【R18】女を知らない商人は少女の気持ちが分からない

外耳

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新天地

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 娼館へ着くとイグニスさんは急いで私の主人を訪ねて事の顛末を説明した。私は心配して出てきた娼婦たちに支えられながら館の中に入ったので、イグニスさんとヘレニさんがどんな話をしているのか詳しく聞くことができなかったけれど。
 
「お前にしては珍しく馬鹿やったなあ」
 ヘレニさんが呆れたように腕を組んで、足の治療を受ける私を見下ろした。イグニスさんはあの後帰ったらしい。

「う……、返す言葉もないです。間抜けと認めます」
 近付く馬車の音に気が付かずに轢かれるだなんて。イグニスさんは謝ってくれたが本来なら街道の真ん中は馬車のための道だから、完全にこっちの落ち度だ。
 自慢じゃないが今迄怪我も病気もほとんどしたことがないのにと少し落ち込む。それは私の性別を偽る為に気を付けていたからなのだが……仕事の忙しさについ気が緩んでいたのかもしれない。

「最近忙しかったからなあ……こき使いすぎたか」
 先程とは打って変わって珍しく気弱に呟いたヘレニさんに、私は目を丸くした。
「こき使ってる自覚はあったんですね」
「お前俺の事をどんな冷血漢だと思ってるんだ。義理人情に篤いヘレニさんだぞ?」
 その言葉に苦笑いすると、私の足首に包帯を巻いていた娼館のおかかえの老年医師も違いないと笑った。

「さあ、これでいい。あまり動かしてはいけないよ」
「え……? 動かしてはいけないってどの程度ですか」
「お前がこの先歩かなくても済む人間なら普段通り働くといいさ。もっとも痛みで歩くこともしばらくは困難だろうがね」
 医師にそうそっけなく言われ、愕然とする。
「ということは働けないということですか……?」
「ふーん……」
 一気に青い顔になった私を尻目に、へレニさんは部屋を出て行く――と思ったらしばらくするとまた戻ってきた。そして彼は衝撃的な一言を口にした。

「……よし、ソーヤ、お前はクビだ」
 いきなり殴られたような衝撃を伴う言葉に眩暈がする。
「く、く、クビ……!?」
 怪我によって戦力外になったからってそんな、と口をパクパクさせて抗議した。ヘレニさんはそんな私を見てハッハッハとさも愉快そうに笑うと、部屋の一人掛けのソファにどかりと座った。

「なーんてな……まあ聞け。この娼館も俺の代になってから長い。だけど俺は独身だろ? 跡を継ぐ人間がいねえ。だからお前、ここを辞めて修行に行ってこい」
「ええ!?」
 あまりに突飛な言葉にさっきから驚いてばかりだ。
「お前を轢いたイグニスさんがいらっしゃるだろう。彼はどんな償いでもする、金銭でもなんでもと言っていた。これがその証明書だ」
 ヘレニさんは文章が並んだ一枚の紙をぺらりと私に見せてきた。

「彼はな、名うての商人なんだよ。彼の元で奉公して、立派になって帰ってこい!」
「ちょ、ちょっと待ってください! その間この娼館の下働きはどうするんですか! ただでさえ僕一人でも忙しかったのに」
「ん? ああ、そこも心配ないぞ。イグニスさんがお前を怪我させたことを気に病んで、こちらが頼めば代わりに働けるものを3名ほど手配してくれるってことだ。……言っておくが厄介払いじゃないぞ、そんな顔をするな」
「……僕の居場所はここです、ここだけです」
 思わず目が潤む。母が生きている時から人前で泣くことなんてなかった。けれど思わぬ展開に感情が追いつかなかった。

「……馬鹿かお前は。そんなことわかってるよ。ただ12の時からこの狭い世界で働いて、もう少し他に目を向けて勉強してほしいとは前々から考えていたんだ。勘違いするなよ、お前を今よりもっとこき使うために外に出すんだからな」
 しっかり色々学んで来い。そう言って頭をポンと叩かれる。泣くなんて男らしくないと思ったけど流れる涙は止められなかった。
 
 足の怪我が完全に治るまでに1週間ほどかかった。その間、ヘレニさんの言う通り、3人の若者が娼館に派遣されて、私は口頭で仕事の引継ぎをした。私が一人でこなしていた仕事を3人で担当するのだから、まず立ち行かないということはないだろう。それがなんだか少し寂しかった。

 明日には迎えの馬車が来る。娼館の自室をあらかた片付け終えて荷造りを済ませた。12から過ごした第二の我が家。ここを離れろと言われた時には戸惑いのあまりグズグズと泣いてしまったが、次に帰って来る時は一人前になっていつか養い親……ヘレニさんに恩返しをしたい、そう思った。

 娼館のみんなに別れを告げ、馬車は郊外へと進む。街から半日ほどかかった場所にその屋敷はあった。針葉樹の林に囲まれた、思ったよりこじんまりとした大きさのそこへ到着すると、新たな私の主人が待っていた。

「やあ、ソーヤ。よく来てくれたな」
 初めて会った時よりもラフな格好なのは今がプライベートだからだろう。スラックスにシャツといったシンプルな服なのに、長身で筋肉質な体付きだとどこか男らしい雰囲気がある。
「改めまして今日からお世話になります、ソーヤです」
「そうかしこまらなくていい。さ、早速中に入ろう。荷物は持ったな」
 促されて両面開きの重厚な玄関ドアをイグニス様が開いてくれた。促されて中へ入ると吹き抜けの玄関ホールで、左右対称の造りなのだろう、目の前には二階へと続く二対の階段が緩くカーブしている。
「さあて、どこから行こうかな」
 なんだか楽しそうに考えるそぶりを見せるイグニス様の後を付いていく。私が寝起きする使用人部屋やイグニス様の書斎や寝室等、各部屋を主人自ら説明してもらう。あまり広い屋敷というわけでもないのでそう時間もかからず、最後にキッチンへと向かうとそこでは中年の女性が調理をしていた。
 
「こんにちは、あんたがソーヤだね」
 快活に笑いながら彼女はマリアと名乗った。彼女は近くの家から毎日料理の為に屋敷に通って、夕方には帰るらしい。
「はじめまして、これからよろしくお願いします」
「新しい仕事場は緊張するかい? ぼちぼち慣れていったらいいさ。いやあ、あんたが来てくれてイグニス様も一安心だろう。べらぼうに仕事ができてなんでもかんでも自分でやってしまう人だからね。でも人に任せられるならそっちの方がいい」
 そう言ってマリアさんはイグニス様を見た。
「う……ん、まいったな、マリアは口が悪いんだ」
 ばつが悪そうな表情で頭を掻いたイグニス様に思わず笑ってしまう。使用人にも気安い人なんだなあと感心した。

「さて、これであらかた説明し終えたかな」
「え? 他の使用人の方はどちらにいらっしゃるんですか?」
「ん? マリアとそして君が加わって計二人だ」
「ふ、二人? 掃除や洗濯は今迄どうされていたのですか」
「そう常に人手のいる屋敷でもないし必要な時だけ来てもらっているんだよ。私は留守が多くてね。だからマリアも通いなんだ」
 イグニス様はこともなげに言った。メイドも執事もいないなんてなかなか珍しい話だ。
「よし、じゃあ今日の所はここまで! 初日くらい君もゆっくりしたらいい。さっき説明した君の部屋で今日は休みたまえ。仕事の話はまた明日改めて詳しく説明させてもらうとしよう」
 イグニス様は朗らかに笑うと私の肩を叩いた。激励の意味なのだろうが彼の筋肉質な体から繰り出される一撃に、思わずよろめきそうになる。
「うわっと」
「あ、すまないすまない。またけがをさせるところだった……どうも私は力の加減ができなくてね」
「ははは、だ、大丈夫です」
 衝撃で痺れた肩をさすりながら、自分よりもかなり背が高いイグニス様を見上げた。ヘレニさんによるとこの方は才能あふれる商人……らしいが、そうはあまり見えない気がする。商人というより武人の方が似合いそうな体つき、かと言って彼に気難しい雰囲気はない。使用人にも少しも偉そうにふるまうこともなく、いつも柔和に笑うこの人の元でこれから一人前になるべく修行をするのだ。

 次の朝、自室で目覚めた私は身支度を済ませてキッチンへと向かった。マリアさんにおはようございますと挨拶をすると、朗らかな笑顔と共におはようと返ってきた。使用人室で用意された朝食を食べ終えた後、食器をキッチンへ持っていくと、今度はティーポットに湯を注ぐマリアさんがいいところに、と言った。
「イグニス様は朝は食事代わりに紅茶だけ召し上がるんだよ。ちょうど今用意ができたから持って行っておくれ」
 ワゴンには冷めないようにコゼーをかぶせられたティーポットとカップが乗せられている。それを押して昨日教えてもらったイグニス様の部屋へと向かった。
 
「イグニス様、ソーヤです」
 重厚な扉を数度ノックして声を掛ける。数秒待つと入ってくれ、と声が返ってきた。
「おはようソーヤ。よく眠れたか」
「ぐっすりです。以前の僕の部屋よりかなり上等なベッドなので」
 使用人に宛がうにしては十分すぎるくらいの、部屋に備え付けられたベッドの寝心地は最高で、おかげで自分至上最高の目覚めを味わうことが出来た。
「それはよかった。気に入ってもらえたのだったら嬉しいよ。……ところで君の足の調子はどうだ」
「ええ、娼館でもたっぷり休ませてもらいましたし、今は少しも痛みませんよ。お気になさらないでください」
「痛みがないのなら安心したよ。さて、じゃあ君のこれからの仕事の事を説明しようか。ああ、でもその前に確認させてくれ。君は娼館でどのような仕事をしていたのかな」
「そうですね……、どのようなと言うと沢山ありすぎて枚挙に暇がないのですが……」
 指折り数えながら娼館時代の一日を思い出して仕事を列挙していく。

「君は……、一人でそんな量の仕事をこなしていたのか」
「ええまあ、12から17になるまで働いていると段々と慣れてきまして。でもちゃんと休みの日はありましたし、奴隷のような扱いを受けていたわけではないので大丈夫ですよ。正直、仕事をこなして必要とされるのが好きなんです」
「ははは、頼もしい言葉だな。そうなると前の仕事と比べてうちでの仕事は物足りなく感じるかもしれないな」
「僕はどういった仕事を担当することになりますか?」
「最初は簡単な書類仕事からやってもらう」
「あ、デスクワークなのですか? 最初はてっきり屋敷の雑用から始めるのかと」
「屋敷の管理は業者に任せていてね。そもそも基本的に私は忙しくてあまりここへ滞在することは無いんだ。まあひと月に15日いるかいないかだな。大きな都市には例外なく私の店があるから、それぞれに顔を出して商談に行って商品を買い付けて……と、あまり人に任せることが苦手な性分でね。不器用だから暇なしなんだ。だから君が来てくれて本当に助かるんだよ。ヘレニ氏から聞いたが君は経理ができるんだろう」
「はい、……でも経理と言っても独学で学んだもので」
「いや、ヘレニ氏のお墨付きだよ君は。よく気が付いて頭の回転も速い。しっかり扱いてくれとのことだ」
 思わぬ形でヘレニさんの自分への評価を聞いて嬉しさに胸が熱くなる。

(ヘレニさん……、ありがとう、ございます)
 養い親に心中で感謝を述べる。彼らの期待にそえるように努力をしよう、そう思った。
「イグニス様、これからよろしくお願いします」
 深く頭を下げると新しい私の主人はよろしく、とはにかんだ笑顔を返した。
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