最後の魔導師

蓮生

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1章 出会い

苦しみ

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 沢で早朝からサフィラスと話し込んでいたニゲルは、一度家に帰らなければならなかった。
 もう朝ごはんの時間が過ぎているかもしれない、そんな予感がするほど、辺りの朝もやは晴れて、太陽は遠くの木々の間から顔をのぞかせ始めていた。まぶしいような朝日に照らされ、ニゲルの頬や金色の髪も明るさを増して、まるでツヤツヤとした飴細工の様に輝いている。

 結局朝ごはんは食べないと言ったサフィラスに手を振って別れた後、これからのことに胸をどきどきと高鳴らせ、何の変哲へんてつもなかったヤブにかこまれたこの山道を、希望に満ちた足取りで、いつもと違う高揚感こうようかんに弾む気持ちいっぱいでニゲルは家に向かって歩いていた。

 
 しかし、遠くに洞穴が見え始めた時、異変に気づいた。
 
 洞穴の前で、見慣れない人が一人、辺りを見回しながら立っている。
 まるで今から洞穴に入ろうかとしているようにも見えるしぐさ。
 その後姿が、ニゲルのいる場所から見えたのだ。

(だれ……?)

 見たことがない服を着ている。
 猟師のおじさん達ではない。この辺りに住む人たちでもない。そんな直感が働いた。

(どうしよう…)
 立ち止まって、近くの木に身を寄せると、その人を陰からそっと覗き見た。
 猟師のおじさん達なら、山に入る為に草木と同じ色をした分厚い上着とズボン、そして、毛皮で出来た帽子なんかを被っている。ずんぐりとした熊のような恰好だから、突然山から下りてくる姿を見れば、熊だと思ってびっくりする人もいるくらいだ。
 しかしその人は、全くといっていいほど違う格好をしている。身軽で、木の上にでも飛べそうな、薄い黒いシャツと黒いズボン。それも、畑仕事をしたり、家畜の世話をするような服ではなく、騎士が履くような長い革靴まで履いている。

 そしてその大きな体の背中に、肩から腰まで伸びた剣が背負われているのが、ありありと見えた。
 そうしてあっと思う間もなく、その剣を背中からさやごと降ろし、左手に握ったかと思うと、洞穴にかがむようにして一歩踏み出したのである。

 洞穴の中には、アーラとマリウスがいる。
 ニゲルは咄嗟とっさに、叫んだ。

「だれ!!?」

 バッとこちらを振り向いた男は、木の陰にたたずむニゲルの姿をすぐに認め、驚いた顔をした。
 しかしすぐに向きを変え、こちらに向かって物凄いスピードで駆けはじめた。

 何も考える間もなく、ニゲルは来た道を戻った。
 後ろを息を切らしながら振り向くと、恐ろしい形相で、男はニゲルをにらんで迫っている。
(ひっ…)

 そこからは無我夢中むがむちゅうだった。
 がむしゃらに走る。

(サフィラス…!サフィラス!)

 途中、やぶに身体を突っ込んで道を外れ、沢を一直線に目指す。
 男が後ろから迫る音に、ニゲルの呼吸は苦しくなった。どんどん近くなってくる。
「はあっ、はあッ」
 頬や手や腕、足には、次々に枝やとげが当たり、痛みに思わず顔をしかめるが、決して足を止めなかった。
「はッ、はあッはあッ…助けて…助けて!」

 サフィラスに助けを求めなければ。
 間もなく昇り斜面に差し掛かっていたが、必死に手足を動かして、前に前にと、積もった落ち葉を蹴る。

「おい小僧ッ!!」

「うわあ!」

 ぐっと、強く左手首を引かれ、左側にある木に身体ごと思いっきりぶつかる。
「うぅっ!」

(いた、い…)
 幹に頬を打ち付け、頭がくらりとした。

 体がかしいだ瞬間、胸ぐらをつかまれ、足が地面から浮き上がる。
「…やめ、て…」

 頬がジンジンと熱い。
 必死に自分をつかんでいる手を払いのけようと、その手を握りしめた。

「お前があそこに住んでいる子供だな!?」
「ううッ!はなして…!」
男はギョロリとした大きな目を見開き、その血走った目でにらみ、すくみ上る程低い声でニゲルをおどした。
「…答えないなら今すぐ死んでもらうぞ」
「ううッ…あぁ!」
 胸ぐらをつかんでいた手で、男はニゲルを地面に向かってぶんっと放り投げた。
 草むらにドンッと背中から落ちると、あまりの痛みに目から涙が浮かんだ。
「いたい…やめてよ…やめて…」
 一体何がどうなっているのかわからない。でも、ここで抵抗したとして、果たしてそれは正しい選択なのか正解なのか、ニゲルには分からなかった。
「……」
 冷え切った氷のような目で見降ろす恐ろしい男の顔は、苛立ちと侮蔑ぶべつの混じったほの暗い笑みを浮かべていた。
「答えないつもりなら仕方がない」
 そういい、手にしていた鞘に納められていた剣を、右手ですらりと抜いた。
 金属の擦れる、嫌な音が耳に響く。

 恐ろしさで、思うように声が出ない。しかしニゲルは震える吐息といきでお母さん、とつぶやいていた。
体を丸め、頭を抱え、ぽろぽろと止まらない涙にぬれるまぶたを閉じ、アーラとマリウス、そして最後に、サフィラスを思い浮かべた。




「その子から離れろ」


 突然、思い浮かべた人の声がして、ニゲルはハッとまぶたを上げた。

 声に反応した男が驚いてニゲルから飛び離れる。

「…はっ…探したぞ。この…ろくでなし!」

 木々の間から急に現れた魔導師に、その男はひどい言葉で剣を突き付けた。
「突然監視の目をくぐって消えたかと思えばこんな場所にいたとはな…!それもこんな小僧と一緒とは!」
「……」
 サフィラスはまるで男が目に入っていないかのようにそばを通り過ぎると、地べたにうずくまるニゲルの傍までけ寄り、ひざをついてそっと抱き寄せた。
「遅くなってすまない…」
 その声を聴いた途端とたん、張りつめていたものが一気にはじけた。
「サフィラス…!!サフィラス…!」
 大粒の涙が滝のように両目から流れて、あふれ出る嗚咽おえつを押さえることも出来ず、その優しい両腕にしがみついた。
「もう大丈夫だ。お前をこんなに怖がらせたこの男は、私が退治しよう」
 ぎゅっと、ニゲルを抱きしめるサフィラス。打ち付けたまろいほおをさすり、優しく撫でてくれる。その腕をおもわず強く握りしめる。

 途端、場違いな程大きな笑い声が辺りに響いた。
 気が狂ったかのようにその男が笑い始めたのだ。

「ははははは!…正義の騎士のつもりか!?人でなしのくせに!まあ、どうせあと少しで地獄行きだ。それまで俺が、逃げないように見張っていてやろうと思ってな…お前を!」
 そうして忌々しげに剣で空気を薙ぐと、サフィラスのこめかみに剣先を突き付けた。
 つうっと、一筋の血が、サフィラスの綺麗な瞳を包む目尻の脇を通り過ぎて、あごまで落ちていく。
 ニゲルは思わずやめて!と叫んだが、男はニゲルをかばうサフィラスの腕を今度は思いっきり革靴で蹴った。
「……ッ」
「サフィラス!!」
「ははは!いい気味だ」
 男は腹を抱えて笑い始めた。

「やめて!やめてよ…!」
 もう涙でサフィラスの顔もあやふやだったが、ニゲルは精一杯叫んだ。

 そのとき、耳元でサフィラスがささやいた。
「…ニゲル、走ってうちまで帰るんだ。きょうだいが危ない。今日はもうここに来るんじゃない」
 そうして、ぐっと身体を引き離すと、おもむろに立ち上がった。

「…私を追いかけてくるとは、よっぽど私の事が好きなようだ」

「…なんだと?」

 ニゲルが見たこともないような冷めた目で相手を見据みすえると、サフィラスは抑揚よくようのない声で言い放った。
「50日は私の自由が認められているはず。…であれば、覚悟するんだな」

 サフィラスはニゲルを立ち上がらせると、背中を強く押し、山道の方へ押し返した。
 見上げると、早く行きなさい、そう目が訴えている。
 その怖い視線に後ずさると、ニゲルは揺れる瞳でサフィラスに頷いた。

「おいおい、付近の農家に聞いたが、その小僧はお前の息子なのか?」
「…いいや、宿を探していてたまたま小屋を借りただけだ」
 そんな言葉が聞こえて一度振り返ったが、ニゲルはサフィラスの大丈夫だという頷きを信じることにした。
 そして、アーラとマリウスの元に急いだ。
 



 
 
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