トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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15章※

3

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「任務なんだから当然だよ、気にしないで。河本少佐にも、そう伝えて。多分、気を遣わせていたと思うから」
「……そう言うわりに、浮かない顔をしてるな」

 気遣う声に、自分が伏し目がちに――一洋を真っ直ぐ見ていないことに、志貴は気がついた。

「何か気掛かりなことがあるのか。さっきから元気がないというか……もっと喜んで迎えてもらえると思ってたんだが」

 おどけたように聞いてくるのは、深刻な空気にならないようにという幼馴染のやさしさだ。どこまでも懐の深い兄貴分の器の大きさは、つい甘えたくなってしまい厄介でもある。
 勝手な自己嫌悪に、疲れて帰ってきた一洋を巻き込むわけにはいかない。志貴は努めて自然に見えるように、頬を微笑の形に動かした。

「何でもない、やっぱりイチ兄さんはすごい人だと思って、……圧倒されてるだけ」
「――何があった、志貴」
「僕の話は明日でいいよ、兄さん疲れてるでしょう。今日はゆっくり休んで、旅の疲れを落として。そうだ、今から少し横になる?」
「横になるなら、お前も一緒だ」

 向かいのソファに座っていた一洋が立ち上がった。見上げる体躯は常より威圧的に見え、志貴は無意識に身を引いた。かまわず一洋はテーブルを回り込み、志貴の隣に腰を下ろす。

「少し痩せたな。過労にならないように黒木さんをったのに、また食べず眠らずで仕事してたのか」
「ち、違う。兄さんの言いつけ通り、きちんと食べて、眠るように努めてた」
「だったら、どうしてこんなに……」

 大きな手が、志貴の頬を撫でる。硬い手のひらの感触に、思わず目を閉じると、そのまま耳を滑った手のひらに後頭部を包まれ、そっと引き寄せられた。

「抱き心地が悪くなってるんだ」

 もう片方の手を背に添わせ、すっぽりと胸元に収まった志貴をゆるく抱き締めながら、一洋が訊ねる。その口調は決して怖くないのに、何故か詰問されているような気になり、志貴は口籠った。
 イギリスとの和平工作、一洋の不在、そして帰国の噂。重圧と焦燥に、気づかないうちに少しずつ擦り減っていたなどと、口が裂けても言えるわけがない。

「それは……」
「まあいい。この休みの間、お前を食わせて寝かしつけるのは俺の役目ということだ」

 自身を閉じ込める腕に力が込められ、びくりと志貴の体が竦む。身を離そうとするのを許さず引き寄せた耳元に、吹き込むように一洋は囁いた。

「おいで、志貴。昼寝と『薬』の時間だ」
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