56 / 127
五十六、 あらためて、金の算段
しおりを挟む
「半兵衛さん!?」
半兵衛はわかっているという顔でお照にうなずいた。
「この姐さんはおれが頼んでいたサクラだ。だから元金の二十両を返してやってくれ」
お照と女将は顔を見合わせた。二百両あれば俄芝居の足しになったろうに。
結句、元手は増えもせず減りもせず。
「半兵衛さんたら、融通が利かないんだから」
「吉原に帰るぞ」
「あら、せっかく出てきましたのに、もう戻らないといけませんの? ちょっとお芝居でも観てからにしましょうよ」
俄の筋立ての示唆を得ることができるかもしれないしと、女将はもっともらしいことを言う。
「俄をやるには金がかかるだろう。そっちの目処は立ったのか」
まさにいまさっき目処が立ったところだったのに、とお照は半兵衛をにらんだ。
ほかで算段するしかない。また振り出しに戻った。ふと半兵衛の帯に挟んである重そうなものが目に入った。
「古道具屋で、その役立たずの鉄砲を売ってはどうでしょうか」
「あらいい考えね。うちにある大きな刀と小さな刀もいっそのこと売ってしまおうかしら。まとめていくらぐらいになるか、半兵衛さん、おわかりになる?」
半兵衛は蒼白な顔になった。
「恐れ多くも、公方さまからの御下賜の品ですぞ」
「半兵衛さんが買い取ってくださってもよろしいのよ。しめて五百両でいかが」
「……しがない貧乏同心に無茶を言わないでくれ」
「ではひそかに買い取ってくださりそうな藩主をご紹介いただけませんか」
藩主が駄目なら豪商だっていい。鉄砲はお飾りだが、大小のしつらえには葵の御紋があり、見栄えだっていい。
「下賜品どころか模造品の騙りと疑われるのがオチだ。女将と公方さまの関係を知らなけりゃ、下賜品だなんて信じようがないだろう」
たしかにそのとおりだ。来歴が物の価値を数倍に押し上げる。信じてもらえなければ損だ。
「あ、そうだ。阿波藩のあの人……」
「ほらほら、歩けって」
半兵衛に背を押されて表通りに押し出されながら、お照はいいことを思い出した。
「阿波藩の上屋敷ってどこらへんなんですか」
「阿波藩蜂須賀家はたしか南町奉行所の隣だったな。……お照、なんでそんなに目を輝かせているのだ。さては、よからぬことを企んでいるな」
「よからぬことだなんて。女将さんのためですよ」
女将と将軍の関係を知っている斉藤十郎兵衛に頼めば、藩主に繋がる蜘蛛の糸になってくれるかもしれない。
八丁堀地蔵橋近くの阿波藩蜂須賀家拝領屋敷。
斉藤十郎兵衛を呼び出してもらいたいと半兵衛が告げると、中間は神妙な顔になった。ちなみに半兵衛は奉行所で着替えを済ませ、いつもの同心のなりに戻っている。
「斉藤殿がなんぞやらかしたわけではあるまいな」
「そういったことではない、安心せよ。共通の知人がおってな」
中間はなにやら帳面を繰ったあと、
「さきほど出かけられた。残念であったな」
どこかほっとした顔で半兵衛を門前から追い返した。
すれ違いはしかたないが、中間のなにかに怯えたようなようすが気になった。
「なにか隠しているのでしょうか」
「これは小耳に挟んだことだが」半兵衛はもったいぶったようすで口を開いた。「藩主の蜂須賀治昭どのは厳格な藩主との噂である。思うに、隣の奉行所から良い気風が吹いているから、感化されておるのであろう」
だからあのようにびくびくとしているのか。
藩主は参勤交代で江戸と阿波を行ったり来たりしているはずだ。びくびくしている中間の言動から見て、藩主はいま江戸にいるのだ。
絶好の機会。
だが斉藤どのが紹介してくれるかわからない。いくら斉藤どのが紹介してくれたとしても、どこの馬の骨かわからぬものから下賜品を買い取ってくださるだろうか。
「阿波藩は比較的裕福なほうではあるが、公儀に逆らわず、質素倹約に努めておるからな。五百両もの金子を右から左に、というわけにもいかないだろう。かといって下賜品を安く買い叩くなどできないだろうし」
半兵衛の見立てももっともだとお照は思った。
ではどうやって賄うか、無い頭を絞ってでも考えを廻らせなければ。
「お照さん」
女将が手招きする。
近寄ると半兵衛には聞こえないようなささやきをこぼす。
「わたくし、いいことを思いつきましたのよ」
とたんに嫌な予感が背筋をさかのぼった。
半兵衛はわかっているという顔でお照にうなずいた。
「この姐さんはおれが頼んでいたサクラだ。だから元金の二十両を返してやってくれ」
お照と女将は顔を見合わせた。二百両あれば俄芝居の足しになったろうに。
結句、元手は増えもせず減りもせず。
「半兵衛さんたら、融通が利かないんだから」
「吉原に帰るぞ」
「あら、せっかく出てきましたのに、もう戻らないといけませんの? ちょっとお芝居でも観てからにしましょうよ」
俄の筋立ての示唆を得ることができるかもしれないしと、女将はもっともらしいことを言う。
「俄をやるには金がかかるだろう。そっちの目処は立ったのか」
まさにいまさっき目処が立ったところだったのに、とお照は半兵衛をにらんだ。
ほかで算段するしかない。また振り出しに戻った。ふと半兵衛の帯に挟んである重そうなものが目に入った。
「古道具屋で、その役立たずの鉄砲を売ってはどうでしょうか」
「あらいい考えね。うちにある大きな刀と小さな刀もいっそのこと売ってしまおうかしら。まとめていくらぐらいになるか、半兵衛さん、おわかりになる?」
半兵衛は蒼白な顔になった。
「恐れ多くも、公方さまからの御下賜の品ですぞ」
「半兵衛さんが買い取ってくださってもよろしいのよ。しめて五百両でいかが」
「……しがない貧乏同心に無茶を言わないでくれ」
「ではひそかに買い取ってくださりそうな藩主をご紹介いただけませんか」
藩主が駄目なら豪商だっていい。鉄砲はお飾りだが、大小のしつらえには葵の御紋があり、見栄えだっていい。
「下賜品どころか模造品の騙りと疑われるのがオチだ。女将と公方さまの関係を知らなけりゃ、下賜品だなんて信じようがないだろう」
たしかにそのとおりだ。来歴が物の価値を数倍に押し上げる。信じてもらえなければ損だ。
「あ、そうだ。阿波藩のあの人……」
「ほらほら、歩けって」
半兵衛に背を押されて表通りに押し出されながら、お照はいいことを思い出した。
「阿波藩の上屋敷ってどこらへんなんですか」
「阿波藩蜂須賀家はたしか南町奉行所の隣だったな。……お照、なんでそんなに目を輝かせているのだ。さては、よからぬことを企んでいるな」
「よからぬことだなんて。女将さんのためですよ」
女将と将軍の関係を知っている斉藤十郎兵衛に頼めば、藩主に繋がる蜘蛛の糸になってくれるかもしれない。
八丁堀地蔵橋近くの阿波藩蜂須賀家拝領屋敷。
斉藤十郎兵衛を呼び出してもらいたいと半兵衛が告げると、中間は神妙な顔になった。ちなみに半兵衛は奉行所で着替えを済ませ、いつもの同心のなりに戻っている。
「斉藤殿がなんぞやらかしたわけではあるまいな」
「そういったことではない、安心せよ。共通の知人がおってな」
中間はなにやら帳面を繰ったあと、
「さきほど出かけられた。残念であったな」
どこかほっとした顔で半兵衛を門前から追い返した。
すれ違いはしかたないが、中間のなにかに怯えたようなようすが気になった。
「なにか隠しているのでしょうか」
「これは小耳に挟んだことだが」半兵衛はもったいぶったようすで口を開いた。「藩主の蜂須賀治昭どのは厳格な藩主との噂である。思うに、隣の奉行所から良い気風が吹いているから、感化されておるのであろう」
だからあのようにびくびくとしているのか。
藩主は参勤交代で江戸と阿波を行ったり来たりしているはずだ。びくびくしている中間の言動から見て、藩主はいま江戸にいるのだ。
絶好の機会。
だが斉藤どのが紹介してくれるかわからない。いくら斉藤どのが紹介してくれたとしても、どこの馬の骨かわからぬものから下賜品を買い取ってくださるだろうか。
「阿波藩は比較的裕福なほうではあるが、公儀に逆らわず、質素倹約に努めておるからな。五百両もの金子を右から左に、というわけにもいかないだろう。かといって下賜品を安く買い叩くなどできないだろうし」
半兵衛の見立てももっともだとお照は思った。
ではどうやって賄うか、無い頭を絞ってでも考えを廻らせなければ。
「お照さん」
女将が手招きする。
近寄ると半兵衛には聞こえないようなささやきをこぼす。
「わたくし、いいことを思いつきましたのよ」
とたんに嫌な予感が背筋をさかのぼった。
2
あなたにおすすめの小説
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる