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第3章 エイレン城への道
夜のニス湖⑤ 魔導師と城主
しおりを挟む「ニゲルッ!どこだ!!返事をしろッ!!」
ゆるく結んでいたひもの結び目が、細身だがしっかりとした背中で揺れるたびに、解けた髪の毛の束がすらりと伸びた鼻梁やほおをかすめていた。けれどサフィラスはそんなことなど構いもせずに、一心不乱に髪を振り乱し叫んでいた。
(なんてばかなことをッ!)
アランと城の兵士が集まり、沢山の松明で照らされる水辺に立ち、サフィラスは声の限り呼び続けている。
身を切るような水の冷たさに浸かった足が、想像するのも恐ろしい予感を駆り立てていた。
攻撃を止めて天守から駆け下り、水際門まで息せき切って来たサフィラスは、緊迫した表情のアランから、脱ぎすてられた靴と服を渡され、嗚呼…と何かを乞うような嘆きを、震える声でつぶやいた。
***
その場にいた皆が異変に気付いたのは、もてなしを受けるサフィラスを残し、ニゲルが部屋に戻ってしばらくした時の事である。
城主であり一級の騎士でもあるアレンの向かいで笑いながらワインを飲んでいたサフィラスの顔は、そのわずかな異変を察知した途端、誰が見てもわかるほどに一瞬で凍り付いた。
その手に持つ杯が固い石の床に滑り落ちた音が、カンカンカン…と騒がしかった広間に広がり、それに気づいた多くの者が城主の旧来の友であるサフィラスを訝しげに振り返った。
当然、目の前の彼の異様な白い面と、小さく震える唇、空を彷徨う指先をみて、アランも言葉がすぐには出なかった。それほど突然の事であった。
ほんのわずかな静寂がながれ、そしてガタンと座っていた椅子から急に立ち上がった魔導師を皆が見つめる中、彼は床に倒れた椅子になど目もくれずに大広間の湖に面した窓まで大股で近づくと、遮光布を勢いよく手ではね、くらやみの広がる外に目を走らせた。
そして数人が同じようにしておそるおそる他の窓に近づいて外をのぞき込んだ瞬間、場違いな形相でアランを振り返り、脅迫めいた態度で凄んだ。
「天守の使用許可をッ!!」
——なにをいっているのか…。
半ばあきれ気味で、ほろ酔い気分の顔を赤らめた騎士たちが、魔導師に困惑の視線を寄越した次の瞬間、しかし彼が目を見開いて叫んだ言葉に、その場の全員が息をのんだのだった。
「湖を見てください!!竜ですッッ!!!」
その時すでに、カチカチカチ…と器同士が机の上でぶつかり合って奏でる小さな音はあちらこちらで始まっていた。
床が、ゆれている。
飛び出る様に大広間を後にしたアランとサフィラスは、何が起きているのか…湖の全容を確認すべく、城内で最も高い建物である天守へ真っ先に向かった。
そこにはすでに状況を知らせる伝令役はおらず、見張りの歩哨が10名ほど集まっており、息をのんだ緊張した表情で湖を見つめている。
地震か?
そんな空気が流れていたが、サフィラスだけは大きな気配をすでに感じ取っていた。
(なにをするつもりなんだ…)
得体のしれぬ大きな不安が押し寄せようとしていたこの時、大地を揺らすような、かなり大きな、強いうなり声が湖の方から聞こえた。
いや、実際に建物の足場は振動し、細かく揺れていた。
動揺を走らせ互いに顔を見合わせる見張り達の間で、サフィラスだけは、何が起こるのか、全神経を耳や目、指の先まで集中させていた。
そして大勢の期待を裏切る様に、大きな湖面からはザアァ―ッという水の流れと謎の激しいしぶきが聞こえ、今度は湖の上空から巨大な咆哮が辺り一帯にとどろいた。
ハッと、声に吊られる様にして湖の中ほどを振り返ったサフィラスは、今も止まない声の発生場所を定めると暗闇を見つめて息をのんだ。
「何が起こったんだ!?おいッ、何が見える!?」
アランは一点を凝視しているサフィラスに怒鳴る様に声をかけたが、かれがそれに答えることはなかった。
正確に言えば、サフィラスの耳にはそんな言葉は聞こえていなかった。
かれが見ていたのは、湖の、その冷たく暗い水の中に、ニゲルのイウラの腕輪があって、ここからでもはっきりとわかるほど、赤い光を放って水面を照らし、必死に持ち主の命をつなぎとめている…ただそれだけだった。
どう考えても、ニゲルが水の中に沈んでいることは明らかであった。
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