【R18】女を知らない商人は少女の気持ちが分からない

外耳

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はじまり

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「こんな快楽など、私の人生には不要だと思っていたが……。はは、知ってしまってはこれ無しではもう生きられないな。君のせいだ。君の……」



 目の前の男はタガが外れたように訳の分からない言葉を口走っている。荒い息が顔にかかって気持ち悪い。どうしてこうなってしまったのかは未だに分からなかった。私は悔しさに目端に涙を滲ませながら嫌々男の舌を口腔内に受け入れた。

 

 思えば私の人生は最初からそれなりに悲惨だったように思う。父親はアルコールに溺れてろくに働きもしない男で何故そんな男と一緒になったのか、気弱な母親はいつもごめんねごめんねと父にも私に謝っていた。元々は深窓の令嬢だったと聞く。庭師の父と恋に落ちて駆け落ち……そこまではよく聞くロマンスで美しい恋物語だが、その後の生活がこうも悲惨になるだなんて母自身考えもしなかったのだと思う。庭師の仕事は手入れする庭ありきで、母の実家を敵に回した父に仕事を頼む人間など皆無だった。



 下手に腕のいい職人だったことが災いして、父のへし折れたプライドはそれを母のせいだとののしるようになった。実家から持ち出したほんの少しの金品や宝石を売って、それでも足りない生活費は女中や小作人の仕事で賄う。父はそんな母のボロボロになっていく容姿を貶して酒を飲むのが日課だった。あの頃のお嬢様はもういないんだな、と。

 

 やがてその父親が自業自得の肝臓の病気で死んだ後、借金だけが残った。ギャンブルで作ったらしいその額を知ると返済のために母にできる仕事と言えば肌を売ることしか残されていなかったが、気弱と思っていた母は意外に強い女だった。母一人娘一人になって腹をくくったのかもしれない。彼女は娼館からの迎えがくる前日の夜、私のふくらみかけた胸を強くサラシで巻きながらこう言った。



「……明日からお世話になるところは女にとって、それは酷いところなの。……だからあなたは男の子にならなきゃいけないのよ」

 サラシを巻き終えると、どこから用意したのか粗末な男の子の服を着せられた。いつものようにごめんね、と呟いて涙ぐんでいる母の手にはハサミが握られていて、その刃がギラリとまるで私を脅すように光った。



「いや、いやだ……お母さんやめて、お願い……!」

 怯えて泣きじゃくる私を、その細い腕のどこから力が出ているのか母は羽交い締めにすると、危ないから動かないで、お願いだから、いい子だからと叫ぶように言った。そのあまりにも悲痛な声に私は観念してしゃくりあげながらも、服の裾を握ってコクリと頷いた。ジャキジャキと嫌な音がしてはらはらと床に私の胸まで伸ばした髪が落ちていく。それが積もって山を作ると、私の髪は耳にもかからないくらい短くなった。そっと震える手で触れると不格好に切られた髪が所々チクチク痛い。

 

「ソニア」

 覚悟したような瞳で私を見据えた母が私の肩に手を置いて優しく名前を呼んだ。

「あなたは男の子、分かったわね。新しい所では名前を変えて名乗るのよ。……男の子の名前……、そうね……あなたは明日からソーヤと名乗るのよ。」



 そうして私のソニアとしての人生は幕を閉じ、ソーヤとして、男として生きる日常が始まった。地方都市に構える小規模な娼館、それが私の奉公先だ。12の時にここへ来てもう5年になる。母は娼婦として、そして私は下働きとして雇われてずっとここで働いている。とは言っても母は元々体が弱かったのもあって借金をなんとか返し終えた後、あっけなく亡くなったのだが。今は元々暮らしていた村の墓地で眠っている。



 借金を返済したものの他に親子で身を寄せる場所もなく、またこの娼館のオーナーがこんな阿漕な仕事をしているわりに話の分かる男で、母が病気を患ってからも叩き出されることなく、そして亡くなった後もそのまま私だけ引き続き働かせてもらっている。娼館はいつも盛況で、働く人間はいつも足りていない。掃除洗濯身の回りの雑用と併せて、今では顧客管理や経理も任されるようになった。目が回るほど忙しいこと以外に特に不満はない。

 

「俺の右腕と名乗ってもいいぜ」

 私の主人、ヘレニさんはいつもそういって明るく笑った。若くして先代オーナーから娼館を託された彼は金儲けに秀でた男だった。都市には娼館がいくつもある。べらぼうに高級な所から女を何人も揃えて回転数を上げている所に対抗するには差別化が特に重要で、私が働くこの娼館の特色と言えば、極端に働く女が少ない所で、その代り皆一様に見た目はもちろん賢い女性ばかりだ。量より質だ、とよくヘレニさんは言う。質というのは教養ということらしく、だからこそお嬢様育ちの母は重宝された。客は貴族や豪商が多く、ただ性行為を求めて来るというより、それ以前に娼婦の教養と機智に富んだ会話を楽しみに来る。だけど良い客ばかりなわけもなく、いくら金を持っていて贅沢な身なりをしていても、女を物としか扱わない客もいる。



 例外なく母も辛い思いをしていたのに、自分だけ安全な所にいるのが申し訳なくて、私は男として人一倍働いた。学校に行くのなんて夢のまた夢だったから、仕事を終えると自室で本を開いて少しでも仕事に有利になるような事を覚える。母が亡くなってからヘレニさんは自分の仕事を徐々に私に教えてくれるようになった。忙しい毎日に目が回りそうになるが、自分の力で居場所を作った。それを誇りに思っている。

 

「市場に買い物に行きますけど、何かいるものはないですか~?」

 大声で娼婦達の部屋の前で声を掛けると部屋で控えていた女達がわあっとドアを開けて出てきた。

「ちょうどよかった~、ねえ頼まれてくれない? 今日ご予約のお客様の好きな匂いの香水を切らしちゃってさあ」

「ん、香水ね。了解です」

「ねえ寒いからハーブティー買ってきて~」

「ハーブティー……、いつものカモミールのやつでいいですか?」

「ソーヤ~! 私のドロワーズの洗濯はできてるの?」

「もう乾いてますよ。帰って来たらお部屋に持っていきますから」

「ソーヤ」

「ソーヤ~」

「あああ……もう、みんななんでいっぺんに言うんですか。見ての通り僕は一人しかいませんからね。用があるなら順番に並んで並んで」



 わあわあとここで働く女たちは皆姦しい。客の前では淑やかに微笑んでそんなそぶりひとつ見せないのだからプロ根性とは大したものだ。彼女たちから買い物のメモをそれぞれ受け取ると、私は娼館の勝手口から外へ出て市場へと向かった。

 

 季節は秋から冬へと移り変わろうとしている。冷たい風が頬を撫で、思わず寒さに身震いした。外套を被りなおして道を歩く。段々と人通りが多くなり、やがて活気良く人手賑わう市場へ着いた。

「ええと、香水と煙草とハーブティーと部屋に飾る切り花と……」

 大量に渡されたメモを見て、回る店を考える。効率よく買い物をしなければ帰ってからの仕事に差し支えそうだ。すれ違う人の間を縫って、目的の買い物を済ませていく。1つ1つは大した重さではないが、段々と荷物が増えるにつれ両手がふさがっていった。



「ぬぐぐ……、なんでみんな毎回毎回こんなに頼むものがあるんだよ」

 ややふてくされながら、なんとか用事を全て済ませようやく帰路に着こうと市場の出口へと向かいつつ、手に持った荷物を見る。女性の為に作られた様々な華やかなもの――今の自分には縁遠いものたち。顔を左右に振ってまた歩き出すと、ふととある店先に飾られていた女性向けの服が目に入った。



 レースやフリル、リボン、柔らかで淡い色の生地。それらと対照的なガラスに映った自分の姿。幼い時に母に切られた髪の毛は幾分か伸びて、今では肩に軽く付く。それでも男の服を着ているとどこから見ても男にしか見えなかった。女の匂いが色濃い所で暮らしていると余計そう思ってしまう。

 ……女に戻ることはおそらく、容易い。父の借金は返し終えているし、あの娼館を出て女として暮らすことはできる。ただ、そうなると男として得た仕事も信用も、そして居場所も手放すことになる。かと言って実は女でしたとヘレニさんに打ち明けるのは裏切りのようで勇気が出なかった。



 (宙ぶらりんの人間だ、私は)

 どちらの性にも未練があって、どちらを選ぶことのできないまま生きている。そんな自分が情けなかった。

 

 レンガ敷の街道が、今日は果てしなく長く思える。娼館まではたいした距離は無いはずなのに、両手に抱えた荷物と、市場の人の多さに疲れた心がそう感じさせているのだろうか。疲れていつもよりぼんやりした、判断力の低下した頭。私は遠くから聞こえてくる馬の蹄の音に気付かないまま、道の真ん中をとぼとぼと歩いていた。



 ――それがいけなかった。

 

「……あっ!」

 蹄の音に気が付いて振り返った時にはそれはすぐそばまで近づいてきていて、慌てて道の隅に避けようとするが足がもつれて、うっかりと手に持った荷物をバラバラと落としてしまう。それに気を取られて動きが一瞬止まると、足が馬車の車輪の側面に接触して、地面に前のめりに倒れてしまった。転んだ衝撃と痛みを感じたと思ったら、荷物を踏み潰す音が聞こえた。



「ああ……」

 咄嗟に痛む体を起こして、ぐしゃぐしゃになった荷物を見た。頼まれていた香水の瓶が割れて、ピンクの薄紙に丁寧に包まれた黄色い花はその花弁を散らして砂にまみれて茶色くなっていた。呆然と目の前の光景を見ていると、通り過ぎたと思った馬車が道に停まっていた。

 

「おい坊主、大丈夫か!?」

 馬車を運転していた御者の男性は顔面蒼白に私に駆け寄ってくる。

「大丈夫か!?」

 続いて慌てた様子で壮年の男性が馬車から降りてきた。清潔で洗練された身なりからは想像できない狼狽のしようだった。

「あ……、こちらこそ大変申し訳ございません。馬車に気付かず道の真ん中を歩いていた僕が悪いんです」

「いや、こちらこそ君に気が付かなかった。非はこちらにある。どこか怪我は?」

 壮年の男性は私の体を上から下に眺めた。



「いえ、お気になさらず。少し足を捻った程度です」

「荷物まで駄目にしてしまったな……。少年、すまない、住まいはどこだ?送っていこう」

 とんでもないです、と断ろうとして立ち上がろうとしたが、ズキリと足首が痛んで思わず地面に再び座り込んでしまう。

「やはり痛むのだろう、馬車に乗りたまえ」

 ひょいと、いわゆるお姫様抱っこ、というやつで軽々と持ち上げられる。上品なたたずまいとは裏腹に、その男性の体躯が逞しいことが分かった。思いもよらぬ行動に胸が密かにドキリと跳ねた。彼は御者に指示して無残に散らばった荷物を片付けさせ、それらと共に私を馬車の中へ運んだ。

 

 馬車の見た目と内装から言ってお金持ちなのは間違いない。娼館へ通う客たちの使うものと遜色が無いどころか、それよりも数段上等に見える。

「少年、名はなんと言う……ああ、失礼私から名乗ろう。私はイグニスと言う」



 イグニスと名乗ったその男――短く清潔に整えられた金髪と仕立ての良い服に身を包んだその身なりから一般人には見えない。体は一見そうとは分からないがよく見ると筋肉質で、彼の身長の高さもあって今みたいに申し訳なさそうな表情を浮かべていなかったらさぞや威圧感があっただろう。

「イグニス……さん。あ、ぼ、僕はソーヤと申します」

「ソーヤ、……本当に済まなかった。送っていこう。家を教えてくれ」



 そう言われて娼館の名前と場所を告げる。それをイグニスさんは御者に伝えると、馬車の扉が閉められてやがて揺れと共に街道を走り出した。
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