先生、教えて。

オトバタケ

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 さっきから、耳元で何かが鳴っている。
 鼓膜を覆う霧が徐々に晴れていくと、それは目覚まし時計の音だと脳が理解した。
 もう朝か。そう思いながら、妙に重たい腕を気合いで動かして音を消す。
 頭上から聞こえてくる穏やかな寝息を確認し、直人を起こさずに済んだことに安堵の息を吐き、いつものように腕の中からそっと抜け出そうと試みる。
 しかし、今日は余程きつく抱き締めているのか、なかなか体を離すことが出来ない。

 いつもの三倍ほどの時間をかけて直人の腕の中から抜け出し、雄の俺を洗い流して先生の俺になるため、浴室に向かうべくベッドを降りる。
 だが、布団から出た自分の姿を見て唖然とする。
 寝間着を着て寝たはずなのに、全裸なのだ。
 いくら眠っているとはいえ無垢な直人に、たとえ朝の生理現象であっても反応を示す中心を知られたくなくて、急いで浴室に駆け込む。

 洗面台に手を掛け、どうしてこんな格好をしているのか記憶を遡ってみようとした瞬間、何かが太股をつうっと流れ落ちていった。
 その感触に触発されたように、昨夜の出来事が一気に脳内を駆け巡った。
 夢の中の男に抱かれる夢を見て、我慢できずに熱を散らしていたところを直人に見られて、そして直人に……。
 自分の犯した罪を思い出し、絶望した体から力が抜けて床に崩れ落ちていく。

 現実逃避している暇などない。
 あと三十分もすれば、直人は目覚めるだろう。
 それまでに雄の俺を洗い流し、先生の俺に戻らなければならない。
 直人に昨夜のことを聞かれても誤魔化して、夢の中の出来事だったんだと思わせるんだ。
 直人を汚してしまった事実は消えないが、これ以上汚すことだけは避けなればならない。
 雄の俺は無理矢理抑え込んで、そのせいでどんなに精神が疲れても、先生としての俺だけで直人に接し、契約期間を乗り切るんだ。

 体を清めるために浴室に入ると、昨日の大罪は現実だったのだと知らしめるように、洗い場に玩具がぽつんと置き去りにされていた。
 シャワーを浴びながら後ろを掻き出すと液体が垂れてきて、夢だと思いたかった希望は完全に打ち砕かれた。

 シャワーを冷水に切り換え、禊ぎの真似事をする。
 俺に流れる穢れた血も、犯した罪も、こんなことで清められるものなんかではない。
 一生この罪は背負って生きていくが、罪を背負ったまま先生は続けられない。
 約束を破った俺には、もうヒーローも現れないだろう。
 やはり、穢れた血を持つ俺には希望の光など射さないのだ。
 だが、犯した罪の償いとして、先生としての最後の仕事として、契約が終わるまでは直人を護り続けなれなければならない。

 体が氷のようになるまで冷水のシャワーを浴びて雄の俺を流しきり、先生の俺になって寝室に戻る。
 カーテンを開けると、薄い雲の間から柔らかな朝日が射し込んできた。
 朝から雨だという予報だったが、この様子だと昼くらいまで天気は持ちそうだ。
 ふと、昨日の朝に直人とした約束が脳裏を過った。
 晴れていたら洗濯物を干した後にダンスを踊ってやる、と言ってしまったのだった。

 今日は、出来るだけ直人と体を密着させたくない。
 先生の俺であれ、といくら頭が命令しても、あの快感を覚えている体はすぐに暴走してしまうだろう。
 昼からの雨を理由に洗濯物を干すのをやめようか。それとも、ダンスよりも魅力的な提案をしてみるか。
 空を見上げて、どうしようか考えていると、背後で直人が動く気配がした。
 ゴクリと唾を飲み込み、昨夜のことなど知らないという顔を作って振り返る。

「ナオくん、おはよう」
「先生……」
「さぁ、お母様が待っているから、早く準備をしような」

 物欲しげに俺を見上げて甘い声で囁いてくる直人を無視し、先生の顔で指導をしていく。
 何かを言いたそうにチラチラと俺を見ながら準備を進める直人には気付かない振りをして、先生の顔で見守る。

 直人の準備が整ったので一階に降りていき、洗濯機を回す。

「先生……」
「今日は昼から雨が降りそうだから、乾燥までやってもらおうな」

 欲情に濡れた瞳を向けてきて、掠れた声で囁いてくる直人を無視し、洗濯機のメニューボタンを押していく。
 いつもと同じ俺の態度に昨夜のことは夢だったのかと思い始めたのか、直人はしきりに首を傾げている。
 このままこの態度を貫けば、直人はアレを夢だと思うはずだ。
 直人の艶やかな表情を見て、むくむくと沸き上がってきそうになった劣情を飲み下し、先生の俺で押さえ付ける。
 洗濯機が回りだしたのを確認し、困惑顔の直人を引き連れてキッチンに向かう。

「おはようございます」
「お母さま、おはよう」
「先生、ナオくん、おはよう」

 キッチンに入ると、母親を前に直人は幼児の顔に戻った。
 今日は昼から雨が降るんだよ、とさっき俺が言った言葉を得意気に告げている姿は無垢な天使そのもので、先程までの艶やかで危険な香りはしない。
 覚えてしまった快感に、猿のように終始盛ることはないのだと分かって安心するのと共に、我慢が出来ずに終始盛っていた自分を惨めに思う。
 サラダのミニトマトを口に放り込んで奥歯で噛み締め、襲ってくる自己嫌悪に耐えた。
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