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「お昼から雨が降るなら、午前中は街へ出掛けてみたらどうかしら?」
「え……」
予想もしていなかった夫人の提案に、フォークをパンの載った皿の上に落としてしまい、ガシャンと耳障りな音を立ててしまった。
「ナオくんを外に連れ出しても大丈夫なんですか?」
「先生が一緒なら心配いらないでしょ? そうだわ、昨日描いた絵を飾る額を買ってくるといいわ。四つ葉のクローバーを飾る額も必要ね」
暗に直人が好奇の目に晒されても平気なのかと尋ねる俺に、にこやかに答える夫人。
だが瞳は強い光を放っていて、息子がどんな仕打ちを受けようとも覚悟は出来ていると告げている。
「はい、では出掛けてみます」
「お昼の準備は私がしておくから、ゆっくり見て回ってらっしゃい」
「おでかけ、やったぁ!」
二人の会話を繁々と見ていた直人が、新しい冒険が出来るのだと分かり嬉しくて堪らないっといった風な満面の笑みを浮かべる。
俺も今日は直人と二人きりで過ごすのは避けたかったので、街に出られるのは有り難い。
外の世界に出て、直人の意識がアレから離れてくれたら幸いだ。
しかし、外の世界は直人に優しいものとは限らない。
大罪を犯した償いとして、先生としての集大成として、偏見の眼差しから直人を護らなければならない。
朝食を終えて時計を見ると、九時になろうかというところだった。
確かホームセンターは、九時からやっていたはずだ。
額も売っているだろうから、あそこに行ってみよう。
「ナオくん、ホームセンターに行ってみような」
「ホームセンター?」
「あぁ、いろんな物がいっぱいあって楽しいぞ」
「やったぁ! たのしみっ!」
期待に胸を膨らませて瞳を輝かせている直人は、いつもの質のよい綿のシャツとズボンを穿いている。
このまま出掛けても差し障りのない格好の直人に対して、俺は仕事着のTシャツにジャージだ。
Tシャツはいいとしても、ジャージはジーンズに穿き替えてから出掛けることにしよう。
なるべく直人に視線が集まらないように、いかにも介助者と分かる格好は避けたいからだ。
ニコニコと二人の会話を聞いていた夫人に、着替えてくるので直人と待っていて欲しいと頼み、二階に急ぐ。
手早くジーンズに着替えて一階に戻ろうとすると、昨夜眠る時にヘッドボードに置いた互いを描いた絵が目に入った。
凛とした俺の顔を描いてくれた無垢な魂を汚してしまった己の不甲斐なさに、身が引き裂かれそうな痛みが走る。
今は落ち込んでいる場合ではないだろ、と痛みに歪む顔を叩き、急いで一階に戻る。
キッチンに戻ると、駆け寄ってきた直人が早くと急かすように腕を掴んで引っ張ってきた。
伝わってくる温もりに、昨夜の快感を覚えている肌がザワザワと騒ぎ出すが、グッと奥歯を噛んで抑え込む。
「タクシーを呼んでおいたわ。これ、タクシー代と額代ね」
「はい。お釣りはレシートと一緒に後で返します」
「残りは御駄賃に取っておいて」
「いや、そんな訳には……」
夫人が必要費用として渡してきたのは五万だ。
いくら街から離れているとはいえタクシー代に片道二万も掛からないし、額も相当な高級品を買わなければ三つで一万もしないだろう。
御駄賃発言に受け取るのに躊躇してしまうと、無理矢理お札を握らされた。
若々しく見えても、こういう強引なところは中年の御婦人らしいなと、頭を下げてそれを財布にしまった。
「先生、早く行こうよ」
「あぁ。では、いってきます」
「きますっ!」
「いってらっしゃい」
散歩をせがむ犬のような直人に微笑みながら、同じように微笑む夫人に挨拶をして、タクシーが迎えに来る門の外に向かう。
空は一面雲に覆われているが、まだ雨を落とすような鉛色ではない。
この様子ならば帰ってくるまでは降らなさそうだな、と安堵の息を吐く。
門の外に出てもまだタクシーは来ていなかったので、塀に凭れて到着を待つ。
「先生、ホームセンターって何があるの?」
「そうだな、掃除の道具があったし、食器もあったな。あと、花もあったし、魚もいたはずだ」
以前訪れたことのあるホームセンター内を思い返し、興味津々に聞いてくる直人に答える。
「たべるお魚?」
「いや、見る魚だ。赤とか青とか、カラフルで綺麗だぞ」
「きれいなお魚、見たい!」
「あぁ。見に行こうな」
今朝の欲情に濡れた表情は跡形もなく消え、幼児の顔を見せる直人に胸を撫で下ろしていると、タクシーが到着した。
タクシーに乗り込み、街の外れにある大型のホームセンターに向かう。
直人は、車窓の外の移動しているのか分からなくなるくらい様変わりしない田園風景を、それでも楽しそうに眺めている。
「遠足に行くみたいで楽しいか?」
「えんそく? ちがうよ、デートだよ」
「へ?」
「お父さまとお母さまが一緒にでかける時、デートって言ってたよ」
「そうか」
「うんっ!」
デートの意味など知らない直人は、出掛けることをそう表現するのだと思っているのだ。
父親と母親は好き同士だからデートになるけど、俺と直人は違うからデートではないなんて言ったら、直人はまた結婚したいだの家族になりたいだの言ってくるだろう。
今日は心を揺さぶられるのもなるべく避けたいので、それ以上は追求せずに、早くホームセンターに着いて直人の気が逸れることを願った。
「え……」
予想もしていなかった夫人の提案に、フォークをパンの載った皿の上に落としてしまい、ガシャンと耳障りな音を立ててしまった。
「ナオくんを外に連れ出しても大丈夫なんですか?」
「先生が一緒なら心配いらないでしょ? そうだわ、昨日描いた絵を飾る額を買ってくるといいわ。四つ葉のクローバーを飾る額も必要ね」
暗に直人が好奇の目に晒されても平気なのかと尋ねる俺に、にこやかに答える夫人。
だが瞳は強い光を放っていて、息子がどんな仕打ちを受けようとも覚悟は出来ていると告げている。
「はい、では出掛けてみます」
「お昼の準備は私がしておくから、ゆっくり見て回ってらっしゃい」
「おでかけ、やったぁ!」
二人の会話を繁々と見ていた直人が、新しい冒険が出来るのだと分かり嬉しくて堪らないっといった風な満面の笑みを浮かべる。
俺も今日は直人と二人きりで過ごすのは避けたかったので、街に出られるのは有り難い。
外の世界に出て、直人の意識がアレから離れてくれたら幸いだ。
しかし、外の世界は直人に優しいものとは限らない。
大罪を犯した償いとして、先生としての集大成として、偏見の眼差しから直人を護らなければならない。
朝食を終えて時計を見ると、九時になろうかというところだった。
確かホームセンターは、九時からやっていたはずだ。
額も売っているだろうから、あそこに行ってみよう。
「ナオくん、ホームセンターに行ってみような」
「ホームセンター?」
「あぁ、いろんな物がいっぱいあって楽しいぞ」
「やったぁ! たのしみっ!」
期待に胸を膨らませて瞳を輝かせている直人は、いつもの質のよい綿のシャツとズボンを穿いている。
このまま出掛けても差し障りのない格好の直人に対して、俺は仕事着のTシャツにジャージだ。
Tシャツはいいとしても、ジャージはジーンズに穿き替えてから出掛けることにしよう。
なるべく直人に視線が集まらないように、いかにも介助者と分かる格好は避けたいからだ。
ニコニコと二人の会話を聞いていた夫人に、着替えてくるので直人と待っていて欲しいと頼み、二階に急ぐ。
手早くジーンズに着替えて一階に戻ろうとすると、昨夜眠る時にヘッドボードに置いた互いを描いた絵が目に入った。
凛とした俺の顔を描いてくれた無垢な魂を汚してしまった己の不甲斐なさに、身が引き裂かれそうな痛みが走る。
今は落ち込んでいる場合ではないだろ、と痛みに歪む顔を叩き、急いで一階に戻る。
キッチンに戻ると、駆け寄ってきた直人が早くと急かすように腕を掴んで引っ張ってきた。
伝わってくる温もりに、昨夜の快感を覚えている肌がザワザワと騒ぎ出すが、グッと奥歯を噛んで抑え込む。
「タクシーを呼んでおいたわ。これ、タクシー代と額代ね」
「はい。お釣りはレシートと一緒に後で返します」
「残りは御駄賃に取っておいて」
「いや、そんな訳には……」
夫人が必要費用として渡してきたのは五万だ。
いくら街から離れているとはいえタクシー代に片道二万も掛からないし、額も相当な高級品を買わなければ三つで一万もしないだろう。
御駄賃発言に受け取るのに躊躇してしまうと、無理矢理お札を握らされた。
若々しく見えても、こういう強引なところは中年の御婦人らしいなと、頭を下げてそれを財布にしまった。
「先生、早く行こうよ」
「あぁ。では、いってきます」
「きますっ!」
「いってらっしゃい」
散歩をせがむ犬のような直人に微笑みながら、同じように微笑む夫人に挨拶をして、タクシーが迎えに来る門の外に向かう。
空は一面雲に覆われているが、まだ雨を落とすような鉛色ではない。
この様子ならば帰ってくるまでは降らなさそうだな、と安堵の息を吐く。
門の外に出てもまだタクシーは来ていなかったので、塀に凭れて到着を待つ。
「先生、ホームセンターって何があるの?」
「そうだな、掃除の道具があったし、食器もあったな。あと、花もあったし、魚もいたはずだ」
以前訪れたことのあるホームセンター内を思い返し、興味津々に聞いてくる直人に答える。
「たべるお魚?」
「いや、見る魚だ。赤とか青とか、カラフルで綺麗だぞ」
「きれいなお魚、見たい!」
「あぁ。見に行こうな」
今朝の欲情に濡れた表情は跡形もなく消え、幼児の顔を見せる直人に胸を撫で下ろしていると、タクシーが到着した。
タクシーに乗り込み、街の外れにある大型のホームセンターに向かう。
直人は、車窓の外の移動しているのか分からなくなるくらい様変わりしない田園風景を、それでも楽しそうに眺めている。
「遠足に行くみたいで楽しいか?」
「えんそく? ちがうよ、デートだよ」
「へ?」
「お父さまとお母さまが一緒にでかける時、デートって言ってたよ」
「そうか」
「うんっ!」
デートの意味など知らない直人は、出掛けることをそう表現するのだと思っているのだ。
父親と母親は好き同士だからデートになるけど、俺と直人は違うからデートではないなんて言ったら、直人はまた結婚したいだの家族になりたいだの言ってくるだろう。
今日は心を揺さぶられるのもなるべく避けたいので、それ以上は追求せずに、早くホームセンターに着いて直人の気が逸れることを願った。
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