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四十四、 吉原俄芝居
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「ニワカ芝居ですって。まあ、なんてステキ!」
秋馬不在のサロンは昼見世が始まるまでの朝のあいだに開かれた。
白牛に楽しかった思い出を聞いてみようという試みからこぼれでたのは、吉原俄だった。数年前の俄で花笠踊りをしたのが楽しかったというのだ。
吉原名物の俄芝居。踊ったり歌ったり演じたりして八月いっぱい客を吉原に引き寄せる催しである。ところがここ数年は催されていない。松平定信公の奢侈禁止令を理由にしつつ、出費の割に客足に結びつかないという理由で寄合が『自粛』しているのだ。
花笠踊りで浮き世の憂さは吹き飛ぶかもしれないと苦笑する白牛に、女将は「それよ!」と目を輝かせた。
「わたくし、昔から舞台が大好きですの。観るのも、歌うのも、演じるのも。ぜひ参加させてもらいたいものですわ。いえ、いっそサロンのみなさまでやりませんこと」
高月が戸惑い気味に口を開いた。
「楼主にきいたのですけど今年もやらないそうです。やりたいなら座敷のなかで小さな催しを好きにすればいいと。派手な催しをしたらご公儀に目をつけられるかもしれないからと」
「彼らになにができるものですか。退屈しのぎの素人芝居に文句など言わせませんわ。仲之町の一部を舞台にできるかしら。わたくしが主催すると、寄合に相談してみましょうか」
お照の瞼は引きつけでも起こしたかのように、幾度もまばたきをした。
女将は吉原との関わり合いや馴れ合いを好まないのではなかったか。女将が中心になって芝居をするなどと言ったら鬼頭は良い顔はしないだろう。
制止を期待して半兵衛を振り返ったが、難しい顔で黙りこくっている。
「半兵衛さんはどう思うんですか」
「吉原全体でやるのではなく規模の小せえ芝居なら、まあ、大丈夫じゃねえかな」
「えええ」
牡丹が咲き誇るような女将の笑顔に、同心ともあろうものがでれでれとなっている。
「お母さま、ぼくは見得を切りたいです」
シャルルが助六の真似をすると座敷は笑いに包まれた。
「そうね、歌舞伎のように華やかで、誰が観てもわかりやすいお話にしましょう。台詞は音曲にのせましょう。わたくし、歌も得意ですのよ」
そこで女将は一節披露した。
およそ、ものの上手とはかけ離れていた。それがお照だけの感覚ではないことは、半兵衛以外の手拍子が控えめだったことが物語っている。
「わっちは参加したいね。できたら台詞のある役で。あとは踊り、花笠踊り。大勢で踊りたいね」
白牛が手をあげる。
「ありがとう、ぜひ手伝ってちょうだい。ああ、わくわくしてきたわ。ベルサイユ宮殿にはわたくし専用の舞台があったのですよ。大好きな友人たちと一緒に何度も舞台を踏んだわ。カンラン席には国王陛下とフェル……いいえ、そうね、高貴な方々をご招待したほうがよろしいかしら。ショーグンとか」
「それはいかがなものかと」
さすがに半兵衛が止めに入った。
そのとき、障子がすっと開いた。
「遅くなってすんません」
入ってきたのは秋馬であった。
走って来たのだろう、額にうっすらと汗を滲ませている。その視線は忙しなく一同の顔をさまようと、高月の上にとまった。白かった顔が赤く変色する。実験を見ているようだった。
「まあ、よかった。心配していたでありんす」
高月がすかさず演技力を発揮した。
お照が茶を注いで渡すと秋馬は一息に飲み干した。
「ああ、うめえ」
半兵衛が秋馬を手招きした。
「よく解放してもらえたな。疑いは晴れたのか」
「いやあ、無罪放免って言われたわけじゃあないんで。ですが荷運びの話をしたら解放してもらえました」
阿芙蓉入りの煙草草の件はどうなったのだろうと、お照が耳を澄ませていると、
「あの煙草草、じつは荷運びの荷をちょろまかしたもんだったんです。どうやら抜け荷だったらしくて、まいりました。いつどこに運んだのかを洗いざらい全部話したら、もう帰っていいって放り出されましたよ」
秋馬が舟で運んだ荷物のほとんどは阿芙蓉入りの煙草草だったようだ。
「鬼の旦那はどうやら最初から抜け荷を調べるのが目的だったみたいっすね。女郎殺しの容疑は取り調べの口実だったみたいで」
秋馬はとばっちりだったと苦笑した。
「だったら最初から言えばいいのに。なんてひねくれてるんでしょうね。秋馬さんを拘束したのは、女将に対する嫌がらせでもあるんですよ。わたしに賭けを持ちかけたのも嫌がらせです」
お照は思わず力説した。
「そこんところは、おいらにはわかりかねます。でも女将さんに近寄るなとかは言われませんでしたよ。えっと、みなさん、今日は絵は描かないんで?」
前回のサロンとは異なる雰囲気を察して、秋馬が不安げな顔になった。
女将はあの澄んだ瞳を秋馬に据えて、
「お芝居はお好き? 舞台に立ってみたいと思ったことはあるかしら?」
「はあ?」
高月は眉を寄せた。
「芝居はいいと思うけれど、異国人が舞台に立つなんて知れ渡ったら江戸中の人が見に来てしまうんじゃないかしら。吉原にはいい宣伝になるけれど、ひとつ大きな問題があるわ」
「わたくしの大いなる道をさえぎる大問題とはいったいなんですの」
女将の勢いに気圧されつつ、高月が愛想笑いを浮かべた。
「お金がかかりすぎます。吉原の宣伝になるとしても寄合は快く負担してくれないでしょう。衣装や道具も用意しないといけません。三百両は覚悟しておかないと。練習は朝するにしても、当日は身揚りしなければいけないですし」
身揚りとは、遊女自らが自分の揚げ代を支払って休みを取ることをいう。白牛はともかく、高月は高級花魁だ。揚げ代は高い。
「お金がないなら、作ればいいじゃない」
女将の口振りは驚くほどあっけらかんとしていた。
秋馬不在のサロンは昼見世が始まるまでの朝のあいだに開かれた。
白牛に楽しかった思い出を聞いてみようという試みからこぼれでたのは、吉原俄だった。数年前の俄で花笠踊りをしたのが楽しかったというのだ。
吉原名物の俄芝居。踊ったり歌ったり演じたりして八月いっぱい客を吉原に引き寄せる催しである。ところがここ数年は催されていない。松平定信公の奢侈禁止令を理由にしつつ、出費の割に客足に結びつかないという理由で寄合が『自粛』しているのだ。
花笠踊りで浮き世の憂さは吹き飛ぶかもしれないと苦笑する白牛に、女将は「それよ!」と目を輝かせた。
「わたくし、昔から舞台が大好きですの。観るのも、歌うのも、演じるのも。ぜひ参加させてもらいたいものですわ。いえ、いっそサロンのみなさまでやりませんこと」
高月が戸惑い気味に口を開いた。
「楼主にきいたのですけど今年もやらないそうです。やりたいなら座敷のなかで小さな催しを好きにすればいいと。派手な催しをしたらご公儀に目をつけられるかもしれないからと」
「彼らになにができるものですか。退屈しのぎの素人芝居に文句など言わせませんわ。仲之町の一部を舞台にできるかしら。わたくしが主催すると、寄合に相談してみましょうか」
お照の瞼は引きつけでも起こしたかのように、幾度もまばたきをした。
女将は吉原との関わり合いや馴れ合いを好まないのではなかったか。女将が中心になって芝居をするなどと言ったら鬼頭は良い顔はしないだろう。
制止を期待して半兵衛を振り返ったが、難しい顔で黙りこくっている。
「半兵衛さんはどう思うんですか」
「吉原全体でやるのではなく規模の小せえ芝居なら、まあ、大丈夫じゃねえかな」
「えええ」
牡丹が咲き誇るような女将の笑顔に、同心ともあろうものがでれでれとなっている。
「お母さま、ぼくは見得を切りたいです」
シャルルが助六の真似をすると座敷は笑いに包まれた。
「そうね、歌舞伎のように華やかで、誰が観てもわかりやすいお話にしましょう。台詞は音曲にのせましょう。わたくし、歌も得意ですのよ」
そこで女将は一節披露した。
およそ、ものの上手とはかけ離れていた。それがお照だけの感覚ではないことは、半兵衛以外の手拍子が控えめだったことが物語っている。
「わっちは参加したいね。できたら台詞のある役で。あとは踊り、花笠踊り。大勢で踊りたいね」
白牛が手をあげる。
「ありがとう、ぜひ手伝ってちょうだい。ああ、わくわくしてきたわ。ベルサイユ宮殿にはわたくし専用の舞台があったのですよ。大好きな友人たちと一緒に何度も舞台を踏んだわ。カンラン席には国王陛下とフェル……いいえ、そうね、高貴な方々をご招待したほうがよろしいかしら。ショーグンとか」
「それはいかがなものかと」
さすがに半兵衛が止めに入った。
そのとき、障子がすっと開いた。
「遅くなってすんません」
入ってきたのは秋馬であった。
走って来たのだろう、額にうっすらと汗を滲ませている。その視線は忙しなく一同の顔をさまようと、高月の上にとまった。白かった顔が赤く変色する。実験を見ているようだった。
「まあ、よかった。心配していたでありんす」
高月がすかさず演技力を発揮した。
お照が茶を注いで渡すと秋馬は一息に飲み干した。
「ああ、うめえ」
半兵衛が秋馬を手招きした。
「よく解放してもらえたな。疑いは晴れたのか」
「いやあ、無罪放免って言われたわけじゃあないんで。ですが荷運びの話をしたら解放してもらえました」
阿芙蓉入りの煙草草の件はどうなったのだろうと、お照が耳を澄ませていると、
「あの煙草草、じつは荷運びの荷をちょろまかしたもんだったんです。どうやら抜け荷だったらしくて、まいりました。いつどこに運んだのかを洗いざらい全部話したら、もう帰っていいって放り出されましたよ」
秋馬が舟で運んだ荷物のほとんどは阿芙蓉入りの煙草草だったようだ。
「鬼の旦那はどうやら最初から抜け荷を調べるのが目的だったみたいっすね。女郎殺しの容疑は取り調べの口実だったみたいで」
秋馬はとばっちりだったと苦笑した。
「だったら最初から言えばいいのに。なんてひねくれてるんでしょうね。秋馬さんを拘束したのは、女将に対する嫌がらせでもあるんですよ。わたしに賭けを持ちかけたのも嫌がらせです」
お照は思わず力説した。
「そこんところは、おいらにはわかりかねます。でも女将さんに近寄るなとかは言われませんでしたよ。えっと、みなさん、今日は絵は描かないんで?」
前回のサロンとは異なる雰囲気を察して、秋馬が不安げな顔になった。
女将はあの澄んだ瞳を秋馬に据えて、
「お芝居はお好き? 舞台に立ってみたいと思ったことはあるかしら?」
「はあ?」
高月は眉を寄せた。
「芝居はいいと思うけれど、異国人が舞台に立つなんて知れ渡ったら江戸中の人が見に来てしまうんじゃないかしら。吉原にはいい宣伝になるけれど、ひとつ大きな問題があるわ」
「わたくしの大いなる道をさえぎる大問題とはいったいなんですの」
女将の勢いに気圧されつつ、高月が愛想笑いを浮かべた。
「お金がかかりすぎます。吉原の宣伝になるとしても寄合は快く負担してくれないでしょう。衣装や道具も用意しないといけません。三百両は覚悟しておかないと。練習は朝するにしても、当日は身揚りしなければいけないですし」
身揚りとは、遊女自らが自分の揚げ代を支払って休みを取ることをいう。白牛はともかく、高月は高級花魁だ。揚げ代は高い。
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