白花の咲く頃に

夕立

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水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り

2-5 日記

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 ◆

 祀りで何を行うのかが分かったのは良かったが、それはそれで、ゼフィールにとって大問題だった。正直、剣技には全く自信が無い。見習い剣士にでもさせた方がマシだろう。

 侯爵家代表というのも悩みの種だった。侯爵は、爵位の中でも公爵に次ぐ高い地位だ。そんな家が関係する催しならば、地方、もしくは、国規模での催しの可能性が出てくる。
 ひょっとしたら、それなりの人数の前で剣を振るうのかもしれない。醜態を晒すくらい大したことではないが、事前に対処できるならば、手を打っておきたいところではある。

 駄目元で、ゼフィールはヒルトルートに剣を指導してくれる者を求めた。却下されるかと思われた願いだったが、あっさりと許可され、屋敷の警備兵が教官に就いた。

「外で裸足だと怪我をしそうだから、練習の間だけは靴をあげるわ。終わる時には回収するから、忘れないでおいて」
「ああ」

 ゼフィールに靴を渡すと、ヒルトルートは指導する教官のもとへ行く。

「稽古といっても怪我はさせぬように。いいわね?」
「かしこまりました」
「では、後は任せるわ。くれぐれも危険なことは避けて頂戴」
「はっ」

 念を押してヒルトルートは去って行った。入れ違いに、靴を履き終えたゼフィールが中庭へ出る。
 練習場に選ばれた中庭は広く、手入れされた花樹であふれている。中心には石畳の敷かれた適度な広さの空間があり、そこで教官がゼフィールを待っていた。
 彼の前まで行き、とりあえず頭を下げる。

「よろしく頼む」
「こちらこそ。お客人がなさりたいのは、細剣の訓練でお間違いありませんでしたか?」
「ああ。かじった事があるのがそれだけなんだ」
「ではこれを」

 教官が練習用の細剣を差し出してきた。刃先は潰してあるが、扱いを間違えば大怪我の元だ。血が青いことがバレて騒ぎになっても面倒なので、これを持つ間は気を抜かぬ方がいいだろう。

 練習剣を受け取ろうとして、教官がやるせない表情をしていることに気付いた。
 さらわれてきた身の上を憐れまれているのかと思ったが、どうも違う。彼の感情は、おそらく、もっと深い。

「なぜそんな目で俺を?」
「あなたはご自分が何をするか分かっておいでなのですか?」
「御前試合だろう?」
「本気でそう思っていらっしゃるのですか?」
「違うと?」

 剣を受け取ったゼフィールを教官はマジマジと見つめた。ゼフィールが首を傾げると、教官の眉間に元々刻まれていた皺がさらに深くなる。

「剣舞の奉納が御前試合であったのは一○年前まで。今は――ただの殺し合いです」
「……は?」

 教官から返ってきた答えに素っ頓狂な声が出た。
 御前試合――仮にも試合と言われるものなら、そこには明確に勝敗のルールがあり、武を競う模擬戦なのだろうと想像ができる。
 しかし、殺し合いとなると話は別だ。試合を終わらせるために、片方、もしくは両者の命が必要になってくる。
 似ているようで、それらは全くの別物だ。

「あなたの今の立場をお教えしましょう。あなたは次のアフロディテ礼讃祀《らいさんし》で、〈銀の侯爵家〉代表として〈金の侯爵家〉代表と向かい合わねばなりません。以前は国の繁栄と更なる文化の成熟を願い、二人の剣士が御前試合を行っていました。しかし、一○年前に起こった事故。あれから全てが狂ってしまったのです」
「何があったんだ?」

 一○年前。それは、侍女が言っていたクルトが亡くなった年だ。きっと彼に関係する事なのだろう。不吉な予感に、手に嫌な汗が滲む。

「聞いた話になるのですが、それは完全に事故だったそうです。試合中に体勢を崩したクルト様は相手の剣に斬られ……即死だったと」

 少し遠い目をしながら教官が話し始めた。

「次の年からです。奥様がクルト様の復讐のため、相手を殺そうとなさり始めたのは。クルト様と似た者を雇い、さらい、その者達に相手を殺すよう命じ続けられました。あちらも殺されないように応戦した結果、血で血を洗う惨劇が続いています。あなたはその話を聞いておられないのですか?」
「知らない。俺はそんなことは言われていない」

 ゼフィールは首を横に振る。そして、それに――と、付け加えた。

「それは……もう、催事の体を成してないんじゃないのか? なぜ止めないんだ?」
「それさえも貴族の方々にとっては娯楽なのですよ。皆様仮面をつけ、殺し合いの様を観戦していらっしゃるのです」

 教官の言葉にゼフィールは絶句するしかなかった。人の心の闇とは、こうも深いものかと。

「残酷なようですが、お客人に勝ち目はありません。相手は現在九連勝。我々にできるのは、あなたが少しでもマシな死に方ができるよう、鍛えるだけです」

 説明は終わったとばかりに教官は剣を構えた。


 ◆

 剣技を習い始めて一カ月。
 元々使えるとも言えないゼフィールの細剣捌きだったが、練習の甲斐あって大分様になってきた。

 ヒルトルートは相変わらず、目覚ましと食事時、竪琴を弾いている時にやってくる。彼女の部屋に入ることはせず、クルトに関わる話題にさえ触れなければ、聡明な女性であることが付き合っていくうちに分かった。

 その夜、ゼフィールは中庭を臨む廊下で竪琴を奏でていた。
 澄んだ夜空に浮かぶ満月が、優しく夜を照らしている。
 時折吹く風に咲いていた花が散った。その様は、まるで自分の未来ではないかと自虐的に思う。
 月光に照らされ散る花弁は儚く美しい。
 貴族達にとって、祀りの観戦はこれと同じ認識なのだろう。

 祀りまでの期日は一月を切ったらしい。やりたいことはないか、と、使用人達に尋ねられることが増えた。
 ゼフィールの希望は、ここから出て、双子と旅を続けたいということだけだったが、当たり前ながら叶えられていない。

(あいつらどうしてるかな? ユリアとか激昂してるんだろうな。リアンまで怒ってそうな気もするが)

 懐かしい顔を思い出す。もう随分と会っていない気がした。いつも一緒にいたのに、一月以上も会っていないのだから当然だろうか。
 二人に会いたかった。リアンと馬鹿な話をしてユリアに呆れられたり、ユリアの無茶にリアンと振り回される。そんな日常を、また、送りたいだけだ。ありふれていた毎日が今はとても遠い。

 二人を求めて月に手を伸ばし、力なく下ろした。助けの手は無い。背中を押してくれる手も無い。それを再認識しただけだった。

 へこたれそうな時、支えてくれたのはいつも双子だった。ユリアは正面から、リアンは茶化しながら、ゼフィールが前に進めるようハッパを掛けてくれるのだ。

 今こそ二人に背を押して欲しい時なのに、どちらもいない。
 先のことを考えないようにしてなんとか平静を装っているが、現実を直視すれば、恐怖で動けなくなりそうだった。

 ヒラヒラヒラ――

 ゼフィールの目の前を一羽の蝶が舞う。
 夜に舞う蝶は珍しい。その上、その蝶は夜を切り取ったかのように真っ黒だ。鱗粉の色なのか、蝶の輪郭が淡く光って見える。

 蝶はしばらくゼフィールの周りを回り、屋敷の奥へと飛んで行った。
 なんとなくその蝶について行く。もし蝶が袋小路に辿りついてしまった時、外に出してやるため、くらいの気持ちだった。

 蝶は進む。どこを目指しているのか広い屋敷をヒラヒラと。
 そして、開きかけの扉の中へと消えて行った。
 知らない扉だった。現実問題、知らない部屋の方が多いのだが。
 開きかけの扉を開けると下への石階段が続いていた。

 部屋の中まで月光は届かない。階段の先は暗くて何も見えなかった。
 ただ、蝶の輪郭だけが薄く見える。
 蝶を追い、壁を手で伝いながらゼフィールは慎重に石階段を降りた。足裏のひんやりとした石の感触が背筋に震えを誘う。
 ゆっくり一段一段降りる彼と、蝶の距離は不思議と開くことはなかった。まるで蝶が待っていてくれたように。

 最下層と思われる床に辿りついた時、蝶もとまった。
 ここが一体どこなのか確認したいが、暗くてよく見えない。大人しく目が暗闇に慣れるのを待つことにした。

 ピアスがもたらしてくれる闇の精霊の加護のお陰で、ゼフィールは暗闇に順応するのが早い。今も、さほど時間は掛からず周囲が視認できるようになってくる。

 見えてきた空間は狭い部屋だった。一○歩も歩けば壁にぶつかるほどの広さの四角い部屋だ。鎧一式と盾や剣が飾られているが、後は小さな机が一つと、床に散乱している小さな塊くらいしかない。

 蝶は机の上に無造作に置かれた本の上にとまっていた。
 本を手に取り中身を確かめようとしてみたが、暗過ぎて字が識別できない。内容が気になったので服の中にしまった。
 次いで、床に散らばる塊に意識を向ける。

 塊の大きさはバラバラだった。さして重くもなく、細長い形状の物が多い。歪な丸い形をした塊もある。
 知っている形だった。それは――頭蓋骨。頭蓋骨の近くに、抜け落ちた頭髪らしきものの残骸もわずかながら残っている。暗くてはっきりとした色彩は分からないが、骨と同じ色に見える。ということは白髪だろうか。

(なぜこんな所に骨が?)

 骨の量は一人分ではない。風化が進んで随分と崩れている物まである。頭髪は比較的新しい遺骸の物なのだろう。
 ふと、これまでにさらわれて来た者が、自分以外にもいたことを思い出した。

 突然さらわれて来た者達は、果たして彼女の言うとおりに動いたのだろうか。理不尽な要求を突き付けられ、中には、逃亡を企てたり反抗した者がいておかしくないはずだ。
 そういう者達はどうなったのだろうか。この屋敷の警備は甘くない。見える場所にいないだけで、影からいつも見張られているのは間違いないのだ。逃亡して、それがバレて捕まれば、ヒルトルートならどうするだろう。

(これは……。今まで犠牲になってきた連中の遺骸か?)

 その考えに至った時、ゼフィールの中に言葉にできぬ恐怖が込み上げてきた。

(嫌だ! 俺はまだ――!)

 現実味を帯びた死の恐怖を振り払うかのように、ゼフィールは階段を駆け上り自らの部屋に戻った。
 竪琴を椅子に放り投げると、寝台に飛び込み、掛け布を被って丸くなる。

(誰か、助けてくれ!)

 震えながら、見えない誰かに助けを求めた。

(なぜ俺なんだ!? 相手を殺したいならもっと強そうな奴を選べばいい。見た目だって、俺よりクルトに似た者などいくらでもいるはずだ)

 なぜ、なぜ――
 答えは返って来ない。



 答えの無い疑問を考え続けていたゼフィールだったが、やがて疲れ、落ち着いた。
 結局、なるようにしかならぬのだ。逃げられない以上、今できるのは、少しでも剣の腕を上げ、生存率を高めることくらいだろう。
 開き直って寝台に大の字に転がる。身体に何かが当たる違和感があった。

(そう言えば、本を持って来てたな)

 出窓の縁に座ると、小部屋で拾った本を服から取り出しページをめくる。月明かりだけでは十分な光量とは言えないが、なんとか文字が読めないこともない。

 本の中身は日記のようだった。書き手はクルト・クリストフ。
 仕事の事、日常の些細なことが彼の感想と共に記されている。

 読み進めて行くと、彼がヒルトルートと出会った。その喜び、また会えることを望む心。そんなものがツラツラとつづられている。
 今日は彼女は笑ってくれた、今日は会えなかった。ヒルトルートの言動に一喜一憂している様が見て取れる。彼女と出会ってからの記述は彼女のことだらけだ。

 クルトの恋心は実を結び、やがて二人は夫婦となった。
 その後の記述には彼の趣味や仕事の話が多い。

 クルト・クリストフは優れた騎士であると同時に、防御魔法の使い手でもあったようだ。
 現在使われている防御魔法に手を加え、新たな効果を発現させられないか試みている記述が見受けられる。成功も失敗もあったようだ。

 ――面白い魔法が完成した。これを祀りで使ってみようと思う。
 金のやつには文句を言われるかもしれないが、彼とも長い付き合いだ。後で謝れば許してくれるだろう。
 これを見て、ヒルトルート、君が驚き笑ってくれるかと思うと今から胸が躍る。
 明日が楽しみだ。――

 日記の最後はそうつづられていた。
 クルト・クリストフ。彼は最期までヒルトルートのことを想っていたようだ。
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