白花の咲く頃に

夕立

文字の大きさ
13 / 104
水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り

2-3 籠の中の鳥

しおりを挟む
 ◆

 ぼんやりと目を開くと天蓋てんがいが見えた。細かな刺繍の施されたレースが天井から吊るされている。
 再び目を閉じ、微睡みながら身体を動かしてみると、少し動いただけで深く沈み込む感覚。身体の上に掛けられたものも手触りが良く冷たくて気持ち良い。
 懐かしい感覚だった。
 そう、まるで《シレジア》の城で暮らしていた時のような――

(そんな馬鹿な!?)

 ゼフィールは勢いよく跳ね起きた。
 感じたのは間違いなく高価な寝台の感触だった。旅から旅の貧乏暮しをしている彼が味わうはずのない感触だ。

 果たして、そこにソレはあった。
 深く沈みこむ柔らかな寝台、初夏の蒸し暑さを忘れさせてくれる絹の掛け物、寝姿を隠したり蚊帳の役割をしてくれる天蓋。
 記憶には無い物だった。
 堅い寝台で薄い毛布を被って眠っていたはずの毎日と、今の状態は、あまりにも違う。

 記憶の糸を手繰り寄せ、何があったのか思い出そうとする。
 ミーミルの町に着いたら、すぐに宿を取って横になった。翌朝泉に行き、竪琴の練習をしていたら一人の婦人と出会って――そこで記憶が途切れていた。
 記憶の中に、今の状況を説明してくれる情報は無い。

(なんだ?)

 とりあえず寝台から出ようとして違和感に気付いた。左足が何やら重い。掛け布をどけてみると、鎖のついた足枷が足首にはめられていた。ご丁寧に、痛くないよう、足枷の内側にタオルまで巻いてある。
 鎖がどこにつながっているのかと見てみると、寝台の足につながっていた。鎖の長さはとても長く、部屋の中を動く分には困らぬ程度のように見える。

 そのまま寝台を抜け出すと扉へ向かった。靴は無い。裸足だが、毛足の長い絨毯敷きの部屋だったので、気にせず歩く。
 扉のノブに手を掛け、動かそうとしたが――動かない。鍵がかかっているようだ。

(枷まで付けておきながら、扉を開けっ放しにするわけもないか)

 扉から外に出るのは諦め部屋を眺めた。
 広い部屋だ。いつも三人で借りる宿の部屋より広い。そこに、シンプルながらも品の良い調度品が置かれている。

 広い寝台の脇には小さな鏡台が置かれていた。台の上には香炉が置かれ、引き出しの中には櫛だけが入っている。
 他に部屋にあるのは、小さなテーブルと二脚の椅子、花の生けられた花瓶だけだ。
 椅子の上にはゼフィールの竪琴が置かれていた。ようやく自分の知っている物を見つけ、手にしてホッとする。

 カーテンの引かれた出窓が二つあったが、填め殺しで開けることはできなかった。窓を破って抜け出ることも考えたが、高さがある。下手に落ちれば大怪我は免れない。

(出口は無いか)

 片方のカーテンを半分だけ開けると、出窓の縁に座った。
 窓から見える景色はミーミルの町とは違う。屋敷の庭の先には、小振りな船や桟橋、水路が見える。知らない景色だった。

 外を眺めていると、小さな音をさせ扉が開いた。入って来たのは見覚えのある婦人と女中服の女性。
 半分開いたカーテンから出窓に座るゼフィールに視線を移した婦人が、優しい笑みを投げかけてくる。

「目が覚めたのね。お腹が空いたでしょう? すぐに準備させるからこちらにおいでなさい」

 婦人は極自然に侍女に準備を言い渡し、ゼフィールを椅子へ手招きした。
 ゼフィールは動かない。代わりに尋ねる。

「あんたは誰だ。俺はなぜここにいる?」

 敬語を使うのは止めた。曖昧な記憶ではあるが、彼女が今の状況を作った一因の気がしたからだ。

「言葉が汚くなったわね。それが貴方の素なのかしら? まぁ、とやかく言うつもりはないけれど。でも、人に名を尋ねる時は、まず自分からではないのかしら?」
「……ゼフィール。あんたは?」
「わたくしはヒルトルート。ヒルトルート・クリストフ。よろしくね、ゼフィール」

 出窓の方へ来てゼフィールの手を取ったヒルトルートが、彼の手を引きテーブルへと誘う。微かに漂う甘い匂いは彼女の付けている香水だろうか。
 ゼフィールを椅子へと座らせると、ヒルトルートは鏡台へ行き、櫛を手に彼の後ろに立った。

「折角綺麗な髪なのに、乱れたままではもったいないわ」

 ヒルトルートは寝起きで乱れたゼフィールの髪へ優しく櫛を入れ、丁寧に梳かしていく。

「髪なんてどうでもいい! ここはどこだ!? どうして俺はここにいるんだ!?」

 強引にゼフィールが振り返ったことで髪が櫛に絡まり、何本かが抜けた。抜けた髪を櫛から取りながら、ヒルトルートはどうという事はないといった風に答える。

「わたくしが貴方をさらったからよ」
「!?」

 あまりに突拍子もない返事に、ゼフィールは言葉を失った。彼女が狂っているのか、もしくは冗談かと凝視してみたが、その瞳に狂気の色は無い。

(この女は何を言っているんだ? 俺をさらった? 何のために? それに、なぜこんなにも堂々としているんだ?)

 ゼフィールの動揺などお構いなしにヒルトルートは腰を屈めると、彼の耳元に唇を寄せ囁く。

「泉で貴方と出会えた事こそアフロディテの祝福。貴方こそ、祀りでわたくしの願いを叶えてくれる人物に違いないわ」
(アフロディテは《ライプツィヒ》で信仰されている神だったはず。なら、ここが《ライプツィヒ》領内であることは間違いないだろう。しかし、祀りとは何だ? それに、俺が彼女の願いを叶える? 何の事だ?)

 ヒルトルートが口を開くたびに謎だけが増える。ゼフィールの眉間に皺が寄った。
 問いを返そうにも、何から問えばいいのかすらハッキリしない。少しでも問題を理解しようと頭を動かしていたが、はたと気付いた。

(いや、別に分かる必要はない。帰れさえすれば全て関係なくなる)

 そう、ヒルトルートの言っている事は、全て彼女の側からの意見だ。別段こちらが聞かなければならぬ理由は無い。
 今なら扉の鍵は開いている。部屋から出るため、ゼフィールは椅子から腰を浮かせた。

「あんたにとって神の祝福でも、俺には違う。帰る」
「それは駄目よ。貴方には祀りで頑張ってもらわねばならないのだから。それに、枷があるのに、どうやってここから出て行くのかしら?」

 立ち上がりかけたゼフィールをヒルトルートが押し留めた。そして、さり気無く足元を指摘する。
 視線をそちらに向けて、ゼフィールは舌打ちした。
 動転し過ぎてすっかり忘れていたが足枷があった。靴は最悪無くてもどうにでもなるが、枷だけは外してもらわねばどうしようもない。今のままでは、ミーミルに帰るどころか、この部屋から出ることすら出来ない。

 ゼフィールが大人しく椅子に座りなおすと、ヒルトルートはわずかだけほっとした表情を見せた。そして、顔に優しい笑みを浮かべる。

「貴方が大人しくなってくれて良かったわ。折角目を覚ましたのに、また眠らせてしまうのでは可哀想だもの」
「何の事だ?」
「これを覚えているかしら?」

 そう言うと、ヒルトルートは胸元のブローチを指さした。薔薇の細工の施されたソレは、忘れもしない。彼女がゼフィールへとくれようとした品だ。
 肯定の意を込めてゼフィールは頷いた。

「このブローチのピンには速効性の薬が仕込んであるの。逞しい男の方でも一瞬で意識を失ってしまうのよ。貴方が強く反抗するようなら、これで寝てもらう事も考えていたのだけれど、その必要はなさそうで良かったわ」

 ヒルトルートの言葉にゼフィールは顔をゆがめた。
 彼女からブローチを受け取ろうとした時に感じた小さな痛み、それが、ピンで刺された時のものなのだろう。そうして眠らされ、その間に知らぬ地へと移されてしまった。
 彼女の話が事実なのだとしたら、下手に逆らうべきではないだろう。彼女の言ではないが、そう何度も眠らされたいものではない。
 そうなれば、今の状態から抜け出せる道は一つしか見当たらない。

「祀りとは何だ? あんたは俺に何をさせたい?」

 ヒルトルートは答えない。口元をわずかに歪ませ、泣きたいような憎らしいような複雑な表情を見せる。それだけだ。
 問いに答える事はせず、彼女は再びゼフィールの髪を梳かし始めた。再度同じ問いをしてみたが、答えは返ってこない。
 質問に答える時間はもう終わり、と、いうことだろうか。

(分からない……)

 結局彼女からそれ以上の情報は引き出せなかった。自分のいる場所、置かれている状況、祀り、ヒルトルートの願い、彼女の心の内。分からない事だらけだ。

 扉が開き、侍女が料理を乗せた台車を押してきた。テーブルに手際よくシルバーが並べられ、野菜と魚介を和えた前菜が置かれる。普通ならば美味しいはずの品なのだろうが、今は味など分かる気がしなかった。


 ◆

 部屋の中でゼフィールは基本的に自由だった。
 自由と言っても何もない部屋なので、何をすることも出来ないのだが、部屋の中に監視がいるということはない。
 出来る事も無かったので、窓辺に座り、考え事をしながら竪琴を奏で日々を過ごした。

 朝になるとヒルトルートが起しに来て、ゼフィールの髪を梳かし、食事を一緒にとる。暇つぶしに曲を奏でていると、ふらりと彼女がやってきて、静かにコーヒーを飲んでいた。
 顔を合わす時間が増えた分だけ交わす言葉も増えたが、この場所や、彼女の願いは判らずじまいだった。

 一つ確かなのは、ヒルトルートがゼフィールに危害を加える気が無いということだろうか。行動に大幅な制限が掛かっているものの、それだけだ。

 そんな一週間が過ぎた頃、足枷が外された。逃亡防止のためか、相変わらず靴は与えられなかったが、部屋の外に出ることは許された。
 特に反抗せず、逃亡の意思を見せなかったのが良かったのかもしれない。正確には、逃亡する余地が見出せなかっただけなのだが。

(彼女は俺に何をさせたいんだ? 今のままだと愛玩動物ペットと同じ扱いだが)

 屋敷の中を散歩しながら、ヒルトルートがゼフィールをさらった理由を考える。逃走が厳しい以上、さっさと彼女の望みとやらを叶えて解放してもらいたいのだが、肝心の願いが分からない。

(そもそも、祀りとは何だ? それで俺が彼女の願いを叶える? 何かを行う催しなのか?)

 廊下を適当に右に曲がる。広い屋敷だ。考え事ばかりに集中していると部屋が分からなくなりそうだった。それでも考える事は止められない。
 気が付けば廊下の突き当たりに来ていた。壁には大きな画が飾られている。

 そこに描かれているのは、少し若いヒルトルートと一人の青年。
 短い白髪をオールバックにまとめた青年は、優しそうな緑の瞳でこちらに微笑んでいる。仲睦まじそうに並ぶヒルトルートも、見たことのない優しい笑みを浮かべていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

異世界ランドへようこそ

来栖とむ
ファンタジー
都内から車で1時間半。奥多摩の山中に突如現れた、話題の新名所――「奥多摩異世界ランド」。 中世ヨーロッパ風の街並みと、ダンジョンや魔王城を完全再現した異世界体験型レジャーパークだ。 26歳・無職の佐伯雄一は、ここで“冒険者A”のバイトを始める。 勇者を導くNPC役として、剣を振るい、魔物に襲われ、時にはイベントを盛り上げる毎日。 同僚には、美人なギルド受付のサーミャ、エルフの弓使いフラーラ、ポンコツ騎士メリーナなど、魅力的な“登場人物”が勢ぞろい。 ――しかしある日、「魔王が逃げた」という衝撃の知らせが入る。 「体格が似てるから」という理由で、雄一は急遽、魔王役の代役を任されることに。 だが、演技を終えた後、案内された扉の先にあったのは……本物の異世界だった! 経営者は魔族、同僚はガチの魔物。 魔王城で始まる、まさかの「異世界勤務」生活! やがて魔王の後継問題に巻き込まれ、スタンピードも発生(?)の裏で、フラーラとの恋が動き出す――。 笑えて、トキメいて、ちょっと泣ける。 現代×異世界×職場コメディ、開園!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

『専属メイド全員が重すぎる愛で迫ってくる!~大学生の僕、11人?の美女に24時間甘やかされ尽くす生活~』

まさき
青春
僕は、ちょっと普通じゃない日常を送ることになった――それは、専属メイドが全員僕のことを溺愛してくれる暮らしだ。 朝は髪を整えてくれるリナ、朝食で笑顔を見せてくれるミユ、どの瞬間も全力で僕を甘やかす。掃除、料理、悩み相談まで、僕のためだけに動くメイドたち。 「ご主人様の笑顔が見たいんです」 その一言で、僕の毎日はちょっとドキドキ、ちょっと幸せ。 全員が僕を独占したいと競い合う日常の中、僕はどうやってこの溺愛地獄(?)を生き抜けばいいのか――!? 甘々、至れり尽くせりの日常ラブコメ、開幕。 ​「作品への感想代わりの『いいね❤️』や『エール📣』、心よりお待ちしております。」 ​「【応援のお願い】『いいね❤️』や『エール📣』をいただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!」 ​「最後までお読みいただきありがとうございます。温かい『いいね❤️』が更新の支えです。」

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

処理中です...