江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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三十四、 花魁の忠告

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「憐れむのはいたしかたないこと、ではございません?」

「わちきは天下御免てんかごめんの吉原の花魁、可哀想だとか気の毒だとか思われるのはまっぴらごめんでありんす。さきほどは見得や張りで女将さんとは張り合わないと言いましたけど、ちっぽけな了見りょうけんには抵抗してごらんにいれましょう」

 意外なことに女将は「わかるわ」と答えた。

「かっこいい。歌舞伎の見得みたい」

 とシャルルが言うと、真琴は鼻高々だ。

「花魁は禿や新造が身の不幸を嘆くと無様と叱ります。そのおかげでわっちは自分のことを嫌わないでいられるのです」

 高月と真琴にある信頼関係はお照から見ても眩しいものだった。女将とシャルルにも共通するものがありそうだ。少しばかり居心地の悪さを感じて、すぐ目の前にある皿を見た。
 たけのこの料理だ。ブールで焼き、少量の醤油で味付けしてある。一口かじってみた。

「これ、とっても美味しいですよ!」

 お照の言に惹かれたのか、高月は迷いなくぱくりと頬張った。

「あら、これは上上吉じょうじょうきち。真琴もお食べ」

「あい」

 真琴につられてシャルルも食べた。
 小さなお腹はすぐにいっぱいになったようで、まもなく真琴はうとうとし始めた。シャルルも目を擦ってあくびを繰り返す。

 女将はそんなようすを面白そうに眺めていた。
 高月も「寝かせときましょう」と言う。

「バル・マスケ(仮面舞踏会)はそろそろお開きね。素顔になりましょう。なぜわたくしを呼んだの。ワビなどと白々しいコージツは聞きたくありませんわ」

 すると高月は箸を置いた。

「忠告でありんすよ」

「どのような?」

 ふいにどこかの座敷から三味線と小唄が聞こえてきた。しんと静まった部屋の温度が急に下がった気がした。いまさら眠いふりもできない。

「あれはほんとうに自害だったのか疑わしい、そんな噂話が厄介な小蠅みたいにわちきの耳にも飛び込んできたんですよう。ホトケさんはもうとうに投げ込み寺の土の中。人の噂もなんとやら、と言いますけれど、なかなか耳の穴から小蠅が出てくれなくて困っちまって」

 あれ、とは身投げした遊女のことだとお照にはぴんときた。鬼頭の忠告が耳に蘇る。

『わしは遊女の件、女将を疑っておる。あれは得体の知れぬ女だ』
『味方はわししかいない』

「ソッチョクにおっしゃってけっこうよ」

「女将さんとなんか関係があるんじゃないかって疑ってる連中がいるんですよう。みんな女将さんがおっかないって。だからわちきが確かめにきたんでござりんす」

 高月はちらりと真琴の寝顔に視線を流す。姉女郎としては黒い噂のある女将に妹分の禿を近づけたくないという意味なのだ。その気持ちはよくわかる気がした。
 とはいえ、女将が疑われる理由がわからない。お照の口は勝手に動いていた。

「女将が遊女を殺して得になることがあるんでしょうか」

「それはわかりんせん」

「どこの遊女屋の者かもわからずじまい。それなのに女将と結びつけるのはなぜなんでしょうか。どこのどなたが無責任な噂を流してるのでしょうか。会所ですか、番所ですか。三浦屋さんでしょうか」

「出しゃばり口をききなさんな。わちきは女将さんに聞いてるの」

 ぴしゃりと高月にたしなめられる。
 お照の視線を女将は受け止めた。

「チューコクは承りました。でも、わたくしはムジツでしてよ」

「ならいいんです。根も葉もない噂というものは軽くて空に浮くもんで、勝手に飛び回るもんです。お気を付けください」

 高月は艶やかに顔をほころばせる。
 お照は急に恥ずかしくなって下を向いた。
 文句は鬼頭に言うべきだったのだ。女将を疑う相応な理由があるなら、あのとき聞くべきだったのだ。そしてそれが納得いかないものだったら自分の口で反論するべきだったのだ。
 高月にぶつけても心のもやは晴れやしない。

 ふと半兵衛は何を考えているのだろうと思った。
 彼は、女将に懸想けそうしている素振りは役回りに伴う演技だとうそぶいていた。
 鬼頭の指示で女将を見張っているのだとしても、本音はどうなのか。鬼頭の言うことを信じているのか。

 明日は番所に顔を出して半兵衛さんと話をしてみようかと思い至ったとき、女将の声がお照の耳朶を打った。

「あの女は遊女ではありませんよ」

 お照と高月が同時に女将を見た。
 なにか重要なことを女将は知っている。予感が胸をざわつかせた。

「誰が殺したのかは、いいえ、本当に自害かもわかりませんけど、ともかくお歯黒どぶでおぼれ死んだのではありません。捨てられたんです。ムクロの処分に困ったんでしょうね。吉原の外側にいる人間によってです」

「なぜ、わざわざ吉原に」

 お照が口を開くよりも高月のほうが早かった。

「捨てるのにツゴウがよかったんでしょうね。遊女の自害ならロクに調べないでしょう。もちろんわざわざ遠いところからムクロを運ぶとも思えません。だからきっと近くの住人ね」

「ち、近くってこの回りは田畑ばかり、じゃないですか」

 お照は焦って舌を噛みそうになった。
 高月ははっと顔をあげた。

「ぽつりぽつりと家はあったわね。農家がほとんどだと思うけれど……林間に隠れるように建っているいくつもあるわ。裕福なご隠居が若い妾と住んでいるとか、ありふれた話」

「なんで見たように語れるんですか?」

「見たからよ。もっとも数年前のことだけど」

 高月によると吉原で火事は珍しくない。妓楼が焼け落ちると一時的に別の場所に移って営業する。大門を出入りするさい、故郷に似た田園の風景と空気をしっかりと心に焼き付けたのだとか。

「では近所のご隠居が若い妾をあやめたんでしょうか」

 お照の怯えた声に、高月と女将が同時に笑い出した。

「そんなに怖がらなくても。お照さんが妾にならなければいいだけじゃないの」

 そう言われても、口入れ屋の千太郎のところで月極の妾を募る案件を目にしたことがあるだけに、自分とはまったく関わりのないことだと思えない。
 女将の推量ははたして正しいのだろうか。鬼頭の話では亡骸は『異国の女』である。

 そのことをお照が口にしようとしたそのとき、廊下から声がかかる。絵師が到着したのだ。
 公にできない話はここで打ち切り。女将と高月が同時に目配せをした。
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