江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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五十五、 仕切りなおし

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「あ、の……」

 戸惑うお照の脳裏にふいにシャルルの声がよみがえった。あの子は以前『お母さまはめったに勝ちはしなかった』と言いかけて、女将に遮られていなかったか。
 それが事実だとしたら、女将はいつもどおりに賭けに負けたということだ。

 お照が黙り込むと、女将は手のひらから賽子を取りあげて盆茣蓙の中心に置いた。

「半兵衛さん、お願い」

「はいよ」

 軽快に応えた半兵衛は片膝立ちになって赤い襦袢じゅばんをめくりあげた。陰間のかっこうをしているせいか、妙に色気がある。
 男色の気があるらしい客はちらりと覗いたふんどしに鼻を膨らませた。
 半兵衛はそんなことには頓着せずに、取り出した鉄砲で無造作にガツンガツンと賽子を叩いた。
 すると賽子は砕け──中から銀色の液体がどろりと流れ出た。

「おい、なんだこりゃ」

「水銀を仕込んであったのか!?」

「イカサマか。金返せッ」

 客が次々に声をあげた。
 障子が開き、控えの間から用心棒がのそりと現れた。とはいっても浪人風体が二人だけだ。顔は赤く目はうつろで、相当に酔っ払っている。
 道案内した浪人は胴元に穀潰ごくつぶしと罵られてお払い箱になっていたし、浅草に置いてきた男はとうに逃げたろう。賭場の用心棒の数は十人はくだらないと脅してきたのははったりだったようだ。
 眼前の用心棒が抜刀する素振りを見せると、賭場に緊張が走った。竹光とはかぎらない。客と用心棒がにらみあった。

「女将さん、わかっていたんですか」

 お照が問うと、女将は頬を緩めた。

「五分五分とはいっても、わたくしが勝つときは賭け金がショウガクのときだけでしたもの。なにかあるとは思っておりましたわ」

 半兵衛が老夫婦に向かって顎をしゃくった。

「おい胴元。勝負はハナからなかったものとして客から巻き上げた金を返しな。ここで解散だ」

「そうだそうだ」と客が呼応した。

 胴元は舌打ちをしたものの、落としどころと踏んだのだろう、用心棒を目線で下がらせた。

「しかたない。兄さんの言うとおり、今日の所はハナからなかったことにして──」

「仕切りなおしましょうね」

 場違いなほど明るい声をあげたのは、女将である。

「仕込む前の、真っ当なサイコロはないのかしら。あるなら、みなさま、ご一緒にやりなおしましょうよ。さあ、ショーブを始めましょう」

「女将!」

「女将さん!」

 お照と半兵衛は同時に声を荒らげた。女将は幼気いたいけな少女のように無垢な瞳で一同を見やった。





「もう、いいのではありませんか」

 お照はびくびくしながら女将を促したが、

「あら、ようやく面白くなってきたのに。いやですわ、まだやめませんわよ」

 女将の前には小判が二百枚積み上がっている。お照の父の身上である十両と女将の十両、しめて二十両を返してもらっていた。
 それを元手にして、すでに十倍を稼いでいた。

「もう勘弁してください。こっちはすっからかんの素寒貧すかんぴんでございます」

 胴元の老夫婦は畳に額をすりつけて懇願した。

「あら、もう終わりですの? たったの二百両で? 残念だこと」

 女将は名残惜しげに息をついた。
 いつからか、女将と壺ふりの一対一の勝負となっていた。ほかの客はひとりふたりと勝負から手を引いていった。女将に圧倒されたのだ。
 不思議でたまらず、お照はたずねた。

「どうして勝てるんですか」

「わたくしが強いからですわ、賭け事に」

「でも、シャルルは……」

「ふふふ。あの子は友人と賭け事をしていたわたくしをよく見知っています。わたくしがカードでよく負けていたことも、気前よくお金をばらまいていたことも。でもね、わざとだったのよ。わたくしはわざと負けて友人たちにお金を差し上げていたの。そういうとき、わたくしが呼ぶのはあまりユーフクではないかたばかりだったのよ。でもただお金を差し上げるのは失礼でしょう。だから負けて差し上げてたのよ」

「はあ」

「それに、お金をばらまいているときは、みんな、わたくしを好いてくれましたもの。わたくしは嫌われるのがいやでしたの」

 それはそうだろう。友と呼べるかどうかも考え直したほうがいい。

「いやあ、あんたすげえや。お照の雇い主として不満はねえ」父は興奮した面持ちである。「お照をよろしくお願いいたしやす。あんたに預けたら間違いねえ」

「あら、おほほほ。実はお父君にお願いしたいことがあったのですよ」

「なんです」

 女将が袂からなにやら紙と矢立を取り出した、まさにそのとき、

「御用だ御用だ!」

 外が騒がしい。四方八方から声がする。手入れだ。

 客は大慌てで逃げ出した。用心棒まで裾をからげて出て行った。入れ違いに捕り手が雪崩れ込んでくる。胴元と壺ふりに六尺棒が向けられた。
 その場を仕切る十手持ちはどうやら半兵衛の顔見知りらしく、半兵衛を見ると吹きだした。

「なんだあ、その格好」

「うるせえよ」

 捕り手を掻き分けて父に飛びついたのはお松だ。

「生きてたんだね、よかった。心配したんだよお」

 父は照れくさいのか、歪ませた顔を半兵衛に向けた。

「あんたが手配したのか」

「お松に頼んでおいたんだ。おれたちが賭場で捕まったときの用心にな」

「こっそり尾行してたんだよ。場所つきとめたら役人呼べって言われててね。なかなかで出てこないから心配したよう」

 お松と父は捕り手に「おまえたちには用はない、帰れ。帰らんと牢に入れるぞ」と言われると、不承不承従った。

 帰る間際、女将は小走りで父に寄ると、そのの耳元に何事かをささやいた。瞠目した父はちらりとこちらを見やると、女将にうなずいてみせた。

 きっと女将にたしなめられたのだろう、父の表情は枯れ落ち葉のようだった。
 これで父が博打から足を洗ってくれれば言うことはない。

 一件落着か。
 俄のかかりも女将の勝負運のおかげでなんとかなった、とほっとしていたら、盆茣蓙に積んであった女将の二百両を捕り手が集め出した。

「なにをしてるんですか」

「没収する」
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