江戸のアントワネット

あかいかかぽ

文字の大きさ
77 / 127

七十七、 可哀想な女とは?

しおりを挟む
 女将と白蓮教徒は祖国で迫害されて日本に逃げてきた。
 そう聞いたときにはどちらにも憐憫の情を抱いたものだが、いまは早とちりだったと思う。

『可哀想、だから助けなくちゃ』

 自然と湧き上がる気持ちは、美味しいものを食べたとき幸せな気分になるのとなにがちがうのだろう。可哀想な人がいたら助けてあげたくなるものだ。
 おのれが善人だとは思わない。
 困ったときには助け合う。当然、おのれが困っていたら助けてほしいからだ。恩や義理ではなく竹のようにまっすぐな心情。強弱の差はあれど、みなが持ち合わせるものではないのか。

 だが、わたしは見誤っていた。
 女将とシャルルは弱くない。白蓮教徒たちも弱くない。どんな目にあってもたくましく生き抜いていく力がある。
 彼らを可哀想だと思ってしまうわたしのほうこそ、彼らから見たら可哀想な人間にちがいない。
 いつだったか鬼頭にぶつけた、おのれの言葉を思い出すと赤面しそうになる。

『今はなんの権力も身寄りもない、幼子を抱えてつましく生きる、祖国を追放された可哀想な女じゃありませんか』

 いや、あのときは鬼頭が女将に異常な敵意をあらわにしていたからつい反発したくなったのだった。
 鬼頭に罪悪感を抱かせてやりたかっただけで、女将が『つましく生きる』なんて微塵も思っちゃいなかった。
 鬼頭への嫌悪が強すぎたせいで、あのような言葉となってしまったのだ。

 だとしても、女将を可哀想な身の上と言ったのは撤回したくなった。おのれが父に虐げられた可哀想な身の上だとうっすら感じていたせいで、おのれより可哀想な母子を守ることを正しいと思い込んだ。可哀想な母子と思いたかった。おのれより下の存在を欲していたのかもしれない。
 真の同情心ではなかったのかもしれない。優しさではなかったのかもしれない。
 もしかしたら女将には見透かされていたのではないか。
 そう考え出すと恥ずかしくて身もだえする。いや、あの女将だったら、わたしの心情を知った上で利用する。あのかたはとても……図太いのだ。
 祖国で嫌われていたというのもわからないでもない。
 それでも白蓮教徒から女将を守りたい。幕府から女将を守りたい。
 なぜだかわからないけれど、けして嫌いにはなれないのだ。
 女将とシャルルが無事に日本を離れるまで、ほんの数ヶ月。わたしが上手くやればいい。

 雨雲が途切れた薄明りの夜空を見上げて、お照はぎゅっと拳を握った。

「お照、どこ行っていたの」

 上がり框に腰かけてお照を待っていたのはシャルルだった。

「女将さんはもうお休みですか」

「ううん、上で芝居の筋を考えてる。国家転覆を謀る闇の組織を追って海を渡る場面を入れるんだってさ。へんてこな話になりそうだね」

 そう言って笑うシャルルの袖はひどく汚れていた。

「あ、これ。ちょっと実験してたら煤がついちゃって。手は洗ったんだけど着物は落ちなくて」

「明日洗ってあげるね。実験ってなにをしてたの」

「お母さまの部屋に岩絵具いっぱいあるでしょ。いろんなのを混ぜたり焼いたり溶かしたり。あの緑色が作れないかなって思って」

「へえ、どうなったの」

 シャルルは首を振った。

 それはそうだろう。混ぜて作れる程度のものなら秋馬だって作れるだろうから。
 秋馬が持っていた緑の顔料は全部蔦屋の元に行ってしまった。蔦屋は顔料屋に同じものを頼んでいるそうだがうまくいくかどうか。

「絵具じゃないけど面白いものは出来たよ。今度お照に見せてあげる。あ、でももっと材料を買って実験したいな」

「シャルル、聞いてちょうだい」お照ははしゃぐシャルルの手を取った。「これからは外出は必ずわたしと一緒よ。ひとりではダメよ」

「……今だってひとりでは出かけちゃいけないってお母さまに厳しく言われてるけど、お照、どうかしたの」

「ううん、わかっているならいいの。だってシャルルは国王さまでしょ。お供がいなきゃ、かっこ悪いわ。明日一緒に顔料を見に行きましょうね」

「うん!」

 シャルルは嬉しそうに微笑んだ。

 不安を与えてはいけない。ちりめんの風呂敷に優しく包んで守ってあげたい。できうることならシャルルには風呂敷の存在にさえ気づいてほしくない。

 深夜に関わらず、近所から聞こえてくる三味線に合わせて木刀を振らずにはおれないお照だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...