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12章
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唇を引き結ぶ志貴を愛おしそうに見つめながら、テオバルドは、途切れた言葉を引き取った。
「確かにピラールは、俺をテオと呼んでいた。今も会えばそう呼ぶだろう。だが俺が彼女に会うことは二度とない」
「……何故?」
「会ったところで、何も話すことがないからさ。いや、互いに恐れてるんだ――責められることを。ピラールが何者なのか、知ってるんだろう? ホセ・アントニオの妹で、その思想の継承者。なのに党の幹部だってことを」
昨日に続き、その名を聞くことになったピラールの兄――テオバルドの師。
彼こそが二人の関係の要なのだと、テオバルドは示唆しているが、その先を推測するには材料が少なすぎる。現政権を支える政党の創立者――ホセ・アントニオの思想を受け継ぐピラールが、党の幹部であっても不思議ではない。しかしテオバルドの言葉には、かすかな棘があった。
志貴の知るこの国の形は、現政権の公式声明と、外務省の独自資料に書かれたものに過ぎない。戒厳令下に生きるこの国の人々は内戦から立ち直っておらず、他国の外交官である志貴の前では政治的な話を一切しない。現政権による弾圧が続く中、迂闊なことを言えば明日の命も危ういからだ。
それなのにテオバルドは、二人とホセ・アントニオの関係を、昨日ナヴァスから――政権を追われた男から、すべて聞いたとでも思っているのだろうか。
悲劇の死を迎えたホセ・アントニオという男が、テオバルドとピラールに、死してなおこの国に、どんな影響を及ぼしているのか。
そしてその結果、何故何の関係もない日本人が、二人の間に挟まれ心を乱すことになったのか。
「君と、プリモ・デ・リベーラ兄妹のことを、聞いてもいいか」
迷い込んだ感情の縺れを解きほぐすには、危険であっても自ら踏み込んで、地図を手に入れなければならない。それがパンドラの箱を開けることになろうとも、紫煙のように燻るこの不愉快な感情から逃れられるなら、志貴はためらわなかった。
「私だって、君に興味はある」
――俺らしいと言えるほど、あんたは俺を知っていて、俺に興味があったのか?
一昨日、皮肉気に返された言葉に挑むように付け加えると、覚えていたらしいテオバルドは、一瞬鼻白んだ顔をした。挑発したのは自分のくせに、という思いを込めて、逸らさず視線を注いでやる。
しばらくの沈黙ののち、降参したようにテオバルドは深いため息をついた。
「……俺の惨めな敗北の過去に興味があるのか」
「それがどんなものであれ、今目の前にいる君を形作った過去を、惨めだとは思わないよ。――決して」
はあ、とこれ見よがしにもう一度大きくため息をつくと、「俺の負けだ」とテオバルドは両手を上げた。
「ほらな、やっぱり憎たらしい。そんな顔をされて、そんな可愛いことを言われて、抗える男がいるもんか。いつだって俺を思い通りに操る――狡い男だ、あんたは」
そう言ってソファに背中を預けると、「面白い話じゃないぞ」と前置きして、テオバルドは抑揚なく語り出した。――花形の闘牛士から、国を捨て、金のために情報を売るスパイに身を転じた過去を。
「確かにピラールは、俺をテオと呼んでいた。今も会えばそう呼ぶだろう。だが俺が彼女に会うことは二度とない」
「……何故?」
「会ったところで、何も話すことがないからさ。いや、互いに恐れてるんだ――責められることを。ピラールが何者なのか、知ってるんだろう? ホセ・アントニオの妹で、その思想の継承者。なのに党の幹部だってことを」
昨日に続き、その名を聞くことになったピラールの兄――テオバルドの師。
彼こそが二人の関係の要なのだと、テオバルドは示唆しているが、その先を推測するには材料が少なすぎる。現政権を支える政党の創立者――ホセ・アントニオの思想を受け継ぐピラールが、党の幹部であっても不思議ではない。しかしテオバルドの言葉には、かすかな棘があった。
志貴の知るこの国の形は、現政権の公式声明と、外務省の独自資料に書かれたものに過ぎない。戒厳令下に生きるこの国の人々は内戦から立ち直っておらず、他国の外交官である志貴の前では政治的な話を一切しない。現政権による弾圧が続く中、迂闊なことを言えば明日の命も危ういからだ。
それなのにテオバルドは、二人とホセ・アントニオの関係を、昨日ナヴァスから――政権を追われた男から、すべて聞いたとでも思っているのだろうか。
悲劇の死を迎えたホセ・アントニオという男が、テオバルドとピラールに、死してなおこの国に、どんな影響を及ぼしているのか。
そしてその結果、何故何の関係もない日本人が、二人の間に挟まれ心を乱すことになったのか。
「君と、プリモ・デ・リベーラ兄妹のことを、聞いてもいいか」
迷い込んだ感情の縺れを解きほぐすには、危険であっても自ら踏み込んで、地図を手に入れなければならない。それがパンドラの箱を開けることになろうとも、紫煙のように燻るこの不愉快な感情から逃れられるなら、志貴はためらわなかった。
「私だって、君に興味はある」
――俺らしいと言えるほど、あんたは俺を知っていて、俺に興味があったのか?
一昨日、皮肉気に返された言葉に挑むように付け加えると、覚えていたらしいテオバルドは、一瞬鼻白んだ顔をした。挑発したのは自分のくせに、という思いを込めて、逸らさず視線を注いでやる。
しばらくの沈黙ののち、降参したようにテオバルドは深いため息をついた。
「……俺の惨めな敗北の過去に興味があるのか」
「それがどんなものであれ、今目の前にいる君を形作った過去を、惨めだとは思わないよ。――決して」
はあ、とこれ見よがしにもう一度大きくため息をつくと、「俺の負けだ」とテオバルドは両手を上げた。
「ほらな、やっぱり憎たらしい。そんな顔をされて、そんな可愛いことを言われて、抗える男がいるもんか。いつだって俺を思い通りに操る――狡い男だ、あんたは」
そう言ってソファに背中を預けると、「面白い話じゃないぞ」と前置きして、テオバルドは抑揚なく語り出した。――花形の闘牛士から、国を捨て、金のために情報を売るスパイに身を転じた過去を。
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