先生、教えて。

オトバタケ

文字の大きさ
36 / 66

しおりを挟む
「お昼から雨が降るなら、午前中は街へ出掛けてみたらどうかしら?」
「え……」

 予想もしていなかった夫人の提案に、フォークをパンの載った皿の上に落としてしまい、ガシャンと耳障りな音を立ててしまった。

「ナオくんを外に連れ出しても大丈夫なんですか?」
「先生が一緒なら心配いらないでしょ? そうだわ、昨日描いた絵を飾る額を買ってくるといいわ。四つ葉のクローバーを飾る額も必要ね」

 暗に直人が好奇の目に晒されても平気なのかと尋ねる俺に、にこやかに答える夫人。
 だが瞳は強い光を放っていて、息子がどんな仕打ちを受けようとも覚悟は出来ていると告げている。

「はい、では出掛けてみます」
「お昼の準備は私がしておくから、ゆっくり見て回ってらっしゃい」
「おでかけ、やったぁ!」

 二人の会話を繁々と見ていた直人が、新しい冒険が出来るのだと分かり嬉しくて堪らないっといった風な満面の笑みを浮かべる。
 俺も今日は直人と二人きりで過ごすのは避けたかったので、街に出られるのは有り難い。
 外の世界に出て、直人の意識がアレから離れてくれたら幸いだ。
 しかし、外の世界は直人に優しいものとは限らない。
 大罪を犯した償いとして、先生としての集大成として、偏見の眼差しから直人を護らなければならない。

 朝食を終えて時計を見ると、九時になろうかというところだった。
 確かホームセンターは、九時からやっていたはずだ。
 額も売っているだろうから、あそこに行ってみよう。

「ナオくん、ホームセンターに行ってみような」
「ホームセンター?」
「あぁ、いろんな物がいっぱいあって楽しいぞ」
「やったぁ! たのしみっ!」

 期待に胸を膨らませて瞳を輝かせている直人は、いつもの質のよい綿のシャツとズボンを穿いている。
 このまま出掛けても差し障りのない格好の直人に対して、俺は仕事着のTシャツにジャージだ。
 Tシャツはいいとしても、ジャージはジーンズに穿き替えてから出掛けることにしよう。
 なるべく直人に視線が集まらないように、いかにも介助者と分かる格好は避けたいからだ。
 ニコニコと二人の会話を聞いていた夫人に、着替えてくるので直人と待っていて欲しいと頼み、二階に急ぐ。

 手早くジーンズに着替えて一階に戻ろうとすると、昨夜眠る時にヘッドボードに置いた互いを描いた絵が目に入った。
 凛とした俺の顔を描いてくれた無垢な魂を汚してしまった己の不甲斐なさに、身が引き裂かれそうな痛みが走る。
 今は落ち込んでいる場合ではないだろ、と痛みに歪む顔を叩き、急いで一階に戻る。

 キッチンに戻ると、駆け寄ってきた直人が早くと急かすように腕を掴んで引っ張ってきた。
 伝わってくる温もりに、昨夜の快感を覚えている肌がザワザワと騒ぎ出すが、グッと奥歯を噛んで抑え込む。

「タクシーを呼んでおいたわ。これ、タクシー代と額代ね」
「はい。お釣りはレシートと一緒に後で返します」
「残りは御駄賃に取っておいて」
「いや、そんな訳には……」

 夫人が必要費用として渡してきたのは五万だ。
 いくら街から離れているとはいえタクシー代に片道二万も掛からないし、額も相当な高級品を買わなければ三つで一万もしないだろう。
 御駄賃発言に受け取るのに躊躇してしまうと、無理矢理お札を握らされた。
 若々しく見えても、こういう強引なところは中年の御婦人らしいなと、頭を下げてそれを財布にしまった。

「先生、早く行こうよ」
「あぁ。では、いってきます」
「きますっ!」
「いってらっしゃい」

 散歩をせがむ犬のような直人に微笑みながら、同じように微笑む夫人に挨拶をして、タクシーが迎えに来る門の外に向かう。
 空は一面雲に覆われているが、まだ雨を落とすような鉛色ではない。
 この様子ならば帰ってくるまでは降らなさそうだな、と安堵の息を吐く。

 門の外に出てもまだタクシーは来ていなかったので、塀に凭れて到着を待つ。

「先生、ホームセンターって何があるの?」
「そうだな、掃除の道具があったし、食器もあったな。あと、花もあったし、魚もいたはずだ」

 以前訪れたことのあるホームセンター内を思い返し、興味津々に聞いてくる直人に答える。

「たべるお魚?」
「いや、見る魚だ。赤とか青とか、カラフルで綺麗だぞ」
「きれいなお魚、見たい!」
「あぁ。見に行こうな」

 今朝の欲情に濡れた表情は跡形もなく消え、幼児の顔を見せる直人に胸を撫で下ろしていると、タクシーが到着した。
 タクシーに乗り込み、街の外れにある大型のホームセンターに向かう。
 直人は、車窓の外の移動しているのか分からなくなるくらい様変わりしない田園風景を、それでも楽しそうに眺めている。

「遠足に行くみたいで楽しいか?」
「えんそく? ちがうよ、デートだよ」
「へ?」
「お父さまとお母さまが一緒にでかける時、デートって言ってたよ」
「そうか」
「うんっ!」

 デートの意味など知らない直人は、出掛けることをそう表現するのだと思っているのだ。
 父親と母親は好き同士だからデートになるけど、俺と直人は違うからデートではないなんて言ったら、直人はまた結婚したいだの家族になりたいだの言ってくるだろう。
 今日は心を揺さぶられるのもなるべく避けたいので、それ以上は追求せずに、早くホームセンターに着いて直人の気が逸れることを願った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件

白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。 最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。 いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。

きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。 自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。 食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

処理中です...