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「日比野が泣いた」
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「実はさ、置き配の荷物が届いていない、というクレームがあったんだよ。日比野さんが客からの電話を受けたんだ。届けたのはおれなんだけどさ」荒川は肩をすくめた。
置き配とは、配達荷物を玄関先に置いておく配達方法である。大手販売サイトが始めたものだが、最近では客自身が選択することが多くなった。持ち戻りが少なく配達員には都合がいい。とはいえ、基本的には荷物の送り主が許可していないと問題になりやすい。運送契約は送り主と結ぶためだ。確実に届けること、つまり対面配達と配達証明をもらうことが基本だ。
「間違いなく届けましたんだよ。置き配ではあるけど」
「画像、取った?」
「いや、その時は、まずピンポン鳴らしたんだ。インターフォン越しにフルネームで確認したから家を間違えたわけじゃない。女性の声で返答があって『今、手が離せないから玄関前に置いておいて』って」
ちょっとやっかいだぞ、と野田は思った。よくあるケースなのだ。
基本的には、置き配は、指示がなければやらない。この場合は、届け先の指示があったが送り主は了承していない。
「クレームの電話がきたときは、おれは配達で忙しかったから、日比野さんが電話で対応してくれたよ。おれの言ったとおりに説明してくれたんだけど……」
事務員で対応できそうなクレームには事務員が対応することがある。配達員本人が適切だと思われるときは本人が対応する。ただし時間指定に追われていると電話をかける時間どころか、かかってきた電話に出る時間もないので、二次クレームになりかねない。荒川はとくに頑張り屋なので、日比野は気をきかせたのだろう。
「どうなった?」
荒川がふうとため息をついた。「日比野が泣いた」
「えええ!? 暴言吐かれたのか?」
「そうじゃなくて、実はまだ解決していないんだ」
「解決……」
配達にはルールがある。運送契約にもとずく約款である。荷物を紛失した場合、配達側に過失があれば弁償する。破損させた場合も同様だ。だが送り主や届け先に問題があれば、その度合いで弁償額を交渉したり、または決然と突っぱねたりする。
例えば雑な梱包をした割れ物。酒瓶は横からの衝撃に弱いので、かならず立てておかなければならない。割れ物同士がぶつかるような詰め方は論外だ。
タッパーに入った手作り漬物は、段ボールの中で蓋が開いて大惨事になる。せめてビニールに入れておいてほしい。水物系は他のお客さんの荷物にまで汚してしまう。
ガムテープをケチって一部しかとめておかないと、斜めからの圧力で簡単に口が開いてしまう。空き箱の再利用は底を補強しないと底抜けの危険がある。
養生テープは剥がれやすいので梱包には不適切である。ドラッグストアなどでもらえるティッシュの空き箱は大きくてたくさん詰められるが、段ボール自体が薄くて弱いので、必ず潰れる。割れ物などもってのほかである。
ほかにも注意事項はある。
品名欄は必ず記入しなければならない。保険の補償は無申告では通らないからだ。
夏場はクール便の需要が増える。届いたときに「凍っていなかった」とクレームが来て発覚したことがある。送り主に聞いたら、そもそも冷凍されていない物だった。冷凍されていないものを冷凍便で発送はできない。冷凍庫の温度が保てなくなり、他のお客さんの荷物が腐るからだ。ルール通りに荷受けをお断りしたら「融通がきかない」とクレームが来たこともある。
なんでも自分の思い通りにいかないと気が済まないという人はどこにでもいるし、相手を屈服させようと躍起になる人もいる。そういう場合はルールを持ち出しても納得してはもらえない。宅配業3年目のぼくもよく迷う。どう対応すべきか、何が正しい方法かわからないことが多い。
「日比野さんを泣かせたのか。無理難題を言われたとか? 荷物は誰かに盗まれたってこと? にしても、届け先の指示に従ったわけだし、せいぜいが5割の責任ってとこだよな」
「インターフォンで置き配指示したことはお客さんも認めてたそうだ。でも指示してからうっかり3時間ほど放置しちゃったらしい。思い出して玄関に取りに行ったけど、なかったって。だから本当に来たのかって。おれと直接会話したのに、何言ってんだか」
「荒川が疑われてるのか?」
「本物の配達員だったか、知りたかったみたいだ」
「それって…?」
荒川の眉間に縦皺が深く刻まれた。
「配達員に扮した犯罪を心配したみたいなんだ。だから対面を避けて、玄関に置いてと言ったらしい。すぐに玄関を開けなかったのは用心したから。3時間経ったのはうっかり忘れたから。で、気づいて玄関を見たけど荷物がなかった。で、おれが偽物だったんじゃないか、と思ったんだって。だから日比野は保証した。うちの荒川が間違いなく配達にお伺いしましたよって言い返した。それで終わると思ってたんだけど、客は声を震わせて『じゃあ荷物はどこ行ったんですか!?』って逆上」
「3時間も放置しておいてそれか。盗まれたんだろ。警察に相談するしかない」
これは、不条理クレームと言っていいのではなかろうか。
「フリマサイトでなんでも匿名販売できる時代だからね。宅配の荷物が落ちていたら持っていかれるのは想像に難くない」
「だよな。盗まれるかもしれないと思ったなら、なんで置いていったのかって。断って持ち帰るべきだったってさ。ま、そこは言ってやったらしい。『お客様のご指示を優先して出来る限りの対応をさせていただいてます。今は置き配は普通にある配達形態ですので』って。まあ、ホントいうと、会社としてはデータに残らない置き配指示は断るのが基本ルールなんだけどね。言った言わないの泥仕合になるから。でもこっちが強気になるとクレーム引っ込めることもあるからさ。賭けだけど」
「日比野さん、頑張ったね」
「ところが客はこう言った。『配達員さんが盗んだんじゃないか。置いたと言って盗んだんじゃないのか』と叫んだそうだ」荒川は飲み終わった缶コーヒーをくしゃりと握りつぶした。「そして、泣き出しちゃったんだ」
置き配とは、配達荷物を玄関先に置いておく配達方法である。大手販売サイトが始めたものだが、最近では客自身が選択することが多くなった。持ち戻りが少なく配達員には都合がいい。とはいえ、基本的には荷物の送り主が許可していないと問題になりやすい。運送契約は送り主と結ぶためだ。確実に届けること、つまり対面配達と配達証明をもらうことが基本だ。
「間違いなく届けましたんだよ。置き配ではあるけど」
「画像、取った?」
「いや、その時は、まずピンポン鳴らしたんだ。インターフォン越しにフルネームで確認したから家を間違えたわけじゃない。女性の声で返答があって『今、手が離せないから玄関前に置いておいて』って」
ちょっとやっかいだぞ、と野田は思った。よくあるケースなのだ。
基本的には、置き配は、指示がなければやらない。この場合は、届け先の指示があったが送り主は了承していない。
「クレームの電話がきたときは、おれは配達で忙しかったから、日比野さんが電話で対応してくれたよ。おれの言ったとおりに説明してくれたんだけど……」
事務員で対応できそうなクレームには事務員が対応することがある。配達員本人が適切だと思われるときは本人が対応する。ただし時間指定に追われていると電話をかける時間どころか、かかってきた電話に出る時間もないので、二次クレームになりかねない。荒川はとくに頑張り屋なので、日比野は気をきかせたのだろう。
「どうなった?」
荒川がふうとため息をついた。「日比野が泣いた」
「えええ!? 暴言吐かれたのか?」
「そうじゃなくて、実はまだ解決していないんだ」
「解決……」
配達にはルールがある。運送契約にもとずく約款である。荷物を紛失した場合、配達側に過失があれば弁償する。破損させた場合も同様だ。だが送り主や届け先に問題があれば、その度合いで弁償額を交渉したり、または決然と突っぱねたりする。
例えば雑な梱包をした割れ物。酒瓶は横からの衝撃に弱いので、かならず立てておかなければならない。割れ物同士がぶつかるような詰め方は論外だ。
タッパーに入った手作り漬物は、段ボールの中で蓋が開いて大惨事になる。せめてビニールに入れておいてほしい。水物系は他のお客さんの荷物にまで汚してしまう。
ガムテープをケチって一部しかとめておかないと、斜めからの圧力で簡単に口が開いてしまう。空き箱の再利用は底を補強しないと底抜けの危険がある。
養生テープは剥がれやすいので梱包には不適切である。ドラッグストアなどでもらえるティッシュの空き箱は大きくてたくさん詰められるが、段ボール自体が薄くて弱いので、必ず潰れる。割れ物などもってのほかである。
ほかにも注意事項はある。
品名欄は必ず記入しなければならない。保険の補償は無申告では通らないからだ。
夏場はクール便の需要が増える。届いたときに「凍っていなかった」とクレームが来て発覚したことがある。送り主に聞いたら、そもそも冷凍されていない物だった。冷凍されていないものを冷凍便で発送はできない。冷凍庫の温度が保てなくなり、他のお客さんの荷物が腐るからだ。ルール通りに荷受けをお断りしたら「融通がきかない」とクレームが来たこともある。
なんでも自分の思い通りにいかないと気が済まないという人はどこにでもいるし、相手を屈服させようと躍起になる人もいる。そういう場合はルールを持ち出しても納得してはもらえない。宅配業3年目のぼくもよく迷う。どう対応すべきか、何が正しい方法かわからないことが多い。
「日比野さんを泣かせたのか。無理難題を言われたとか? 荷物は誰かに盗まれたってこと? にしても、届け先の指示に従ったわけだし、せいぜいが5割の責任ってとこだよな」
「インターフォンで置き配指示したことはお客さんも認めてたそうだ。でも指示してからうっかり3時間ほど放置しちゃったらしい。思い出して玄関に取りに行ったけど、なかったって。だから本当に来たのかって。おれと直接会話したのに、何言ってんだか」
「荒川が疑われてるのか?」
「本物の配達員だったか、知りたかったみたいだ」
「それって…?」
荒川の眉間に縦皺が深く刻まれた。
「配達員に扮した犯罪を心配したみたいなんだ。だから対面を避けて、玄関に置いてと言ったらしい。すぐに玄関を開けなかったのは用心したから。3時間経ったのはうっかり忘れたから。で、気づいて玄関を見たけど荷物がなかった。で、おれが偽物だったんじゃないか、と思ったんだって。だから日比野は保証した。うちの荒川が間違いなく配達にお伺いしましたよって言い返した。それで終わると思ってたんだけど、客は声を震わせて『じゃあ荷物はどこ行ったんですか!?』って逆上」
「3時間も放置しておいてそれか。盗まれたんだろ。警察に相談するしかない」
これは、不条理クレームと言っていいのではなかろうか。
「フリマサイトでなんでも匿名販売できる時代だからね。宅配の荷物が落ちていたら持っていかれるのは想像に難くない」
「だよな。盗まれるかもしれないと思ったなら、なんで置いていったのかって。断って持ち帰るべきだったってさ。ま、そこは言ってやったらしい。『お客様のご指示を優先して出来る限りの対応をさせていただいてます。今は置き配は普通にある配達形態ですので』って。まあ、ホントいうと、会社としてはデータに残らない置き配指示は断るのが基本ルールなんだけどね。言った言わないの泥仕合になるから。でもこっちが強気になるとクレーム引っ込めることもあるからさ。賭けだけど」
「日比野さん、頑張ったね」
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