江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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七十九、 花緑青

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「死んだ調合師と最後に会った人物が蔦屋なんだ。これを持ってきてな」

 鬼頭は懐から畳んだ紙を取り出し、広げた。紙には三文字書かれていた。

花緑青はなろくしょう

「これは?」

「蔦屋が名付けた顔料の名だ。調合に成功したと聞いた蔦屋は差し入れといって毒入り饅頭でも持って行ったのだろう」

「殺す理由がありませんぜ」

「口封じさ。この日の本で唯一、花緑青の作り方を知っている人物は蔦屋だけになるんだ。商売もんは抜け目がない」

「武士はすぐに嫉妬するんだよ」

 耐えかねたように秋馬が噛みついた。

「なんだと」

「商売の才がある蔦屋が羨ましくてしかたないのさ。武士は百姓が作った米をまきあげるしか能がないんだからな」


「もう一度牢にぶちこんでやろうか」

 険悪な空気のなか、シャルルが冷静に声をあげた。

「蔦屋は認めてないんでしょう?」

「ああ。だが、ちょいとしごけば吐くだろう」

「お母さま、お照、どう思う?」

 思わず唸った。
 正直、よくわからなかった。蔦屋をかばうほど良く知っているわけではない。ありえない話ではない、と思う。
 だが蔦屋が動けなくなれば、困るのは女将だ。
 俄芝居の宣伝は蔦屋が引き受けてくれている。
 秋馬に殺しの疑いをかけたときと似ている。鬼頭の目的はやはり女将への嫌がらせなのではないか。

「抜け荷の件、主犯には辿り着いたのですか。ご首尾は?」

「いや、そちらは機密ゆえ、おまえらなんぞに話すことではない」

 鬼頭はとたんに憮然となった。
 行き詰まっていると告白したも同然だ。
 調合師は蔦屋に頼まれて抜け荷の顔料を探究していたとはいえ、鬼頭の追っていたのは販売元だから直截関係はないはずだが。

「抜け荷を扱っていた者と、蔦屋につながりがある、とお考えですか?」

「いや、無関係だろう」

「だったら……」

 お照が声をあげる直前、女将が片手をあげた。

「ちょっとお待ちになってて」

 女将は席を立ち、二階から数枚の絵を持ってきた。

「これが『花緑青』ですわね」

 サロンで秋馬が戯れに描いた高月の画。背景一面、緑色である。鮮やかすぎる緑に負けない、気品にあふれた高月を秋馬は見事に写していた。

「そうそう、それでさ。もっとも蔦屋の名付けはあとだが」

 女将はその絵を鬼頭に差し出した。

「ちょっと舐めてみてくださいまし」

「毒……だぞ」

 まったくためらいがない女将の口調に、鬼頭は眉をひそめた。

「毒味役なら多少の毒には慣れているでしょう」

「砒素は無味無臭だ。舐めてわかるものか」

「では、わたくしが」

 女将は舌でぺろりと舐めてみせた。

「な、なにをするか……!?」

 絵を奪おうとした鬼頭の勢いが強すぎて、高月は真っ二つに裂けてしまった。

「わたくしもフランスの宮廷で生き抜いてきた女ですわ。毒の知識くらいはありましてよ。シャルル、お願い」

「はい、お母さま」

 シャルルは風炉を台に置いた。風炉は湯を沸かして茶を飲むときに使われるものだが、それには釜はなく、熾火だけが見える。
 シャルルは破れた絵を火にかざす。一瞬にして燃え上がる。その刹那に緑色の炎が踊った。
 一同があっけにとられていると、シャルルはさらになにかの粉末を持ってきた。糊状に溶かして刷毛で残りの絵に塗り重ねる。緑の顔料の部分が見る間に黒ずんできた。

「これは……どういう意図だ」

 鬼頭の眉がぐっと顔の中心に寄った。
 シャルルは黒ずんでしまった絵も燃やした。今度は緑の炎に青が混ざっていた。儚い幻の色にお照は魅了された。
 だが炎が消えると、いやな臭いがした。

「花緑色の原料には銅塩が入っているみたいだね。燃やしたときに緑色になるのは銅の特徴だから。あとから塗ったのは硫黄を溶かしたもの。銅塩は硫黄と反応して黒くなるんだ。硫黄を燃やすと青い炎と独特の臭いが出る。あ、いまの硫黄はいくつかの顔料から分離させてぼくが作ったんだよ、すごいでしょ」

 なにを言っているのかよくわからず、シャルルを賞賛する余裕はなかった。
 このところ実験に夢中になっていたようだが、これのことかと合点だけはしたが。

「で、それがなんだというのだ」

「こどもでもそうやって原料を辿れるんですのよ」

 女将は苦笑した。

「シャルルは特別に賢いこどもですけどね」お照は玄関戸を開けて空気を入れ換えた。硫黄の臭いを追い出すために。

「じゃあ、砒素は入ってないのかしら」

「入ってるよ。銅塩のほかに砒素の入ってる鉱物が使われているんだと思う」

 お照に褒められたからか、シャルルはにこにこ顔で答えた。

「毒砂か」

 鬼頭は重々しく呟いた。

「毒砂って金山や銀山の採掘で、ついでに採れる鉱物だよなあ。ねずみ取りの原料だろ。気づかなかったな、そうか、あれを混ぜればよかったのか」

 秋馬は悔しそうだ。家に飛んで帰って試したいのか、そわそわとしている。

「やめておけ!」鬼頭が一喝した。「一手順間違えるだけで、死ぬぞ」

 お照は首をひねった。

「蔦屋が調合師に飲ませたのも毒砂だと思っているのですか」

「毒砂は容易に手に入るからな。顔料を飲めば口中に緑色が残るはずだ」

「調合師は鉱物を扱う玄人ですが、早く成果を出したくて焦っていたんじゃないでしょうか。舐めて成分を確かめて、幾度も試すうちに誤って中毒になったのかも。蔦屋は関係ないのでは」

「玄人だからこそ毒物の扱いには長けている。そんなヘマをするものか」

「……鬼頭どのは紺色の顔料を指にとって舐めましたよね。調合師だってまず最初は舐めるんじゃないでしょうか。毒が入っているか知らずに」

「それなら、さきほど花緑青を舐めた女将はなぜ顔色がよいのだ。蔦屋が毒を盛ったと考えるほうがわかりやすい。蔦屋からもらった饅頭なら喜んで食べるだろう」

「わかりやすいから、蔦屋なんですか」

「他に考えられるなら言ってみろ」

「むむ」

「むむむ」

 お照と鬼頭がにらみあってる真ん中に、女将が茶を差し入れた。

「どうぞ、鬼さん。召し上がって。わたくしも考えていたのですけれど、やはり蔦屋さんを疑うのはムリスジですわ」
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