江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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五十九、 邪教の儀式

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 気がつくと、女将が心配そうに覗きこんでいた。

「……ここはどこです?」

「床下の隠し部屋」

「隠し部屋……?」

 部屋の四隅に灯りが灯っているだけの薄暗い空間。蝋燭が灯る、祭壇のような一隅。その奥に弥勒菩薩の仏像。線香の香り。壁際に浮かび上がる無数の顔。

「ひッ」

 部屋にいるのがふたりだけではないと気づいてお照は息を飲んだ。
 壁際にずらりと立ち並んでいるのは三十人ほどの男女。一言も口を開かずにただこちらを見ていた。

「なんです、あの人たちは」

「これからギシキが始まるのですよ」

「儀式?」

 そこに膝歩きで二十歳くらいの女が近づいてきた。捧げ持つ盆には茶が載っている。

「ドクヌキ、ノメ」

 茶碗をお照の前に置くと、膝歩きで去っていく。なぜ立って歩かないのだろう。

「よく見てごらんなさい。足を」

 女将に言われて目を凝らす。
 引きずった裾の下から、歩くたびに形を見せる足はあきらかに小さい。五歳児のまま成長を止めたような歪さだ。

「まさか足の甲をすぱっと切断……」

「覚えてるかしら、お照さん。お歯黒どぶの……」

「あ……!」

 足の甲ががたがたに折れた女の亡骸。捨てられた死体。

「足を小さくする風習を持つ国があると、鬼頭どのから教わりました」

 茶を置いていくときの、言いなれていない日本語。訛りがきつくて聞き取れない会話。
 お照はようやく合点がいった。この国の人間ではないのだ。

「テンソク。女の子は幼いころに足を折りたたまれるの。布できつく縛ってしまうの。骨が折れて歪んでしまって、立って歩くと痛いのですって。大きくなってから布をほどいても元どおりにはならないのよ」

「女将さん、そんなに気味の悪い風習、なんで詳しいんですか」

「フランスから逃げてくる途中でさまざまな国の文化を見てきました。もちろん清国も……。似てますのよ。コルセ(コルセット)が大嫌いだったわたくしに亡き母が情けないと嘆いたことが重なって、思い出すととても苦しい。肋骨が折れそうなほど腰を縛り上げるのがキフジンの身だしなみでしたの。カタチは違えど、どこにでもあるのよ。きっとこの国にも……」

「ありませんよ、そんなもの」

 女将は労わるような笑みをお照に向けた。

「毒抜きだそうだから、お飲みなさいな.。毒と言ってもシビレグスリでしょうけど」

 信用してよいものだろうか。茶碗を両手で抱えて、お照は飲むふりをした。

「これからなんの儀式が始まるのですか」

「入信するんですのよ、わたくし」

「入信?」

 そこに全身真っ白い衣服を身に着けた道場主が大女を引き連れて女将のそばにやってきた。

「これより神聖なる入信の儀式を始める。まずはその頭巾を取れ」

 道場主は女将に御高祖頭巾をはずさせた。
 顔貌があらわになると、それまで沈黙を貫いてきた壁際の連中はざわついた。南蛮人だとは思いもしなかったのだろう。

「その前に教えてくださいな。ギシキのあと、どのようなチカラを得ることができるのかを」

「もちろんだ。たとえばこのように」

 道場主は刀を閃かせた。長くて湾曲した大刀だ。黄表紙の三国志で見た、関羽の得物に似ていた。
 その切っ先が大女の捧げもつ瓜を横凪ぎにした。瓜は真っ二つに割れて汁をほとばしらせた。
 剣先は動きを止めない。続けて、大女の胸を狙う。

「ああッ」

 ガキンと硬いものにぶつかった音がして、刀が弾き返された。
 大女はびくともしない。

「弥勒仏に帰依し、日々の鍛錬を怠らなければ、このように刀も槍も跳ね返す鋼の体を手に入れることができるのだ」

温操舵主おんそうだしゅ、万歳!」

 大女が叫ぶと、

刀槍不入とうそうふにゅう! 刀槍不入!」

 周囲の人々が握りこぶしを振り上げて、一斉に叫び始めた。

 邪教。
 お照の頭に浮かんだのは、その一言だった。
 この屋敷に集う者は邪教の信者だったのだ。
 温操舵主と名乗る道場主が女将の肩に大刀を置く。

「我々はひとつになり、来るべき戦いのために、互いを高めあうのだ。衆生のためにおのれを滅する覚悟はできておるか」

「もちろんですわ。刀槍不入の体になって、世のため人のために尽くしましょう」

 女将はなにを言っているのだろう。

「やめてください、女将さん」

 刀槍不入なんて、嘘っぱち。大女の胸には盾が仕込まれているに違いないのだ。

「ええい、邪魔をするな。誰か、この娘をおさえておけ」

 ふたりの信者に両肩を固定されて、壁際に引きずられた。お照はそれでも必死で声を張り上げた。

「女将さん、なんでこんなことをなさるのですか。シャルルが嘆きますよ」

「お照さん」女将はお照に笑顔を向けた。「刀槍不入になれば、ギロチンの刃でわたくしの首を落とせなくなるのよ。それに……今後いろいろとジョリョクしてくださるというの。ここは歩み寄りが大事」

「助力……とは」

「わたくしが幕府を探る間者になれば、ニワカの費えも出してくださるんですって」

 女将は何を言っているのだろう。
 まるで異国の言葉だ。

「おか……むぅ」

 口を手でふさがれた。

 儀式は粛々と進行した。
 女将は跪いている。
 温操舵主は大刀の刃で女将の体を撫でた。幾度も繰り返し刃を背や腹に滑らせる。

「あれは一度死んだことを意味する」

 お照の口をふさいだ男が耳元でささやいた。よく見ると、その顔には見覚えがあった。半兵衛と道場を探っていたときに、棒手裏剣で見事に野兎を仕留めた用心棒だった。

 温操舵主は弥勒仏の前で猿のような奇声を一声、そのあとなにやら念仏を唱え始めた。

「温操舵主の体にはいま孫悟空が降臨なさった。なんとありがたいお姿か」

 温操舵主はぴょんぴょんと飛び回り、跪く女将の上を跳躍だけで軽々と飛び越えてみせる。信者はこぞって拝み伏せた。
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