後宮の虫籠で月は微睡む ~幼馴染みは皇帝陛下~

あかいかかぽ

文字の大きさ
27 / 55

藩貴妃の本音

しおりを挟む
 時間がかかったが一椀分の水を口移しで飲ませることができた。
 賢明な方法ではないことは、小月は理解していた。接触することで伝染するかもしれないのだ。だが他に方法はない。
 頬に血色が戻ってきた。小月が安堵したとき、貴妃は薄く目を開いた。

「藩貴妃! お気づきですか」

「誰……?」

 ちょうど煎じ茶を運んできた南岩と傍らに並んだ小月を、貴妃はぼんやりと眺める。

「自分で飲めます? 私が体を支えますね」

 やがて貴妃の焦点が小月の像を結ぶと、貴妃はか細い息を吐いた。

「……侍女はどこ?」

「今はいません。さあ、このお茶を飲んでください。南岩医師特製の滋養茶です」

「なんであなたが看病しているの?」貴妃は目を瞑ると「ああ、そうね、誰も死にたくない。仕方ないことだわ」と一筋の涙を流した。

「水分がもったいないので泣いちゃだめですよ。熱を下げないといけないんだから」

 藩貴妃は口を開くのも億劫そうだ。小月の指示に、それでも素直に従って茶をゆっくりと飲み干した。小月は思わず南岩医師の顔を見る。南岩は「もう安心だ」と笑みを返した。

 藩貴妃が小月の袖を掴んだ。「陛下の御申し出をお断りしたそうだけど……」

「今話すことですか、それ?」

「感謝はしないわよ。もともと貴女なんて……」

「山猿ですからね」

「馬鹿ね、貴女」

「知ってます。少し寝たほうがいいです」

 寝かせるさいに、さりげなく額に触れた。まだ熱いものの、だいぶ下がっている。

「おかげで楽になってきたわ。少し話をしたいの」

「……話なら、私もしたいです」

 藩貴妃は小月を見上げた。唇が小刻みに震え、掠れた声が押し出された。「先に謝るわ。貴女が毒を盛ったと言ったこと……」

 小月は驚いた。藩貴妃が素直に謝ったことに。

「でも信じていたんでしょう?」

 信じていたなら仕方ないことだ。悪意を持って貶めようとしたのなら、額をもう一度叩くけれど。

「陛下を独占していた貴女が憎かったのよ」

「秀……陛下を愛しているのですか?」

「愛?」藩貴妃は不思議そうな顔をした。「後宮に入ったからには陛下の寵をいただき、皇子を産まなければならない。それが義務よ」

「……さっき藩丞相にお会いしました。いつもあんな……いえ、その……」

 他人の家族を非難がましく言う権利など小月にはない。だが子を産むことだけを娘に期待する藩丞相に小月は反発を抱いていた。死ぬなら子を産んでからにしろ、などと、暴言だとさえ感じていた。

「私と胡貴妃は次代の世継ぎを産む義務があるの。父は期待しているのよ、娘が皇太子を産むことを。期待に応えたい。そうでなきゃ生きてる意味は無いわ」

「そんな」

「藩家をより繁栄させて安定させるのが私の責務なの。そんな顔しないで。自分を認めてもらう唯一の機会なのよ。貴女はいいわね、何も背負ってないから気楽でしょ。それとも機会がある分、私のほうが幸福なのかしら」

 自を認めてもらえる機会、肯定してもらえる機会。それが唯一皇帝の世継ぎを産むことだなんて、小月には想像が出来ない。

「藩丞相はよく貴妃に会いに来ると聞いていたけど……」

「毎回お説教よ。早く陛下を虜にしろと。陛下にも圧力をかけているはず。陛下だって嫌気がさしてしまうわ」

「家族仲が良いのかと思っていました」

「別に悪くないわよ。父を尊敬してるわ。胡貴妃のところは母親がよく訪ねてくるそうね。目的は閨閥の強化、同じよ」

 小月は溜息を吐いて椅子の背もたれに寄りかかった。貴妃たちが背負っている責務の重さに圧倒されたのだ。藩貴妃を意地悪な女性だとしか認識していなかった自分を、小月は恥じた。

「ごめんなさい、私……」

「……病気のせいで少し気弱になってるのね、私は。侍女に見捨てられるなんて惨めね。そう思うでしょ」藩貴妃は自嘲気味に笑う。

「目が曇ってました。後宮の女性たちは苦労知らずで贅沢ばかりして一生遊んで暮らせるものなんだと思ってました。実家の盛衰を背負ってるなんて考えたことなかった」

「陛下は国家の盛衰という、もっと重いものを背負っている。後宮の女はまず第一義に陛下をお慰めするために存在しているの。父に言い返したいけど、それは無理。ふふ、おかしい、私まだ熱があるわ」

「藩貴妃……陛下を慕っておいでなんですね」

「……敬愛しているわ。いつか一度でいいから舞踊を見てもらいたい……」

 小月は懐から四つに畳んだ紙を取り出した。胡貴妃が描いた秀英の似姿だ。

「お貸しします。これを見て元気になってください」

「まあそっくり」藩貴妃はしばらく眺めたあと、枕元にそっと置いた。「陛下に添い寝していただければすぐ回復しそう」

 小月のほうが照れてしまうほど藩貴妃の仕草は可愛らしく見えた。

「少し疲れたわ……」藩貴妃がうとうとし始めた。

 小月は南岩に視線を移した。老医師は椅子に座ったまま船を漕いでいる。

「寝てください」

「で、話したかったことって何……?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...