トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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11章

5

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 テオバルドとは違い、一洋には志貴に対する恋情はない。その差が、二人の男との距離を異なったものにしている。
 一洋は志貴の体を弄っても、求めてくることはない。そこにあるのは、兄のような幼馴染としての家族愛と君子への慕情で、志貴に対する情欲に駆られての行動ではない。
 歪な関係だが、すべてこの異常な状況――戦時下の異国、外交上の軋轢で帰国の途も絶たれ、欧州に軟禁されたも同然のこの状況だからこそ、行き着いたものだ。もし二人が日本にいたら、どれほど切迫した状況でも、こんな関係にはならなかっただろう。

 もう七ヵ月にもなる『薬』の処方に、心身ともにすっかり慣らされているが、彼の弱さと生々しい欲を受けとめる立場となった一月前のあの夜が、志貴を悩ませている。衝撃的であり、身代わりにされた痛みは伴うが、一洋のためにできることが自分にもあると知ってしまったからだ。
 それに、あの行為を再び望むわけではないが、割り切った性欲処理の相手としてもらった方が、心情的には楽になる。互助的で対等な関係になれるからだ。
 それなのに、一洋は志貴の手を拒む。

(僕を身代わりにしたのは、イチ兄さんなのに)

 頼もしい兄のような幼馴染は、ただそれだけの存在ではない。身代わりとはいえ初めての口づけの相手であり、自らを素通りする君子への想いで、恋というものの切なさと残酷さを教えてくれた人だ。
 その狂おしい恋情は、志貴が初めて知った恋情だった。小学校に上がる前にイギリスへ渡り、男子寄宿学校で十一になるまでを過ごし、帰国後は新しい環境に慣れるのに精一杯だった少年に、少女と恋に落ちる機会などなかった。
 奥手な唇に突然押し付けられた、年上の少年の、生々しい恋の発露。その対象は母なのに――父の妻である人なのに――あまりに鮮烈で、身も心も幼かった春の日に、深く刻印された。その想いが成就する可能性がゼロのせいか、母に恋慕されているのに不思議と嫌悪は感じなかった。これが恋というものなのかと、その抑えきれない感情の強さに巻き込まれて、慄きと胸の疼きを感じた。
 そしてその夜、志貴は精通を迎えた。

 志貴を通して恋する人に口づけた一洋の行為は、その衝撃をもって、まだ幼かった少年の性の扉を開いた。見たことだけは覚えている、内容のわからない短い夢を何度も繰り返し見て、――目覚めたら下着を白く濡らしていたのだ。

(イチ兄さんは、いつも僕の欲望を暴く……)

 自らの体が備えた、男子として正常な欲求を知らずにいた少年の日も、仕事にかまけ放置し顧みなかった今も。
 心配してくれたのに無視して無理を続け、強硬手段に出られてこの関係に至った自業自得の負い目もあり、身代わりとされることには納得している。その本命があの母――化け物のように若々しく美しいが、苛烈な年増の仁王様ということだけは理解し難いが、彼女が一洋を受け入れることも、そもそも一洋がその想いを告げることもないとわかっている。だから志貴が目を瞑れば、今の関係は誰にも害を及ぼすことはない。
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