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十七、 千代田のお城へ
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八の字眉が逆八の字になった。
見かねた半兵衛が鬼頭に耳打ちする。
「少しばかりなら明かしてもよいのでは。この娘、案外と頑固です」
「しかたないな」鬼頭は呆れ顔だ。「あの足は折檻のあとではない。あのように足を折り曲げる風習を持った国に生まれた女なのだ」
「え……? 身元がわかったのですか?」
鬼頭は首を振る。
「わからなくてもよい。幼いころからあの足で慣れているので、けして歩けないわけではないのだ。どうだ、疑念は晴れたろう」
「じゃあ、どうして死を選んだのでしょう。理由はなんなんでしょう。それに、足に特徴があるなら身元もすぐにわかりそうですよね」
「……それ以上は詮索をするな。詮索したら……」
鬼頭は半兵衛に視線を移した。鬼頭の口元も半兵衛の目元もきつく陰っている。
詮索したら鬼頭によってお歯黒どぶに投げ込まれるのだろうか。おのれの心音がやけに耳に響く。
「しッ。女将が来た」
三人とも黙り込んだ。死体の話を女将の前でしたくないというのは、どうやら共通認識のようだ。女将にはもっと華やかで楽しく、心浮き立つ話題が似合う。
「お待たせいたしました。さあ、出かけましょうか」
女将は腰を絞りこんだ西洋の衣装に着替えていた。腰から下は釣り鐘型に膨らんでいる。髪もきっちりと結われていた。
シャルルの洋装も初めて見た。細かな花模様の刺繍が美しい。
「フランスでは殿方の服にシシューがあるのです。婦人の服は織模様ばかりでシシューはありませんのよ」
「お母さま、少し窮屈になってきました」
「あら、それはいけませんね。新しい服を作らなければ」
と言いつつ、女将はシャルルの成長に誇らしげだ。自慢したくなる気持ちはよくわかる。
おふたりとも、まさに異国の殿上人然としていて、とても似合っているのだ。
「大門の外に駕籠を用意してある。吉原を出る許可もすでに取ってある。行くぞ」
やはり、女将が吉原を出るには許可がいるのだ。
女将は絹張りの扇子を広げて優雅にあおぐ。
「駕籠はいくつ用意してあるのかしら」
「いつも通り、三つだ」
「では一つにオニが、もう一つにわたくしが、最後の一つにお照とシャルルが乗りましょう」
「え」
驚いたのはお照と半兵衛である。
「半兵衛どの、お供はけっこうです。わたくしの代わりに昼までにクレームキャラメルを万寿屋に届けてちょうだいね」
「なんでおれが。お照を残せばいいでしょうが」
「お照さんはわたくしの侍女なのです。貴婦人は一人で出かけませんのよ。吉原のリューギでいえばカムロやシンゾの役割ですわ。それに、わたくしたちが不在のほうがなにかと都合がいいこともあるでしょう」
「……わかりましたよ」
半兵衛はにがにがしげな口ぶりで承諾した。
泊まり客を大門まで見送りにきた遊女がちらりほらり。その中に白牛を見つけた。向こうも気がついたらしく、軽く目配せを寄こす。
言葉はなくても、「どうだい、わっちの客。いい男だろう」とその目が語っている。
たしかに白牛が寄り添う男は垢抜けていた。すらりと背が高く細い髷が似合っている。だがこっちだって負けてはいない。
「ええい、どけどけ」
半兵衛が乱暴に人をかきわける。
空いたすきまに、異装の女将が品良く淑やかに歩く。ついさっきまで眠そうにあくびをしていたなんて微塵も感じさせない。
そのあとに続くのはりりしいシャルル、シャルルと手を繋いだお照は注目が恥ずかしくて顔を伏せる。
鬼頭はにこにこしながらしんがりを務める。
「おや、ベルサイユの女将さんだ」
「異人が我が物顔で歩いてらあ」
感嘆と嘲笑と揶揄が飛び交い、それはねっとりとした波となって波紋を描く。
「日本橋の魚市場かと思ったよ。てかてか光ってる」
「番屋の居候、もとい半兵衛が張り切ってるねえ」
なにも聞こえぬふうに通り過ぎた女将は、大門を一歩出たところでくるりと裾をひるがえすと、
「では、みなさま、ごきげんよう」
と膝を軽く曲げて会釈をした。
ほう、とあちこちから溜息が漏れるのがお照は誇らしかった。
千代田城には町駕籠で向かった。公儀御用の黒漆塗りは目立ちすぎるという配慮だろう。
似通った武家屋敷をいくつも通りすぎ、ようやく降りた場所は大手門ではない。石垣が小さく抉られただけのささやかな出入り口の前だった。
駕籠搔きに待っているよう言いつけて鬼頭が先頭に立ってずんずんと進んでいく。
お照は目の前の、高くて長い城壁を仰ぎ見た。
ここは江戸で一等偉い人が住んでいるところだ。おのれとはなんの関係もない、いわば異界のようなものだ。そんな場所に足を踏み入れる巡り合わせがあるなんて。
ところがその足が動かない。急に恐ろしくなって、その場ですくみあがったのだ。
「早く来い」
鬼頭がときどき振り返って、お照を叱った。
「さあ、まいりましょう」
女将が右手を、シャルルが左手を握ってくれた。
「あなたはわたくしの侍女なのですから、おどおどすることはありません。この城はやたらと広い平面をしているだけなのですから」
女将の励ましはお照をさらに戸惑わせた。
見かねた半兵衛が鬼頭に耳打ちする。
「少しばかりなら明かしてもよいのでは。この娘、案外と頑固です」
「しかたないな」鬼頭は呆れ顔だ。「あの足は折檻のあとではない。あのように足を折り曲げる風習を持った国に生まれた女なのだ」
「え……? 身元がわかったのですか?」
鬼頭は首を振る。
「わからなくてもよい。幼いころからあの足で慣れているので、けして歩けないわけではないのだ。どうだ、疑念は晴れたろう」
「じゃあ、どうして死を選んだのでしょう。理由はなんなんでしょう。それに、足に特徴があるなら身元もすぐにわかりそうですよね」
「……それ以上は詮索をするな。詮索したら……」
鬼頭は半兵衛に視線を移した。鬼頭の口元も半兵衛の目元もきつく陰っている。
詮索したら鬼頭によってお歯黒どぶに投げ込まれるのだろうか。おのれの心音がやけに耳に響く。
「しッ。女将が来た」
三人とも黙り込んだ。死体の話を女将の前でしたくないというのは、どうやら共通認識のようだ。女将にはもっと華やかで楽しく、心浮き立つ話題が似合う。
「お待たせいたしました。さあ、出かけましょうか」
女将は腰を絞りこんだ西洋の衣装に着替えていた。腰から下は釣り鐘型に膨らんでいる。髪もきっちりと結われていた。
シャルルの洋装も初めて見た。細かな花模様の刺繍が美しい。
「フランスでは殿方の服にシシューがあるのです。婦人の服は織模様ばかりでシシューはありませんのよ」
「お母さま、少し窮屈になってきました」
「あら、それはいけませんね。新しい服を作らなければ」
と言いつつ、女将はシャルルの成長に誇らしげだ。自慢したくなる気持ちはよくわかる。
おふたりとも、まさに異国の殿上人然としていて、とても似合っているのだ。
「大門の外に駕籠を用意してある。吉原を出る許可もすでに取ってある。行くぞ」
やはり、女将が吉原を出るには許可がいるのだ。
女将は絹張りの扇子を広げて優雅にあおぐ。
「駕籠はいくつ用意してあるのかしら」
「いつも通り、三つだ」
「では一つにオニが、もう一つにわたくしが、最後の一つにお照とシャルルが乗りましょう」
「え」
驚いたのはお照と半兵衛である。
「半兵衛どの、お供はけっこうです。わたくしの代わりに昼までにクレームキャラメルを万寿屋に届けてちょうだいね」
「なんでおれが。お照を残せばいいでしょうが」
「お照さんはわたくしの侍女なのです。貴婦人は一人で出かけませんのよ。吉原のリューギでいえばカムロやシンゾの役割ですわ。それに、わたくしたちが不在のほうがなにかと都合がいいこともあるでしょう」
「……わかりましたよ」
半兵衛はにがにがしげな口ぶりで承諾した。
泊まり客を大門まで見送りにきた遊女がちらりほらり。その中に白牛を見つけた。向こうも気がついたらしく、軽く目配せを寄こす。
言葉はなくても、「どうだい、わっちの客。いい男だろう」とその目が語っている。
たしかに白牛が寄り添う男は垢抜けていた。すらりと背が高く細い髷が似合っている。だがこっちだって負けてはいない。
「ええい、どけどけ」
半兵衛が乱暴に人をかきわける。
空いたすきまに、異装の女将が品良く淑やかに歩く。ついさっきまで眠そうにあくびをしていたなんて微塵も感じさせない。
そのあとに続くのはりりしいシャルル、シャルルと手を繋いだお照は注目が恥ずかしくて顔を伏せる。
鬼頭はにこにこしながらしんがりを務める。
「おや、ベルサイユの女将さんだ」
「異人が我が物顔で歩いてらあ」
感嘆と嘲笑と揶揄が飛び交い、それはねっとりとした波となって波紋を描く。
「日本橋の魚市場かと思ったよ。てかてか光ってる」
「番屋の居候、もとい半兵衛が張り切ってるねえ」
なにも聞こえぬふうに通り過ぎた女将は、大門を一歩出たところでくるりと裾をひるがえすと、
「では、みなさま、ごきげんよう」
と膝を軽く曲げて会釈をした。
ほう、とあちこちから溜息が漏れるのがお照は誇らしかった。
千代田城には町駕籠で向かった。公儀御用の黒漆塗りは目立ちすぎるという配慮だろう。
似通った武家屋敷をいくつも通りすぎ、ようやく降りた場所は大手門ではない。石垣が小さく抉られただけのささやかな出入り口の前だった。
駕籠搔きに待っているよう言いつけて鬼頭が先頭に立ってずんずんと進んでいく。
お照は目の前の、高くて長い城壁を仰ぎ見た。
ここは江戸で一等偉い人が住んでいるところだ。おのれとはなんの関係もない、いわば異界のようなものだ。そんな場所に足を踏み入れる巡り合わせがあるなんて。
ところがその足が動かない。急に恐ろしくなって、その場ですくみあがったのだ。
「早く来い」
鬼頭がときどき振り返って、お照を叱った。
「さあ、まいりましょう」
女将が右手を、シャルルが左手を握ってくれた。
「あなたはわたくしの侍女なのですから、おどおどすることはありません。この城はやたらと広い平面をしているだけなのですから」
女将の励ましはお照をさらに戸惑わせた。
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