その男、幽霊なり

オトバタケ

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霜月

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「では、此処で」
「ここだな。え……」
「僕の勝ちですね」

 学校から帰宅して宿題を済ませ、夕食までの時間に息抜きで遊んでいたオセロ。
 息抜きだったのは最初の一回だけで、それ以降は勉強よりも集中して真剣にやっている。
 何故ならば……

「これで僕の二十四連勝ですね」

 勝って当然と言わんばかりに表情を弛めることもしない男が、黒が四分の三を占めているオセロを片付ける俺の手元を眺めている。
 中盤までは白が圧倒していて俺の初勝利か?と浮き足立っていたのに、どんどん追い込まれていって終盤に男が置いたコマで大量の白が黒に変えられ、またしても完敗だった。

「拓也は二手先までしか読んでいないでしょう? 五手先までは読まなければ僕には勝てませんよ」

 別にオセロが得意だったわけではないし、そんなに大人数と対戦した経験があるわけではないが、友達と対戦すれば大抵は俺が勝っていた。
 先の展開を予想してコマを置いているのは確かだが、俺の子供騙しみたいな読みは男には通用せず、更に先を読まれて打ちのめされている。
 何をやっても俺より優れていて、俺の先をいっている男。

「アンタの頭の良さは元々なのか、努力した結果かどっちなんだ?」
「さぁ、どうなんでしょうね。どちらだと思いますか?」
「元々ならムカつくからもっと努力してアンタをこてんぱんに負かしてやりたいと思う。努力した結果だったら諦める」

 俺もそこまで臍曲がりじゃないから、努力して得た才能ならば素直に認める。
 だけど負けてばかりは癪に触るので、男を打ち負かす機会を虎視眈々と狙ってはいるのだが、なかなか思惑通りにはいかない。

「では、努力した結果にします」
「なんだよ、それ?」
「拓也に褒めて貰う為に努力したんですよ」

 ニコッと顔を綻ばせた男は、褒めてください、と言うように見えない尻尾を振って擦り寄ってくる。
 こちらの頬も思わず弛んでしまう憎めないその姿に、仕方なく頭を撫でる振りをしてやろうと手を伸ばそうとすると、首がブンブンと左右に振られた。

「キスがいいです」

 ペロリと下唇を舐めて艶やかな表情になった男に甘く強請られて、トクンと心臓が跳ねる。
 程よい弾力のある唇とその唇が与える甘い痺れを覚えている俺の唇が、物欲しそうにピクピクと痙攣し始めてしまう。

「アンタが努力してたのは俺に会うずっと前の話だろ。俺に褒めて貰う為とか完全に後付けじゃないか」

 普段の状態じゃ触れ合えないと分かっているのに、卑しく快楽を求めてしまう体を牽制するように、キスなんてする気はないと言わんばかりに呆れたように言う。

「では、二十四連勝のご褒美にキスがしたいです」
「賭けなんてしてなかったろ」
「拓也は、僕とキスするのは嫌ですか?」

 悲しんでいるような寂しがっているような、切なげな表情を浮かべて俺を見つめてくる男。
 考えてみると、男とキスをして気持ち悪くて鳥肌が立ったとか、吐きそうになったとかはない。柚木には触れられただけで、気持ち悪くて吐きそうだったのに……。
 じゃあ友達の海老原とならキスが出来るか、あのさくらんぼみたいな小さな唇を想像してみる。いくら可憐な美少年だからといって、キスしたいと思わないし正直抵抗がある。
 では、クラスの女子とはどうだろう? ぺちゃくちゃ話したりモノを食べたりしているあの唇と触れるとか、想像しただけで気持ち悪い。

 男とは触れるだけではなく、舌を絡め合い口内も舐められたというのに、気持ち悪さを感じなかったから不思議だ。
 薬を飲まされていた影響もあるのだが、気持ち悪いどころか気持ちよ過ぎて腰が砕けてしまったくらいだった。
 男が半透明で生身の人間の生々しさがないから気持ち悪さを感じないのだろうか? はたまた四六時中一緒にいて家族のような感覚になっていて、触れるのに抵抗がなくなったのだろうか?
 答えが出ないことをいつまででも考えていても仕方がない。
 どうせ今の状態でキスをしたって僅かに触れた感覚が分かる程度でキスの振りと変わらないのだから、飼い犬にご褒美のキスをする位の軽い気持ちですればいい。

「ギャーギャー煩いからしてやるよ。目ぇ閉じろ」
「拓也がリードしてくれるのですか? 嬉しいですね」

 フフフと微笑んだ男が、ゆっくり目を閉じて唇を差し出してくる。
 触れる振りだと頭では分かっているのに、快楽を覚えている体が火照りだす。
 そういえば、体育祭から自己処理をしていなかった。溜まっているから異様に雄の部分が騒いでいるんだ。
 後で、抜いておこう。

 体の疼きは仕方ないと諦めて、男に顔を近付けていく。
 青い瞳を、長い睫毛が隠している。
 目を閉じた顔も、ムカつく程美しく整っているな……。
 誰もが羨む完璧な外見と醸し出される大人の雰囲気のせいなのか、最初は隣に居ても凄く遠く感じられていた。だが、手を差し伸べたくなるような純粋な少年のような部分や、俺よりガキっぽい一面も持っていて、気付いたら今までの友達の誰よりも近く感じられるようになっていた。

 鼻先が当たる位に、互いの顔が近付く。
 もうすぐ唇が触れ合うんだと思うと、心臓が早鐘のように鳴りだした。
 恥ずかしさで顔が熱くなっていくのを感じるが、目で距離感を確認しておかないと上手く唇を重ねられないので閉じることは出来ない。
 なんで俺からしてやるなんて言ってしまったのだろう。まぁ、男がするのを目を瞑って待つのも同じくらい恥ずかしいのだが。

 意を決して唇を重ねる。
 柔らかな熱が、仄かに唇に広がってきた。
 体の中に穏やかで優しい春風が吹いたような感覚になり、その風が心臓に当たってキュンと甘く痺れた。
 何故か目の奥が熱くなってきて、そっと瞼を閉じる。
 やっぱり男とのキスは嫌ではない。どうして嫌だと思わないのか考えようとしても、僅かに分かる唇の感覚を感じとるのに全ての神経を集中させているので、そんな余裕はない。

 男の唇の感覚を感じとるのに集中し過ぎてどのくらい重ね合わせていたか分からないが、長くやり過ぎたかもしれないと思い、慌てて唇を離す。
 俺が離れたのを感じとった男がそっと瞼を開き、優しい色を宿した青い瞳を向けてくる。

「ありがとうございました」

 幸せそうに微笑んで礼を言う男に、キュンと甘く締め付けられた心臓が騒ぎ出す。

「お、おう」

 素っ気なく返事を返すと、紅潮し始めた顔を見られないようにそっぽを向く。
 今更ながら、とんでもなく恥ずかしいことをしてしまったんだと後悔をする。
 でも、どこかで喜んでいる自分がいて、そのことに動揺する。

「まさか唇にしてくれるとは思いませんでしたよ」

 驚いたように言う男に振り返ると、触れ合った唇を確認するように嬉しそうに指で触れている。

「え? アンタ、唇を出してきたじゃないか」
「唇にしてもらえたら嬉しいなとは思いましたが、額でも頬でも何処でも構わなかったんですよ」
「そ、そういうことは先に言えよ!」

 俺が男の唇にキスしたくてしてしまったみたいじゃないか。
 いや、あんな唇にしろと言わんばかりの顔をして待っていた男が悪いんだ。
 ふざけるな、と言うように睨み付ける。

「そんな顔で見つめられたらキスだけじゃ我慢できなくなってしまいますよ」
「どんな顔だって言うんだよ」
「知りたいですか?」

 妖艶な笑みを浮かべた男の顔が近付いてくる。
 男にキレていたはずなのに、何かを期待するように心臓が高鳴ってきてしまう。

「拓也、ご飯よー」

 鼻先が触れ合う位置まで男の顔が近付いてきた時、ドアの外から母の声がして、ビクッと体が跳ねた。

「冷めないうちに夕飯を頂きましょう」

 何もなかったように、すっと立ち上がる男。
 そのあっさりとした態度に、なんだか物寂しさを覚えてしまう自分がいて、動揺してしまう。
 溜まっているからちょっと変なだけなんだ。夕飯を食ったら抜いてスッキリしよう。
 ドアを開け、いい香りの漂うキッチンに向かった。
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