55 / 127
五十五、 仕切りなおし
しおりを挟む
「あ、の……」
戸惑うお照の脳裏にふいにシャルルの声がよみがえった。あの子は以前『お母さまはめったに勝ちはしなかった』と言いかけて、女将に遮られていなかったか。
それが事実だとしたら、女将はいつもどおりに賭けに負けたということだ。
お照が黙り込むと、女将は手のひらから賽子を取りあげて盆茣蓙の中心に置いた。
「半兵衛さん、お願い」
「はいよ」
軽快に応えた半兵衛は片膝立ちになって赤い襦袢をめくりあげた。陰間のかっこうをしているせいか、妙に色気がある。
男色の気があるらしい客はちらりと覗いたふんどしに鼻を膨らませた。
半兵衛はそんなことには頓着せずに、取り出した鉄砲で無造作にガツンガツンと賽子を叩いた。
すると賽子は砕け──中から銀色の液体がどろりと流れ出た。
「おい、なんだこりゃ」
「水銀を仕込んであったのか!?」
「イカサマか。金返せッ」
客が次々に声をあげた。
障子が開き、控えの間から用心棒がのそりと現れた。とはいっても浪人風体が二人だけだ。顔は赤く目はうつろで、相当に酔っ払っている。
道案内した浪人は胴元に穀潰しと罵られてお払い箱になっていたし、浅草に置いてきた男はとうに逃げたろう。賭場の用心棒の数は十人はくだらないと脅してきたのははったりだったようだ。
眼前の用心棒が抜刀する素振りを見せると、賭場に緊張が走った。竹光とはかぎらない。客と用心棒がにらみあった。
「女将さん、わかっていたんですか」
お照が問うと、女将は頬を緩めた。
「五分五分とはいっても、わたくしが勝つときは賭け金がショウガクのときだけでしたもの。なにかあるとは思っておりましたわ」
半兵衛が老夫婦に向かって顎をしゃくった。
「おい胴元。勝負はハナからなかったものとして客から巻き上げた金を返しな。ここで解散だ」
「そうだそうだ」と客が呼応した。
胴元は舌打ちをしたものの、落としどころと踏んだのだろう、用心棒を目線で下がらせた。
「しかたない。兄さんの言うとおり、今日の所はハナからなかったことにして──」
「仕切りなおしましょうね」
場違いなほど明るい声をあげたのは、女将である。
「仕込む前の、真っ当なサイコロはないのかしら。あるなら、みなさま、ご一緒にやりなおしましょうよ。さあ、ショーブを始めましょう」
「女将!」
「女将さん!」
お照と半兵衛は同時に声を荒らげた。女将は幼気な少女のように無垢な瞳で一同を見やった。
「もう、いいのではありませんか」
お照はびくびくしながら女将を促したが、
「あら、ようやく面白くなってきたのに。いやですわ、まだやめませんわよ」
女将の前には小判が二百枚積み上がっている。お照の父の身上である十両と女将の十両、しめて二十両を返してもらっていた。
それを元手にして、すでに十倍を稼いでいた。
「もう勘弁してください。こっちはすっからかんの素寒貧でございます」
胴元の老夫婦は畳に額をすりつけて懇願した。
「あら、もう終わりですの? たったの二百両で? 残念だこと」
女将は名残惜しげに息をついた。
いつからか、女将と壺ふりの一対一の勝負となっていた。ほかの客はひとりふたりと勝負から手を引いていった。女将に圧倒されたのだ。
不思議でたまらず、お照はたずねた。
「どうして勝てるんですか」
「わたくしが強いからですわ、賭け事に」
「でも、シャルルは……」
「ふふふ。あの子は友人と賭け事をしていたわたくしをよく見知っています。わたくしがカードでよく負けていたことも、気前よくお金をばらまいていたことも。でもね、わざとだったのよ。わたくしはわざと負けて友人たちにお金を差し上げていたの。そういうとき、わたくしが呼ぶのはあまりユーフクではないかたばかりだったのよ。でもただお金を差し上げるのは失礼でしょう。だから負けて差し上げてたのよ」
「はあ」
「それに、お金をばらまいているときは、みんな、わたくしを好いてくれましたもの。わたくしは嫌われるのがいやでしたの」
それはそうだろう。友と呼べるかどうかも考え直したほうがいい。
「いやあ、あんたすげえや。お照の雇い主として不満はねえ」父は興奮した面持ちである。「お照をよろしくお願いいたしやす。あんたに預けたら間違いねえ」
「あら、おほほほ。実はお父君にお願いしたいことがあったのですよ」
「なんです」
女将が袂からなにやら紙と矢立を取り出した、まさにそのとき、
「御用だ御用だ!」
外が騒がしい。四方八方から声がする。手入れだ。
客は大慌てで逃げ出した。用心棒まで裾をからげて出て行った。入れ違いに捕り手が雪崩れ込んでくる。胴元と壺ふりに六尺棒が向けられた。
その場を仕切る十手持ちはどうやら半兵衛の顔見知りらしく、半兵衛を見ると吹きだした。
「なんだあ、その格好」
「うるせえよ」
捕り手を掻き分けて父に飛びついたのはお松だ。
「生きてたんだね、よかった。心配したんだよお」
父は照れくさいのか、歪ませた顔を半兵衛に向けた。
「あんたが手配したのか」
「お松に頼んでおいたんだ。おれたちが賭場で捕まったときの用心にな」
「こっそり尾行してたんだよ。場所つきとめたら役人呼べって言われててね。なかなかで出てこないから心配したよう」
お松と父は捕り手に「おまえたちには用はない、帰れ。帰らんと牢に入れるぞ」と言われると、不承不承従った。
帰る間際、女将は小走りで父に寄ると、そのの耳元に何事かをささやいた。瞠目した父はちらりとこちらを見やると、女将にうなずいてみせた。
きっと女将にたしなめられたのだろう、父の表情は枯れ落ち葉のようだった。
これで父が博打から足を洗ってくれれば言うことはない。
一件落着か。
俄のかかりも女将の勝負運のおかげでなんとかなった、とほっとしていたら、盆茣蓙に積んであった女将の二百両を捕り手が集め出した。
「なにをしてるんですか」
「没収する」
戸惑うお照の脳裏にふいにシャルルの声がよみがえった。あの子は以前『お母さまはめったに勝ちはしなかった』と言いかけて、女将に遮られていなかったか。
それが事実だとしたら、女将はいつもどおりに賭けに負けたということだ。
お照が黙り込むと、女将は手のひらから賽子を取りあげて盆茣蓙の中心に置いた。
「半兵衛さん、お願い」
「はいよ」
軽快に応えた半兵衛は片膝立ちになって赤い襦袢をめくりあげた。陰間のかっこうをしているせいか、妙に色気がある。
男色の気があるらしい客はちらりと覗いたふんどしに鼻を膨らませた。
半兵衛はそんなことには頓着せずに、取り出した鉄砲で無造作にガツンガツンと賽子を叩いた。
すると賽子は砕け──中から銀色の液体がどろりと流れ出た。
「おい、なんだこりゃ」
「水銀を仕込んであったのか!?」
「イカサマか。金返せッ」
客が次々に声をあげた。
障子が開き、控えの間から用心棒がのそりと現れた。とはいっても浪人風体が二人だけだ。顔は赤く目はうつろで、相当に酔っ払っている。
道案内した浪人は胴元に穀潰しと罵られてお払い箱になっていたし、浅草に置いてきた男はとうに逃げたろう。賭場の用心棒の数は十人はくだらないと脅してきたのははったりだったようだ。
眼前の用心棒が抜刀する素振りを見せると、賭場に緊張が走った。竹光とはかぎらない。客と用心棒がにらみあった。
「女将さん、わかっていたんですか」
お照が問うと、女将は頬を緩めた。
「五分五分とはいっても、わたくしが勝つときは賭け金がショウガクのときだけでしたもの。なにかあるとは思っておりましたわ」
半兵衛が老夫婦に向かって顎をしゃくった。
「おい胴元。勝負はハナからなかったものとして客から巻き上げた金を返しな。ここで解散だ」
「そうだそうだ」と客が呼応した。
胴元は舌打ちをしたものの、落としどころと踏んだのだろう、用心棒を目線で下がらせた。
「しかたない。兄さんの言うとおり、今日の所はハナからなかったことにして──」
「仕切りなおしましょうね」
場違いなほど明るい声をあげたのは、女将である。
「仕込む前の、真っ当なサイコロはないのかしら。あるなら、みなさま、ご一緒にやりなおしましょうよ。さあ、ショーブを始めましょう」
「女将!」
「女将さん!」
お照と半兵衛は同時に声を荒らげた。女将は幼気な少女のように無垢な瞳で一同を見やった。
「もう、いいのではありませんか」
お照はびくびくしながら女将を促したが、
「あら、ようやく面白くなってきたのに。いやですわ、まだやめませんわよ」
女将の前には小判が二百枚積み上がっている。お照の父の身上である十両と女将の十両、しめて二十両を返してもらっていた。
それを元手にして、すでに十倍を稼いでいた。
「もう勘弁してください。こっちはすっからかんの素寒貧でございます」
胴元の老夫婦は畳に額をすりつけて懇願した。
「あら、もう終わりですの? たったの二百両で? 残念だこと」
女将は名残惜しげに息をついた。
いつからか、女将と壺ふりの一対一の勝負となっていた。ほかの客はひとりふたりと勝負から手を引いていった。女将に圧倒されたのだ。
不思議でたまらず、お照はたずねた。
「どうして勝てるんですか」
「わたくしが強いからですわ、賭け事に」
「でも、シャルルは……」
「ふふふ。あの子は友人と賭け事をしていたわたくしをよく見知っています。わたくしがカードでよく負けていたことも、気前よくお金をばらまいていたことも。でもね、わざとだったのよ。わたくしはわざと負けて友人たちにお金を差し上げていたの。そういうとき、わたくしが呼ぶのはあまりユーフクではないかたばかりだったのよ。でもただお金を差し上げるのは失礼でしょう。だから負けて差し上げてたのよ」
「はあ」
「それに、お金をばらまいているときは、みんな、わたくしを好いてくれましたもの。わたくしは嫌われるのがいやでしたの」
それはそうだろう。友と呼べるかどうかも考え直したほうがいい。
「いやあ、あんたすげえや。お照の雇い主として不満はねえ」父は興奮した面持ちである。「お照をよろしくお願いいたしやす。あんたに預けたら間違いねえ」
「あら、おほほほ。実はお父君にお願いしたいことがあったのですよ」
「なんです」
女将が袂からなにやら紙と矢立を取り出した、まさにそのとき、
「御用だ御用だ!」
外が騒がしい。四方八方から声がする。手入れだ。
客は大慌てで逃げ出した。用心棒まで裾をからげて出て行った。入れ違いに捕り手が雪崩れ込んでくる。胴元と壺ふりに六尺棒が向けられた。
その場を仕切る十手持ちはどうやら半兵衛の顔見知りらしく、半兵衛を見ると吹きだした。
「なんだあ、その格好」
「うるせえよ」
捕り手を掻き分けて父に飛びついたのはお松だ。
「生きてたんだね、よかった。心配したんだよお」
父は照れくさいのか、歪ませた顔を半兵衛に向けた。
「あんたが手配したのか」
「お松に頼んでおいたんだ。おれたちが賭場で捕まったときの用心にな」
「こっそり尾行してたんだよ。場所つきとめたら役人呼べって言われててね。なかなかで出てこないから心配したよう」
お松と父は捕り手に「おまえたちには用はない、帰れ。帰らんと牢に入れるぞ」と言われると、不承不承従った。
帰る間際、女将は小走りで父に寄ると、そのの耳元に何事かをささやいた。瞠目した父はちらりとこちらを見やると、女将にうなずいてみせた。
きっと女将にたしなめられたのだろう、父の表情は枯れ落ち葉のようだった。
これで父が博打から足を洗ってくれれば言うことはない。
一件落着か。
俄のかかりも女将の勝負運のおかげでなんとかなった、とほっとしていたら、盆茣蓙に積んであった女将の二百両を捕り手が集め出した。
「なにをしてるんですか」
「没収する」
2
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる