先生、教えて。

オトバタケ

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 街から車で十五分、辺りには長閑な田園風景が広がっている。
 更に五分ほど走ると広葉樹の林が現れ、その先に目当ての屋敷が世間の目から隠れるように佇んでいた。
 ここまで送ってくれた同僚に礼を言って車を降り、門の前まで進む。
 主人を護るようにぎっしりと積まれた煉瓦の塀の向こうに建つ歴史がありそうな西洋式の建物――今日から俺が働く国重くにしげ邸を見上げ、新たな仕事に気合いを入れるために両手で頬をパチンと叩く。

「ってぇ……」

 気合いを入れすぎて力を込めすぎてしまい、ヒリヒリ痛む頬に涙が浮かんできてしまう。
 シャツの袖で目を擦り、変に興奮してしまっている体を落ち着かせる為に深呼吸をして、門柱のインターフォンを押す。

「はい」
「本日からお世話になります笠原かさはら光太郎こうたろうです」
「まぁ、先生ですね。どうぞ、お入りになって」

 対応してくれた若い女性の声がプツリと切れると、重たそうな門がギギギと開いていく。
 門を潜り、二十メートルくらい先にある屋敷を目指して歩き始める。

「ようこそいらっしゃいました。家主の国重くにしげ舞子まいこです」

 屋敷の前まで辿り着くとタイミングよく扉が開き、右足にギブスをし松葉杖を両脇に挟んだ女性が出迎えてくれた。
 依頼主である国重夫人は五十二歳だと聞いていたが、目の前の女性は二十二歳の俺と同世代といっても差し障りがないほど若く見える。
 元々童顔なのか、金の力で若さを保っているのか……。
 まぁ、仕事に影響がなければどちらでも構わないのだが。

「奥で息子の直人が待っています。ナオくんったら、先生はいつ来るの?って朝から玄関と門の間を行ったり来たりして、今は疲れてお昼寝してるんですよ」

 ニコニコと話す夫人は、慈愛に満ちた母親の顔をしている。
 胸の奥底に仕舞い込んだ傷がチクリと疼くが、いつものように顔には出さずに笑顔で相槌を打つ。

「さぁ、こちらです」

 外観と同様にアンティークな室内を、怪我をした足を庇ながら、ゆっくりと進む夫人の歩幅に合わせてついていく。
 夫人に連れられて辿り着いたのは、広大な庭に面した窓から明るい陽が射し込むリビングだと思われる部屋だ。
 茶系の家具で統一された落ち着いた雰囲気の部屋の中央に置かれたソファーに、俺がお世話をする国重くにしげ直人なおとは眠っていた。

 大きなソファーに窮屈そうに横になる直人を見て、トクンと心臓が跳ねる。
 百八十センチ近い長身の俺より更にデカく、百九十センチはあろうかという身長。力仕事をしているのでそれなりに筋肉は付いているが全体的に細い俺など貧相に見えるくらい、しっかりと筋肉が付いているのが分かる男らしい体。スースーと寝息を立てる度に揺れる柔らかそうな鳶色の髪の下には、ギリシャ彫刻のような整った顔。
 俺のドストライクなタイプの容姿をした男が目の前にいる。

 無意識に直人の股間に目をやっている自分に気付き、慌てて視線を逸らす。
 直人は三十歳だが、知能は三歳児程度だという話だ。
 お世話をする子に欲情なんかしてどうする。
 奥歯をギリッと噛み締め、頭を先生モードに戻す。

「あらあら、まだナオくんはおねむのようね。起きるまでお茶でも飲んで待っていましょう」

 フフフと微笑み、眠る直人を優しい眼差しで見つめる夫人が、直人の眠るソファーの向かいにある一人掛けのソファーを俺に勧め、リビングから出ていく。
 ソファーに腰掛け、俺の雄の部分をチクチク刺激してくる直人を目に入れないように、鞄から依頼書を取り出して目を通す。

 依頼書には、入浴補助、排泄補助が必要だと書いてある。
 施設では毎日やっていたことだが、純粋にお世話として手伝えるだろうか。
 三歳児程度の知能ならば性的な興奮はしないはずなので、俺が反応してしまっても気付かれはしないだろう。
 夫人が男性を依頼したのは、体のデカい直人の世話をするには体力が要ると考えたからだろうが、女性だと並のモデルや俳優なんかより格好いい直人と無理矢理関係を結んでしまうことを危惧したのかもしれない。
 まさか、ネコのゲイが世話人に来るなんて思わなかっただろう。
 沸き上がってきそうな劣情を抑え込み、専門学校で学んだ二年間、そして施設で働いた二年間を思い返し、自分のすべきことを頭に刻み込む。

 夫人がお茶とお菓子の乗ったワゴンを押して部屋に戻って来たので、慌てて手伝いにいく。
 直人の世話が最優先だが、時間があれば家事の手伝いもして欲しいと依頼書には記してあった。
 だから、男性で家事が出来るという条件に当てはまる俺が、施設から国重家に派遣されたのだ。
 直人は俺の勤める施設の世話にはなったことはないが、同じように障害を抱えている子達に仲間意識があるのか、国重家は施設に多額の資金援助をしている。
 その為、日頃の感謝も込めて親切丁寧にお世話をしてこい、と施設のスタッフから言われて送り出された。
 みんな笑顔を浮かべて手を振っていたが、目は絶対に失敗するなよと訴えていた。
 国重家というスポンサーがあるから他の施設より少しだけ給料がよく、余裕が生まれるから施設の子達にもより優しく接することが出来る。
 ボランティアではなく仕事にすると決めた時に割り切らないとと思っていたが、今の施設は金に関するギスギス感はなく、お世話だけに集中できるので、今の環境を維持する為にも今回の仕事をミスするわけにはいかない。

 紅茶が入っていると思われるティーポット、ソーサー、カップ、とワゴンの上のものを順番にテーブルに置いていっていると、ソファーで眠っている直人の瞼がピクピクと痙攣して、ゆっくりと開いていった。
 髪と同じ鳶色の瞳が、シフォンケーキの乗った皿を直人の前に置いている俺の顔を見つめる。
 目を瞑っていても整った顔をしていたが、目を開けたら想像を上回る俺好みの色男だった。

「だれ?」

 直人が不思議そうに俺を見る。
 寝起きで少し掠れているバリトンの声が腰に響く。
 声まで俺好みだなんて、神は俺にこの仕事を失敗させたいのだろうか?

「ナオくんお待ちかねの光太郎先生ですよ」
「先生!?」

 テーブルに並べたシフォンケーキに生クリームを添えながら夫人が言った言葉を聞き、直人の目がキラキラと輝く。
 一見障害があるようには見えない直人だが、瞳は施設の子達と同じで汚れのない澄んだ色をしている。
 正に、天使の瞳だ。
 瞳を見た途端、俺の中に沸き上がりかけていた劣情が収まっていった。
 代わりに、先生としての自覚が広まっていく。
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