その男、幽霊なり

オトバタケ

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葉月

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 神殿まで辿り着き、反対方向の人の流れに乗り換える。

「どの店に寄りたい?」
「拓也は甘いものと塩辛いもの、どちらが食べたいですか?」
「今は腹減ってるから食事系のものが食いたい」
「では、彼方の店にしましょう」

 男の指が差したのは、黄色のテントに赤文字でフランクフルトと書かれている店だ。

「食べられませんか?」
「別に普通に食える。じゃあ買うぞ」
「はい、お願いします」

 真っ赤なエプロンをしたおばちゃんに金を渡し、ケチャップとマスタードがたっぷり塗られたフランクフルトを受け取る。
 この人混みの中を食べながら歩いたら、擦れ違った人をケチャップまみれにしてしまう恐れがある。
 フランクフルトの屋台の横を抜け、出店の裏に植わっている松並木へ向かう。
 人波から逃れて食事をしている人がちらほらいるが、参道から何メートルと離れていないのに薄暗く本来の神社の静けさがある。
 周りに人がいない松の幹にもたれ、男にフランクフルトを差し出す。

「ほら、食えよ」

 目を丸くして俺とフランクフルトを交互に見た男が嬉しそうに頬を緩め、いただきます、と手を合わせフランクフルトを咥えた。
 半透明の男の顔の真ん中にフランクフルトが刺さっている光景は滑稽で、思わず吹き出してしまった。

「どうしました?」
「旨そうに食ってるなって思って」
「僕はもういいので、残りは拓也が食べてください」

 残りもなにも全部俺が食べるのだけど、食べた気になっている男の機嫌を損ねて成仏への道を退行したくないので、何も突っ込まずにフランクフルトに囓りつく。

「間接キスをしてしまいましたね」
「はぁ? 気持ち悪いこと言うな」

 噎せて口内のフランクフルトを吐き出しそうになったが、なんとか耐えて胃に流し込む。
 半透明の男の顔に突き刺さり、口だけでなく脳味噌にまで達していたフランクフルト。
 一瞬リアルでグロテスクな想像をしてしまったが、男は幽霊だから空気と変わらないんだ、と脳内のグロ映像を追い払う。
 変なことを考えないように黙々とフランクフルトと食べ進めていると、物欲しそうに俺を凝視している男と目が合った。

「どうした?」
「いえ、なんでもありません」

 クスリと笑って答える男の瞳が、少し潤んでいるように見える。
 形だけなんかではなく本当に食べられたらいいのに、と思っているのだろうか?
 生身の体が欲しいともっと願って、輪廻転生をしにあの世に旅立ってくれ。

「次はどの店にするんだ?」
「彼方の店にしましょう」

 参道に戻り再び首振り星人と化した男に訊ねると、ピンクと黒のストライプのテントを指差した。
 甘い匂いに誘われるように近付くと、黒、ピンク、白、そして青に黄色まで様々な色のチョコレートを塗られたバナナが並んでいた。
 ノーマルな黒いチョコレートの塗られたものを買うと、再び出店の裏の松並木に向かう。

「ほら」

 また周りに人のいない松の幹にもたれて男にチョコバナナを差し出すと、ぶんぶんと首を横に振られた。

「自分で食べるより拓也が食べている姿を眺める方が満腹になりますから」

 さっきフランクフルトを食べた振りをして虚しくなったのだろうか?

「じゃあ俺が全部食っちゃうからな。後で欲しいって言うなよ」

 明るい口調で言いチョコバナナを咥えると、男はゴクリと唾を飲み込んで俺を凝視した。
 そんなに食べたいのか? ならば今すぐにでも成仏できるように、生身の体が欲しい、輪廻転生したい、ともっともっと願え。

「チョコレートの下はどうなっているんですか?」

 男がもっと食べたいと思うようグルメリポーター並みに旨そうに食ってやる、と目尻を下げてチョコバナナに囓りつこうとすると、男が質問を投げかけてきた。

「普通にバナナがあるだけだけど」
「ちゃんと確認したいので、チョコレートだけ舐めて貰えませんか?」
「別にいいけど……」

 なんでそんなことを確認したいのか分からないが、男の望みを叶えれば叶えるだけ成仏への道が近付くはずなので、ペロペロとチョコレートを舐める。

「咥えて口内を出し入れさせた方が、早く舐めとれるのではないですか?」
「こういうことか?」

 チョコバナナを咥えて口内に入れたり出したりを繰り返し、唇と舌を使ってチョコレートを剥がしていく。

「上手ですよ」

 目を細めた男が、うっとりしたように息を吐く。
 こんなのに、上手いも下手もあるのか?
 尚もチョコバナナをただのバナナにすべく口内に抜き挿ししていると、飲み下しきれなかったチョコレート色の唾液が口の端から垂れてしまった。

「可愛いですね」

 フフフと微笑んだ男の顔が近付いてくる。

「な、何するんだよ」
「涎を舐めてさしあげようと思いまして」
「ば、馬鹿じゃねーの。そんなの自分で舐める」

 男から逃げるように松の裏側に回り、舌で涎を絡めとる。
 いつの間にか俺の正面に立っていた男が、口許を見て意味深に笑っている。
 ガキだな、と嘲笑っているのだろうか?

「ほら、ただのバナナだろ?」

 まだうっすらチョコレートが残っているが、普通のバナナだと分かる状態になったそれを男の前に乱暴に差し出す。

「ありがとうございました。満足しました」

 涎を垂らすという醜態を晒してまでしてバナナの姿に戻したんだから、満足してもらわなきゃ困る。

「あの生き物は何という名なんですか?」

 参道に戻るべく出店の脇を抜けようとすると、男にそう訊ねられて足を止める。
 男が眉を顰めて見つめる先には、毒々しい蛍光色の毛玉のような生物が木箱の中に溢れかえっている。

「ヒヨコだ」
「鶏の雛ですか? 何故あのような色をしているんです?」
「可愛らしくみせる為じゃないのか?」

 人工的な色で染められて、不健康でちっとも可愛く見えないが。

「本来の姿を隠されて金儲けの道具に使われているんですね」

 憐れだ、と言いたげな渋い顔でカラーヒヨコを見つめる男。

「ここにいるヒヨコは殆ど雄だから、カラーヒヨコにならなかったら食肉になる運命なんだよ。カラーヒヨコになった方が飼い主に愛されて天寿を全うできるかもしれないから幸せなのかもよ」
「買い手が見つからなかった雛はどうなるんでしょう?」
「食肉になるんじゃないか?」
「こんな体を害しそうなものを塗られて、結局食べられてしまうなんて……。全て買い取って野に放してあげたいですね」

 何故そんなにカラーヒヨコを自然に返したがるのだろう?
 単に動物が好きなだけなのか、生きていた時にヒヨコと何かあったのか。
 三途の川の向こうにあったオオイヌノフグリの群生する野原で幸せそうに微笑んでヒヨコ達と戯れる男を想像し、不覚にも萌えてしまった。
 ふわふわモコモコのヒヨコが愛らし過ぎたせいだ。

「行こう」

 マンション住まいの俺には、成長したら毎朝けたたましく鳴く雄鶏を飼ってやることはできない。
 可哀想だとは思うが、俺にできるのは命に感謝して鶏肉を美味しく頂くことくらいだ。
 夏祭りはピークの時間を迎えたのか、満員電車状態の参道を鈍行列車よろしくとろとろ進む。
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