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九十八、 俄芝居と首飾り
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八月朔日、俄芝居の初日当日である。
蔦屋の宣伝のおかげで吉原は俄目当ての人手で大賑わいである。演者とお照は舞台の裏手にある茶屋に集合していた。
「すごいねえ、人の頭が里芋みたいだよ」
茶屋の二階から身を乗り出して、白牛は頬を紅潮させている。眼下には舞台の三方を囲むようにして、大勢の観客が押し合いへし合いしている。
「白牛さんが花笠で湧かせてくれたおかげで、観客がわくわくしてるんだよ」
シャルルの言うことは世辞ではない。
白牛率いる花笠衆はやんやの喝采を浴びた。松平定信の質素倹約に飽き飽きしていた町民は久しぶりの俄を心底から楽しんでいる。
「さあて、期待が高まったところで高月姐さんの出番だね。どきどきしてないかい」
「ちっとも」
高月は落ち着いたものである。衆目に晒されるのは花魁道中で慣れているのだ。自前で調達した最高級の打掛が眩いばかり。贔屓筋の呉服屋の若旦那が用意してくれたというそれをしどけなく着付けている。
首元を大きく開いているのには理由があった。
「よく似合っているわ、高月さん」
女将は高月の後ろに回り、首飾りをつけてあげた。
「瓔珞のようなこの首飾りで弥勒菩薩が身に宿っていることを表すのね。ギヤマンかしら」
手鏡で確かめた高月は、女将が用意した首飾りを気に入ったようだ。
やんごとなき貴婦人の首飾りを用意したのは女将だった。小道具はこちらで用意すると、女将は約束していたのだ。
しかし道具屋に発注する素振りがなかったので、はたしてどうするのかと疑問に思っていた。
その疑問が解けたのは今朝だった。
「お照さん、ちょっと上にいらして」
呼ばれて耕地屋の二階にあがった。初めてクレームキャラメルを食べた、思い出の南蛮風の部屋に招かれる。
「運んでもらいたいものがあるの」
女将は床の毛氈をべろりとめくった。板張りの床が現れる。
「よいしょっと」
床の中央には四角い切り込みがある。そこに真四角の板がはまっていた。
女将はその板をはずした。
さほど収納力はないものの、物を隠すにはうってつけの窪みがあった。
「こんなとこに隠し場所が?」
「わたくしの秘密なの」
取り出されたのは絹布で作られた合切袋だった。
「手を出してちょうだい」
言われるままに差し出した手の上で、女将は合切袋を逆さにした。
中から転げ出たのはずしりと重く、冷たいものだった。重く冷たいのに、夜空の星を集めたみたいに煌めいている。
「これは……首飾り?」
「ええ。わたくしを陥れた首飾りよ」
「な、なぜ女将さんが持っているんです」
女将の話では、首飾り事件の首飾りは詐欺師が持ち逃げしたはずだった。
「まさか主犯は女将さんだった……?」
「おほほほ。ちがいますよ。事件の後、主犯は首飾りを持って国外に逃げてしまったの。フランスを脱出したあと、わたくしはウワサを頼りに詐欺師のイバショをつきとめましたの。首飾りのままでは高すぎて売れないからと、バラバラにしようとしていたわ」
「詐欺師を追い詰めたんですか」
「わたくしも追われている身でしたから、詐欺師を告発することはできませんでした。その代わりにいただいてきましたのよ、それを」
女将はよほど赦せなかったのだろう。おそらくは強奪したか盗んできたのだ。
首飾りを広げてしげしげと眺めた。仏画の後光を思い出すような放射状をしている。身につけたら光が顔を照らし、明るく映えることだろう。
「粒のひとつひとつが綺麗ですね。でも」
「でも、なあに」
「色がついていればいいのに。石は水晶かギヤマンですか」
「ダイヤモンド。日本では金剛石という名だったかしら」
「金剛石……へえ」
精巧な作りではあるが、とても二十万両の価値があるとは思えなかった。真珠や珊瑚や翡翠で出来ていたならまだ納得できたろう。色がついていないのが寂しい印象を与える。
「バラバラにして数珠にするか根付や簪などにしたいですね」
「金剛石は加工が難しいのよ。とても硬いから。困ったときのお守りのつもりで大事にしてきましたけれど日本では価値が低いのかも知れませんわね。タカラノモチグサレというなら、こちらと変わらないわ」
「それはなんです」
見せてくれた小箱のなかには丸薬のような金属の玉が入っていた。
「テッポウの弾よ。火薬がないから使えないの。このまま狭いところに押し込められて朽ちて錆びていくしかないのかしらね。少なくとも芝居の役には立ちそうもないわ」
というわけで、いま高月の首を飾っているのは本物の首飾りなのだった。
舞台に高月が登場すると、
「待ってました!」「吉原一の、いやさ天下一の別嬪!」
歓声と拍手が空気を震わせる。
高月が微笑むたびにまるで雷が落ちたように地鳴りが起こる。まさにやんごとなき貴婦人の貫禄である。貴婦人のなりすまし役で白牛が現れるとどっと笑声があがる。いい緩急となっていた。
ふと視線を上げると周囲の茶屋の二階が鈴生りの人だかりとなっているのが見えた。仲之町を挟んだ向かいの茶屋はもちろん、その隣もいっぱいだ。そのなかに蔦屋と秋馬、斉藤の顔があった。
秋馬は俄芝居の錦絵を頼まれているからだろう、写生をしている。
「あれ……?」
なぜか同じように斉藤も舞台を写し取っているように見える。
「どうかしましたか、お照さん」
「はい、あの茶屋に……。女将さん?」
振り返って驚いた。南蛮衣装の女将の頭上には帆船が載っている。
「ほほほ。期待には応えてあげなくては」
「……なんの役でしたっけ」
「やんごとなき貴婦人の首を斬る、処刑人役よ」
「はあ」
蔦屋の宣伝のおかげで吉原は俄目当ての人手で大賑わいである。演者とお照は舞台の裏手にある茶屋に集合していた。
「すごいねえ、人の頭が里芋みたいだよ」
茶屋の二階から身を乗り出して、白牛は頬を紅潮させている。眼下には舞台の三方を囲むようにして、大勢の観客が押し合いへし合いしている。
「白牛さんが花笠で湧かせてくれたおかげで、観客がわくわくしてるんだよ」
シャルルの言うことは世辞ではない。
白牛率いる花笠衆はやんやの喝采を浴びた。松平定信の質素倹約に飽き飽きしていた町民は久しぶりの俄を心底から楽しんでいる。
「さあて、期待が高まったところで高月姐さんの出番だね。どきどきしてないかい」
「ちっとも」
高月は落ち着いたものである。衆目に晒されるのは花魁道中で慣れているのだ。自前で調達した最高級の打掛が眩いばかり。贔屓筋の呉服屋の若旦那が用意してくれたというそれをしどけなく着付けている。
首元を大きく開いているのには理由があった。
「よく似合っているわ、高月さん」
女将は高月の後ろに回り、首飾りをつけてあげた。
「瓔珞のようなこの首飾りで弥勒菩薩が身に宿っていることを表すのね。ギヤマンかしら」
手鏡で確かめた高月は、女将が用意した首飾りを気に入ったようだ。
やんごとなき貴婦人の首飾りを用意したのは女将だった。小道具はこちらで用意すると、女将は約束していたのだ。
しかし道具屋に発注する素振りがなかったので、はたしてどうするのかと疑問に思っていた。
その疑問が解けたのは今朝だった。
「お照さん、ちょっと上にいらして」
呼ばれて耕地屋の二階にあがった。初めてクレームキャラメルを食べた、思い出の南蛮風の部屋に招かれる。
「運んでもらいたいものがあるの」
女将は床の毛氈をべろりとめくった。板張りの床が現れる。
「よいしょっと」
床の中央には四角い切り込みがある。そこに真四角の板がはまっていた。
女将はその板をはずした。
さほど収納力はないものの、物を隠すにはうってつけの窪みがあった。
「こんなとこに隠し場所が?」
「わたくしの秘密なの」
取り出されたのは絹布で作られた合切袋だった。
「手を出してちょうだい」
言われるままに差し出した手の上で、女将は合切袋を逆さにした。
中から転げ出たのはずしりと重く、冷たいものだった。重く冷たいのに、夜空の星を集めたみたいに煌めいている。
「これは……首飾り?」
「ええ。わたくしを陥れた首飾りよ」
「な、なぜ女将さんが持っているんです」
女将の話では、首飾り事件の首飾りは詐欺師が持ち逃げしたはずだった。
「まさか主犯は女将さんだった……?」
「おほほほ。ちがいますよ。事件の後、主犯は首飾りを持って国外に逃げてしまったの。フランスを脱出したあと、わたくしはウワサを頼りに詐欺師のイバショをつきとめましたの。首飾りのままでは高すぎて売れないからと、バラバラにしようとしていたわ」
「詐欺師を追い詰めたんですか」
「わたくしも追われている身でしたから、詐欺師を告発することはできませんでした。その代わりにいただいてきましたのよ、それを」
女将はよほど赦せなかったのだろう。おそらくは強奪したか盗んできたのだ。
首飾りを広げてしげしげと眺めた。仏画の後光を思い出すような放射状をしている。身につけたら光が顔を照らし、明るく映えることだろう。
「粒のひとつひとつが綺麗ですね。でも」
「でも、なあに」
「色がついていればいいのに。石は水晶かギヤマンですか」
「ダイヤモンド。日本では金剛石という名だったかしら」
「金剛石……へえ」
精巧な作りではあるが、とても二十万両の価値があるとは思えなかった。真珠や珊瑚や翡翠で出来ていたならまだ納得できたろう。色がついていないのが寂しい印象を与える。
「バラバラにして数珠にするか根付や簪などにしたいですね」
「金剛石は加工が難しいのよ。とても硬いから。困ったときのお守りのつもりで大事にしてきましたけれど日本では価値が低いのかも知れませんわね。タカラノモチグサレというなら、こちらと変わらないわ」
「それはなんです」
見せてくれた小箱のなかには丸薬のような金属の玉が入っていた。
「テッポウの弾よ。火薬がないから使えないの。このまま狭いところに押し込められて朽ちて錆びていくしかないのかしらね。少なくとも芝居の役には立ちそうもないわ」
というわけで、いま高月の首を飾っているのは本物の首飾りなのだった。
舞台に高月が登場すると、
「待ってました!」「吉原一の、いやさ天下一の別嬪!」
歓声と拍手が空気を震わせる。
高月が微笑むたびにまるで雷が落ちたように地鳴りが起こる。まさにやんごとなき貴婦人の貫禄である。貴婦人のなりすまし役で白牛が現れるとどっと笑声があがる。いい緩急となっていた。
ふと視線を上げると周囲の茶屋の二階が鈴生りの人だかりとなっているのが見えた。仲之町を挟んだ向かいの茶屋はもちろん、その隣もいっぱいだ。そのなかに蔦屋と秋馬、斉藤の顔があった。
秋馬は俄芝居の錦絵を頼まれているからだろう、写生をしている。
「あれ……?」
なぜか同じように斉藤も舞台を写し取っているように見える。
「どうかしましたか、お照さん」
「はい、あの茶屋に……。女将さん?」
振り返って驚いた。南蛮衣装の女将の頭上には帆船が載っている。
「ほほほ。期待には応えてあげなくては」
「……なんの役でしたっけ」
「やんごとなき貴婦人の首を斬る、処刑人役よ」
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