良い」
「少し前までは横になっていたのだがね、眠れないと言って起き出してしまったのだよ」
フルードの側で、窓辺にもたれていたラミルファがやれやれと呟く。
「パパさんは寝付きが悪いのかな。私はいくらでも眠れるのだけど、愛し子を得てからは眠気が吹っ飛んでしまった。不思議だ」
「ふふ、時空神様も同じことを言っていたよ。愛し子の力は偉大だ」
「やはり考察しがいがある。私はこれからどう変わっていくのかな。自分のどこが、どういう風に、どのくらい変わるのか。検証するのが楽しみだ」
「もう変わっているじゃないか。引き篭もりだった君が外に出て、リーリアとデートしたのだよ。水神様も感無量だろう」
「それもそうか。……ねえパパさん、私はレアナとずっと一緒にいたい」
微かに色付いた双眸に見つめられ、フルードは穏和に返す。
「泡神様とリーリアは主神と愛し子になられたのですから。これからはずっとご一緒ですよ」
「だけど、特別降臨は有期限だ。いずれはレアナを置いて天に還らないといけなくなる」
「リーリアが寿命を終えて昇天するまでのご辛抱です。それに、少し間を置けば再降臨することも可能でしょう」
「僅かな期間でも愛し子を手放したくないんだ」
きっと、フレイムも同様に思っているだろう。このままずっとアマーリエの隣にいられれば良いのに、と。
「いや、レアナだけじゃない。パパさんとも、アマーリエとも、他の聖威師たちとも離れたくない。もっと言えば、天と地に分かれて在る現状自体がもう嫌だ」
淡々と言の葉を紡ぐフロースを囲むように、神威の泡がコポコポと漂う。
「天の神々もそう思っている。これ以上、同胞と離れていたくないって。特に、聖威師たちの主神はどれだけ苦悩し煩悶していることか」
「泡神様――」
「パパさん、滞留書を出してくれないか」
「聖威師の滞留書……僕たちにとって最も忌まわしいものの一つだ」
黙り込んだフルードの耳に、邪神の軽快な笑い声が滑り込んだ。
「地上にいる聖威師は、人間としての寿命が来るまで下界に留まることができる。だが、何もしないで無条件に許されるわけではない。一定期間ごとに、神々が定めた所定の滞留書に自身の名を署名する必要がある」
「うん。署名の更新を忘れれば、あるいは滞留書が破損すれば、その時点で寿命が残っていても強制昇天になる。今は大神官か神官長が、聖威師全員分の署名をまとめてしているんだよね」
太古の昔からそのような決まりがあったわけではない。正確に言えば原型のようなものがあるにはあったが、もっと曖昧で緩いものだった。
このように厳格化されたのは、聖威師が今の形で地上に留まることになった時――つまり帝国と皇国が創建され、聖威師が神官府の長になると決まった時だ。その後も、幾多の協議と紆余曲折を経て多少の変更や修正が追加されていき、現在の形になった。
なお、滞留書に署名をしなくても良い例外も一応はある。神に喚ばれて天に召されている期間などは、署名無しでも許容されるのだ。だが、そういった特例を除けば、更新は必須だ。
「私は穏便に済ませたいんだよ。聖威師たちの命を無理矢理奪うことはしたくない。滞留書を破棄できれば一番良いと思ってるんだ」
フロースが一歩前に出た。フルードは表情を崩さず、見守るラミルファはニヤニヤしたまま動かない。
「滞留書は、天界の原紙と地上の複製の二通。複製に署名すれば原紙にも同じ内容が反映される。複製は、パパさんとママさん、当真と恵奈が一年交代で管理しているはずだ。今はパパさんが持っている」
なお、アリステルは復讐を終えればさっさと昇天する予定だったため、複製の管理には携わっていない。スラリと細い指が、フルードの胸を指した。神の眼に光が閃く。
「滞留書は管理者が肌身離さず持っている。パパさんの懐にあるんだろう。天界にある原紙は厳重に保管されているから、破り棄てられるなら複製の方だ」
そこまで言った泡の神は、ふぅと溜め息を吐いた。
「繰り返すけど、私は本当に手荒なことをしたくないし、するつもりもないんだ。――だから圧をかけないでくれないか、焔神様」
14
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について
いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。
実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。
ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。
誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。
「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」
彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。
現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。
それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
悪女の針仕事〜そのほころび、見逃しません!〜
陰陽@4作品商業化(コミカライズ他)
ファンタジー
公爵令嬢として生まれながら、子ども時代からメイドや周囲の陰謀で、次々と濡れ衣を着せられ、「悪女」扱いされてきたミリアム。
第3王子との婚約を聖女に奪われ、聖女への嫌がらせの冤罪で国外追放された後、平民として生き延びる中で、何度も5年前へのロールバック(逆行)を繰り返すことに。
生計をたてる為に、追放後の平民生活で極めた針仕事が、ロールバックが繰り返されることで、針仕事の能力だけは引き継がれ、天才的な実力を手に入れる。
その時女神「アテナ」の加護を得て、2つの力を手にすることに。
「加護縫い」
(縫った布に強力な祝福を込められる)
「嘘のほころびを見抜く力」
(相手の嘘を布のほころびとして視覚的に捉え、引き抜く、または繕うことで、真実を暴いたり修正したりする)
を手にしたミリアムは、5歳の幼女時代まで遡り、2つの力で悪評をぬりかえ、仲違いしていた家族も、加護の力を与えることで協力な味方へと変貌。
さらに、女神から可愛いしもべ「アリアドネ」を授かり、元婚約者と聖女にザマァを狙う中、加護縫いの能力が最も高い人間を王太子妃に迎える決まりのある大国、ルーパート王国の王太子が近付いて来て……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる