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九十九、 大根役者
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首を斬ろうとすると真っ二つになる『からくり剣』を宝物のように抱えて、女将は階下に降りていく。
無実の罪で殺されようとするやんごとなき貴婦人が奇跡を起こすたびに観客は息を飲んだ。
さて、とうとう首斬り役人の登場である。
女将の姿は屋根が邪魔をしてよく見えない。しかし観客の困惑がざわざわと波紋のように広がっていくのを感じた。
見たい。お照は階下に降りた。
揚幕の影からそっと舞台を覗くと、処刑人役の女将が刀を振りあげたところだった。
「これはオニの首を切り落とした名刀オニ切丸よ。カクゴのほど、よろしくて」
どこかはらはらとしてしまう女将の演技である。
やんごとなき貴婦人役の高月は膝をついて天に祈る。処刑人にはとうてい見えない処刑人によって理不尽に首を斬られようとしている貴婦人の姿は神々しい。
名刀鬼切丸は小道具のため刃をつけていないが鉄でできている。しかも舞台でよく見えるように包丁並みの幅をもたせてある。
「あらやだ、重いわ」
女将の体が傾いだ。刀の重さを支えきれないのだ。
ここで女将は、高月の首に触れる直前にぴたりと止め、同時に指先で仕掛けをはずして真っ二つに割れたように演じることになっている。なのに刀の重さでふらついている。制御不能。高月の頭を直撃しそうだ。
「危ない!」
そう思ったのはお照だけではなかった。
その場の全員が固唾を飲んだ。
高月はとっさに上体を仰け反らせた。刃は高月の頭部に触れることはなかったが、首飾りを掠めた。かつんという音が響いて、観客は息を詰めた。
「ああー、なんてことお-」
女将は一拍遅れて掛け金をはずす。間抜けな音を立てて刀が割れた。
無残な姿になった鬼切丸を抱えて揚幕にはける女将。
「わたしに持たせてください!」
お照は女将の手から重量物を奪い取った。
「ありがとう。で、いかがでした、お照さん」
「え、あのう」
女将が求めているものが演技への賞賛だと気づくまでに少々間が空く。
「素晴らしい演技でした。もう時が止まるくらいに!」
「……ほんとうに?」
「ええ、ほんとうに!」
「ほほほほほ」
女将がご満悦だとお照も嬉しい。
「次は十日後ですね。今日は声の出演だけだった弥勒菩薩がついに舞台に姿を現すんですよね。どんな格好にするんですか」
「どんなって、これしかないわよ」
「処刑人と同じ服?」
「しかたありませんわ、この格好で三日間出続けるのは耕書堂さんの依頼ですもの。あらお照さん、モンダイはありませんわ。どんな格好をしていてもわたくしのエンギリョクで観客を平伏させますから」
耕書堂が売り出す予定の女将の錦絵が容易に想像できる。
万雷の拍手が轟いた。揚幕をくぐって高月が戻ってきた。初日は大成功だ。
「ああ、女将さん。首飾りを見てちょうだい」
しかし高月は不安そうな顔つきで女将の元に直行した。
「首飾りが心配なの。砕けてないかしら」
「平気よ」
女将は一瞥もせずに断言する。
代わりにお照が確かめた。
「……砕けるどころか割れもひびもないです。疵ひとつついていません」
直撃を免れたとはいえ、かつんと鳴るほどの勢いで金属の塊がぶつかったのだ。ギヤマンなら砕けていただろう。
「とても硬い、というのは本当なんですね」
「金剛石は硬いとはいってもショーゲキには弱いのよ。ショーゲキでコナミジンになることもあるわ。あれぐらいならぜーんぜんダイジョーブ」
高月は感心と安堵が入り交じった顔になった。
「硬すぎると衝撃を吸収することができませんものね。表面には傷ひとつつかない。でも衝撃で粉微塵になるなんて、まるで質素倹約の鬼、松平定信のよう」
高月はくすくすと笑った。
むろん悪気なんてない。鬼頭の正体を知らないのだ。
天下国家のためならば鬼にもなろうと尽力した松平定信は粉微塵に吹き飛んだのだ。
十日あまりがなにごともなく過ぎた。
女将一座が舞台に上らない日は芸者や人気女郎が舞台にあがった。どれも盛況だったが、やんごとなき貴婦人に勝る演し物はなかった。
「早く続きをやれ」「高月花魁はまだか」
評判が評判を呼び、短時日で売り出した耕書堂の錦絵は飛ぶように売れているという。人気のみなもとは言うまでもなく高月である。
高月が観客に流し目を送り、微笑みかけるだけで、どよめきが起こる。貴婦人が窮地に陥ればともに歎き、理不尽な目に遭うとともに怒り、勇ましく戦うと盛大な声援が上がった。
演者と観客が一体となって楽しんでいる。芝居の力は偉大である。
「大成功間違いないしですね、女将さん」
「わたくしの錦絵はなぜか不人気のようですけれど」
納得がいかないと女将は不平をこぼした。
「そんなことないですよ。高月花魁が群を抜いているだけですって」
「今日も蔦屋さんは絵師を連れてきていますわね」
女将の視線の先には、初日同様、斜め向かいの茶屋の二階に蔦屋の姿があった。両隣には秋馬と斉藤がいて絵筆を握っている。
「斉藤さまは絵を嗜まれるのかしら」
「あら、お照さんだってわたくしだって、描いているじゃないの」
そう言われると秋馬に習っていながらなかなか上達しないお照は少し後ろめたい気分になる。
斉藤は自分たちと同じ、秋馬の弟子なのかもしれないと思った。
「さあ、出番よ」
その日はお照とシャルルも出演した。
幼いシャルルが荒事の真似を懸命にこなせば受けもよい。
お照は怪異を予見する瞽女の役だった。女将が新しく書き加え、なにやら嫌なことが起こりそうだと観客の関心を引くのが狙いだ。
この日も喝采を浴びて、演者一同非常に気分が良かった。
だから油断したのだ。
無実の罪で殺されようとするやんごとなき貴婦人が奇跡を起こすたびに観客は息を飲んだ。
さて、とうとう首斬り役人の登場である。
女将の姿は屋根が邪魔をしてよく見えない。しかし観客の困惑がざわざわと波紋のように広がっていくのを感じた。
見たい。お照は階下に降りた。
揚幕の影からそっと舞台を覗くと、処刑人役の女将が刀を振りあげたところだった。
「これはオニの首を切り落とした名刀オニ切丸よ。カクゴのほど、よろしくて」
どこかはらはらとしてしまう女将の演技である。
やんごとなき貴婦人役の高月は膝をついて天に祈る。処刑人にはとうてい見えない処刑人によって理不尽に首を斬られようとしている貴婦人の姿は神々しい。
名刀鬼切丸は小道具のため刃をつけていないが鉄でできている。しかも舞台でよく見えるように包丁並みの幅をもたせてある。
「あらやだ、重いわ」
女将の体が傾いだ。刀の重さを支えきれないのだ。
ここで女将は、高月の首に触れる直前にぴたりと止め、同時に指先で仕掛けをはずして真っ二つに割れたように演じることになっている。なのに刀の重さでふらついている。制御不能。高月の頭を直撃しそうだ。
「危ない!」
そう思ったのはお照だけではなかった。
その場の全員が固唾を飲んだ。
高月はとっさに上体を仰け反らせた。刃は高月の頭部に触れることはなかったが、首飾りを掠めた。かつんという音が響いて、観客は息を詰めた。
「ああー、なんてことお-」
女将は一拍遅れて掛け金をはずす。間抜けな音を立てて刀が割れた。
無残な姿になった鬼切丸を抱えて揚幕にはける女将。
「わたしに持たせてください!」
お照は女将の手から重量物を奪い取った。
「ありがとう。で、いかがでした、お照さん」
「え、あのう」
女将が求めているものが演技への賞賛だと気づくまでに少々間が空く。
「素晴らしい演技でした。もう時が止まるくらいに!」
「……ほんとうに?」
「ええ、ほんとうに!」
「ほほほほほ」
女将がご満悦だとお照も嬉しい。
「次は十日後ですね。今日は声の出演だけだった弥勒菩薩がついに舞台に姿を現すんですよね。どんな格好にするんですか」
「どんなって、これしかないわよ」
「処刑人と同じ服?」
「しかたありませんわ、この格好で三日間出続けるのは耕書堂さんの依頼ですもの。あらお照さん、モンダイはありませんわ。どんな格好をしていてもわたくしのエンギリョクで観客を平伏させますから」
耕書堂が売り出す予定の女将の錦絵が容易に想像できる。
万雷の拍手が轟いた。揚幕をくぐって高月が戻ってきた。初日は大成功だ。
「ああ、女将さん。首飾りを見てちょうだい」
しかし高月は不安そうな顔つきで女将の元に直行した。
「首飾りが心配なの。砕けてないかしら」
「平気よ」
女将は一瞥もせずに断言する。
代わりにお照が確かめた。
「……砕けるどころか割れもひびもないです。疵ひとつついていません」
直撃を免れたとはいえ、かつんと鳴るほどの勢いで金属の塊がぶつかったのだ。ギヤマンなら砕けていただろう。
「とても硬い、というのは本当なんですね」
「金剛石は硬いとはいってもショーゲキには弱いのよ。ショーゲキでコナミジンになることもあるわ。あれぐらいならぜーんぜんダイジョーブ」
高月は感心と安堵が入り交じった顔になった。
「硬すぎると衝撃を吸収することができませんものね。表面には傷ひとつつかない。でも衝撃で粉微塵になるなんて、まるで質素倹約の鬼、松平定信のよう」
高月はくすくすと笑った。
むろん悪気なんてない。鬼頭の正体を知らないのだ。
天下国家のためならば鬼にもなろうと尽力した松平定信は粉微塵に吹き飛んだのだ。
十日あまりがなにごともなく過ぎた。
女将一座が舞台に上らない日は芸者や人気女郎が舞台にあがった。どれも盛況だったが、やんごとなき貴婦人に勝る演し物はなかった。
「早く続きをやれ」「高月花魁はまだか」
評判が評判を呼び、短時日で売り出した耕書堂の錦絵は飛ぶように売れているという。人気のみなもとは言うまでもなく高月である。
高月が観客に流し目を送り、微笑みかけるだけで、どよめきが起こる。貴婦人が窮地に陥ればともに歎き、理不尽な目に遭うとともに怒り、勇ましく戦うと盛大な声援が上がった。
演者と観客が一体となって楽しんでいる。芝居の力は偉大である。
「大成功間違いないしですね、女将さん」
「わたくしの錦絵はなぜか不人気のようですけれど」
納得がいかないと女将は不平をこぼした。
「そんなことないですよ。高月花魁が群を抜いているだけですって」
「今日も蔦屋さんは絵師を連れてきていますわね」
女将の視線の先には、初日同様、斜め向かいの茶屋の二階に蔦屋の姿があった。両隣には秋馬と斉藤がいて絵筆を握っている。
「斉藤さまは絵を嗜まれるのかしら」
「あら、お照さんだってわたくしだって、描いているじゃないの」
そう言われると秋馬に習っていながらなかなか上達しないお照は少し後ろめたい気分になる。
斉藤は自分たちと同じ、秋馬の弟子なのかもしれないと思った。
「さあ、出番よ」
その日はお照とシャルルも出演した。
幼いシャルルが荒事の真似を懸命にこなせば受けもよい。
お照は怪異を予見する瞽女の役だった。女将が新しく書き加え、なにやら嫌なことが起こりそうだと観客の関心を引くのが狙いだ。
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