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3章
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基本が油断のならないスパイで、その上失礼だが、忌々しいことにこの男には、大らかなやさしさと、同情ではなく人に寄り添うあたたかさがその芯に根付いている。そう思わせる素直な労りの気配とラテン気質――一度心を許せば、他国人であろうと家族として扱う懐の深さを、志貴は不思議に思った。
二人の出会いは仕事がきっかけで、今日に至るまでその付き合いも仕事上に限られている。しかもテオバルドはスパイ、人の裏をかく職業だ。互いに心を許す相手ではなく、事実志貴は警戒を解くことはないのに、テオバルドは何がきっかけで――もしくは何が目的で、これほど距離を詰めようとするのだろう。
「奥さんができなかった分、あんたが息子を愛してやればいい」
包み込むような声に、今はこの男がスパイである事実を横に置いてもいい、という気になってしまう。この地に赴任して以来、勤務中は仕事に追われ、昼間こうして息子に想いを馳せることはなかった。「そうだな」と返しながら、遠い母国の我が子を最後に抱いたのはいつだっただろう、と思う。
自らの命を擲ってでも守りたい、亡き妻の忘れ形見でもある愛しい息子――四歳になったばかりの英。しかし実際には、守るどころか抱き締めてやることもできないまま、一年半が過ぎようとしている。母に託してきたため、何事にも不足なく大切に育ててもらっているだろうと心配はしていないが、母を亡くし父とも会えない幼子に、どれほど寂しい思いをさせていることだろう。――例によって、衛藤家の人々が総出で可愛がってくれているようだから、何年も帰らない父など、とっくに忘れ去られているかもしれないが。
与えられた任務に不服はなく、国を守ることが英を守ることと信じ全力で取り組んでいるが、そのせいで最愛の我が子と離れ離れになり、顔も忘れられているかと思うと、切なさにため息がこぼれてしまう。
それをどう思ったか、テオバルドが甘い声で擦り寄ってきた。
「奥さんができなかった分、俺があんたを愛してやるよ」
「結構だ」
「かわいそうに、愛する者を失った傷がまだ残っているのか。甘くやさしく蕩かして、身も心も癒やしてやるから、俺を受け入れろよ」
「間に合ってる」
「間に合ってるって、……もうあんたの心を占める誰かがいるのか」
「何を言って……」
自分はそんなに薄情でも多情でもない。そう言い返そうとして、思い掛けず真剣なテオバルドの顔をそこに見つけ――志貴は唐突に、初対面の時に抱いた既視感を思い出した。
「……ベルヴェデーレのアポロン……」
「日本人じゃないのか、どこのどいつなんだ」
低く苛立った声音は、嫉妬を滲ませているようにも聞こえる。どこまでも悪ふざけが好きな男だと思うが、彼ほど整った顔をしていると、どれほど軽薄なことを言っていても彫像のように端整で美しい。
二人の出会いは仕事がきっかけで、今日に至るまでその付き合いも仕事上に限られている。しかもテオバルドはスパイ、人の裏をかく職業だ。互いに心を許す相手ではなく、事実志貴は警戒を解くことはないのに、テオバルドは何がきっかけで――もしくは何が目的で、これほど距離を詰めようとするのだろう。
「奥さんができなかった分、あんたが息子を愛してやればいい」
包み込むような声に、今はこの男がスパイである事実を横に置いてもいい、という気になってしまう。この地に赴任して以来、勤務中は仕事に追われ、昼間こうして息子に想いを馳せることはなかった。「そうだな」と返しながら、遠い母国の我が子を最後に抱いたのはいつだっただろう、と思う。
自らの命を擲ってでも守りたい、亡き妻の忘れ形見でもある愛しい息子――四歳になったばかりの英。しかし実際には、守るどころか抱き締めてやることもできないまま、一年半が過ぎようとしている。母に託してきたため、何事にも不足なく大切に育ててもらっているだろうと心配はしていないが、母を亡くし父とも会えない幼子に、どれほど寂しい思いをさせていることだろう。――例によって、衛藤家の人々が総出で可愛がってくれているようだから、何年も帰らない父など、とっくに忘れ去られているかもしれないが。
与えられた任務に不服はなく、国を守ることが英を守ることと信じ全力で取り組んでいるが、そのせいで最愛の我が子と離れ離れになり、顔も忘れられているかと思うと、切なさにため息がこぼれてしまう。
それをどう思ったか、テオバルドが甘い声で擦り寄ってきた。
「奥さんができなかった分、俺があんたを愛してやるよ」
「結構だ」
「かわいそうに、愛する者を失った傷がまだ残っているのか。甘くやさしく蕩かして、身も心も癒やしてやるから、俺を受け入れろよ」
「間に合ってる」
「間に合ってるって、……もうあんたの心を占める誰かがいるのか」
「何を言って……」
自分はそんなに薄情でも多情でもない。そう言い返そうとして、思い掛けず真剣なテオバルドの顔をそこに見つけ――志貴は唐突に、初対面の時に抱いた既視感を思い出した。
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「日本人じゃないのか、どこのどいつなんだ」
低く苛立った声音は、嫉妬を滲ませているようにも聞こえる。どこまでも悪ふざけが好きな男だと思うが、彼ほど整った顔をしていると、どれほど軽薄なことを言っていても彫像のように端整で美しい。
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