江戸のアントワネット

あかいかかぽ

文字の大きさ
8 / 127

八、 白牛

しおりを挟む
 ぽかんとした顔の女が出迎える。耳が遠いのか反応が鈍い。

「うしぃ?」

「はい、白い牛です!」

 ひときわ大きな声を出すと、女はうっとうしげに手を払った。

「ああ、白牛はくぎゅうに用かい。二階にいるよ。勝手にあがればいいよ」

「え、いいんですか」

「こっちは宿酔いがひどいんだ、大声をあげないでおくれよ」

 二階にあがるには段梯子だんばしごしかない。
 段梯子を牛が上るわけがない、となると、もう薬になっているのでは、と覚悟して上った先には、布団に寝そべったまま煙管きせるの煙をくゆらす女郎がひとり。

「わっちのこと、呼んだ?」

 その両目はとろんとして焦点を結んでいない。
 潰れた豆腐のような身体をぷるぷると揺らす。
 そこでようやく勘違いをしていたことに気づいた。

「白牛……さん」

「そうだよ」

 白牛という名の女郎のことだったのだ。
 煙管の煙がねっとりとまといつくように甘く香る。
 シャルルはぺたんと畳に座り込んだ。

 無駄と知りつつ、お照はたずねた。

「白い本物の牛は見てませんか」

「はっ、牛がいるわけないだろ、吉原に。ここは男の夢の国さ。夢を壊すようなもんはあっちゃならねえのさ」

 鼻のふたつの穴と歯の抜けた口からだらしなく煙を吐き出して白牛は笑う。

「おや、あんた。たしか、異国から来た子だよねえ」

 シャルルの頬に手を伸ばす。

「すべすべじゃないか。若いっていいねえ」

 思わずお照は白牛の手を叩いた。

「いて、なにすんだい」

「もう用は済みました。シャルル、失礼しましょう。ほかを探さなくちゃ」

「うん」

 シャルルはほっとした表情でお照を見あげた。

「ちょっと待ちなよ。勝手に勘違いして部屋まであがっておいてさ、花代とは言わないけどさ、代わりに土産話の一つや二つくらいしていくもんさ」

「土産話なんて」

「昨日、異国のこどもが女郎のホトケを見つけたんだってね。あんたのことだろ」

 白牛は煙管を灰落としに叩きつけた。カンと小気味いい音が響く。
 シャルルはびくんと身体を震わせた。
 お照は思わず身を乗り出した。

「わたしもその場にいたんですよ。代わりにわたしが話してあげましょう」

「ふうん、いいけどさ。……その女、どうなったんだい。そも、なんで死んだんだい」

 白牛はふいに天井を見上げた。つかみどころのない煙を追いかけるように視線をさまよわせ、諦めたように目を伏せる。

「同心の半兵衛さんの話では女はみずからお歯黒どぶに飛び込んだってことなんですけど、どうにも疑わしいんです。……半兵衛さんはあまり、その、やる気がなさそうでした。せめて身元くらいは真剣に探してあげないと、引き取り手が現れなかったらホトケさんはお寺に……あ、もしかして白牛さん、心当たりでも?」

 白牛はぷっと吹きだした。

「あるわけないだろ、吉原には三千を越える女郎がいるんだよ。呼び出しの花魁と線香女郎を並べちゃおこがましいけどね。その死んだ妓もさ、ある意味苦界から逃げ出せたんだ、よかったじゃないか。わっちは身体が重いんで、逃げ出そうなんて思わないけどね」

「その女郎というのは、恐ろしいことに、折檻で足を折られていて……」

 白牛は煙管をまたもカンと鳴らした。

「半兵衛がずさんなのは仕方ないさ。客が殺されでもしたのなら別だろうけど。折檻のあげく死なれちまうなんて、どこの女郎屋か知らないが阿呆だね。あんたはもう忘れちまいな。女郎の死をいちいち数えていたら頭がおかしくなるよ」

 白牛は大きなあくびをした。

「話は今度聞くことにするよ。今日のところは貸しにしてやる。どうにも眠いからもう帰っていいよ」

「はあ」

 自分から引き止めて話をねだったくせに、眠くなったから帰っていいと突き放すのは実に……自由な人だ。
 ひそかに息を吐いた。今日からおのれも同じ吉原の住人である。吉原の考え方や掟を、否が応でも受け入れるしかないだろう。
 お照とシャルルは外に出た。

 道行く人に牛を『モウと鳴く白い牛』を見なかったか訊ねたが答えは全部いなだった。

「どうしよう。ぼくがちゃんとかんぬきをかけておかなかったせいだ。お母さまに怒られる」

 シャルルはすっかりしょげかえっていた。

「女将さんは怒ると怖いの」

「うん……すごく……」

 今にも泣き出しそうな表情になる。親に叱られるのが怖いと涙ぐむなんて、なんともこどもらしい。
 お照は心の底から安堵した。
 七つ八つほどの童子の振る舞いとしては、どこか不自然なものを感じていたからだ。
 さきほど薬食いの話をしたときも、こどもらしい怯えた顔が見たかったという気持ちも、ほんのちょっぴりあったことは我ながら否定できない。

 しかし、あの弥勒菩薩のような女将が怒ると怖いとは想像しにくい。

「お父さんも怖い人なの? きっと違うでしょう。優しいかたなんじゃない」

「うん、そうだよ。どうしてわかるの?」

 母親が厳しいと父親は甘やかすものだ。逆の場合も同じで、世の中には実によくあること。異人の家族も同じなのではと思っただけだったのだが、尊敬のまなざしをしたシャルルに見上げられて、すこぶる気持ちが良かった。

「ならお父さんに先に謝りましょう。女将さんに伝える前に」

「無理だよ、だってお父さまはフランスにいるし」

「フランスって?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...