先生、教えて。

オトバタケ

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 ホームセンターに着いて、その建物の大きさに吃驚していた直人だが、店内に入って天井高く積まれた様々な商品に更に驚いたようで、首が折れるんじゃないかというほど辺りを見回している。

「まずは、魚を見に行ってみようか」
「はいっ!」

 元気に返事をした直人を引き連れ、最奥にある魚売り場を目指す。
 平日の開店間もない店内には、老夫婦や幼子を連れた若い母親が十数組いるだけだ。
 思っていたより多くの目がないことに安心して横を伺うと、さっきまでいたはずの直人の姿がなくなっていた。
 
急いで通路の間を確認しながら来た道を戻っていく。
 三本目の通路の奥に長身の影を見つけて駆け寄ると、探し人は扇風機の風に揺れてチリンチリンと涼しげな音を奏でている風鈴を眺めていた。

「ナオくん、一人で勝手に行っちゃ駄目だろ」
「だって、きれいな音がしたんだもん」

 きつく言ってしまった俺に、シュンと項垂れる直人が怒られた犬のように見えて、頬が弛んでしまう。

「ここは広いから、離れちまったらずっと会えなくなるかもしれないんだぞ」
「先生とはなれちゃうのやだっ!」

 優しく諭すと、悲痛な表情を浮かべた直人が、俺の左手を大きな右手で包んできた。

「ナオ……くん?」
「お手手つないでたら、はなれちゃわないよ」

 繋がれた手から伝わってくる温もりに、また肌がザワザワと騒ぎだすが、顔を綻ばせて言う直人に邪な感情などないのだと先生の俺が制する。
 幼子と手を繋いで買い物をするのは当然のことだ、と横を通りすぎる若い母親と幼子が手を繋いでいるのを見て、この行為を正当化させる。

 手を繋いだまま、魚売り場を目指す。
 並のモデルや俳優よりも格好いい直人に、若い母親がチラチラと此方を盗み見ている。
 しかし、繋がれた手を見て複雑そうな顔をして視線を逸らしてしまった。
 直人の障害が分かり、憐れんだのか嫌悪したのか、どちらにしても関わりたくないと思ったのだろう。
 そんな視線に気付かない直人は、たくさんの商品が楽しいのかニコニコとご機嫌で、フラフラと気になる商品の方に向かおうとする。
 直人の行きたいところに全て付き合っていたら日が暮れてしまいそうなので、その度に引き寄せる。

「さぁ、魚売り場に着いたぞ」
「うわぁ、きれいだね」

 魚売り場に着くと、入口に置かれたの巨大水槽に顔を近付け、中で泳ぐカラフルな熱帯魚に目を輝かせている直人。

「先生、これシマシマだよ。これは光ってるよ」
「奥にも、もっと魚がいるし、海老も蟹もいるみたいだぞ」
「うわぁ、たのしみっ!」

 楽しそうに魚を眺めている直人に興味を引かれたのか、三歳くらいの女の子が直人の横に来て一緒に水槽を眺め始めた。
 仲良く並んだ無垢な魂を微笑みながら見守っていると、女の子の母親が現れて無理矢理娘を連れていってしまった。
 勝手にどこかに行ってしまった女の子を連れ戻しにきたのだと思いたかったが、チラリと直人を見た母親の目に浮かんだ好奇の色に、そうではないのだと分かって心が沈んでいった。

 外の世界は優しくはないとは分かっていたが、女心を擽る見た目の直人には複雑な眼差しが浴びせられ、初めて経験するその視線に俺の方が折れそうになってしまう。
 無垢な笑みを浮かべて魚を眺め続けいる直人を護るのが俺の使命なんだ、と弱気になっている自分を鼓舞する。

 魚を存分に堪能した直人を連れて、絵を入れる額を探しに歩き始める。
 文房具用品を扱っている通路に入ると、様々な額の並んだ棚を見つけた。

「ナオくんはどんなのがいいんだ?」
「うーん、これっ!」

 様々なタイプの額を一心に見ている直人に尋ねると、暫く悩んだ末に焦げ茶のシンプルなデザインのものを指差した。
 それを取り出し値札を見ると、二千円と記されていた。
 他のものを見ても千円から三千円くらいの値札が付いているので、並の品物なのだろう。
 プラスチック性なのかそんなに重くないし、あの絵を入れるには妥当な額だろう。

「先生、おしばなはこれにしよっ!」

 直人が選んだ額を確かめていると、同じ種類の色違いのものを差し出してきた。

「額の色がクローバーみたいだな」
「そうなの。だからこれに入れてあげるの」

 直人の太陽のような笑顔に照らされたら、あの葉っぱは押し花になっても咲いていた時と同じ生命力に満ち溢れた姿を保ちそうだな。
 そんなことを思いながら直人が四つ葉のクローバー用に選んだ緑色の額も受け取り、会計を済ませにレジに向かう。

 額の会計を済ませ、時間を確認すると十時半を回ったところだった。
 もう少し、ここにいても大丈夫そうだ。

「先生、お花があるよ」

 繋いだ手を引っ張って直人が言う先には、鉢植えの花や観葉植物の置かれたスペースがあった。
 見たい、と全身で訴えてくる直人を引き連れ、そこに向かう。

「ナオくんの家には花はないんだよな?」

 鉢植えのバラの刺を興味深そうに観察している直人に聞く。

「うん。ないよ」

 あの広大な芝の庭に花の姿を見たことはなかったが、やはりないようだ。

「ナオくんは花を育ててみたいか?」
「うん、育てたいっ!」

 バラからパッと顔をあげた直人が、キラキラの瞳を向けてくる。

「毎日水をあげなきゃ駄目だぞ。出来るか?」
「できるっ!」

 繋いでいない方の手で拳を握り、ブンブンと上下に振って熱意を訴えてくる。

「よし、じゃあ何か一つ花を買っていって育ててみようか」
「やったぁ!」

 嬉しさに走り出しそうなった直人を繋いだ手を引っ張って止めて、花を驚かせないようにゆっくり歩こうな、と告げて花選びを始める。

 直人が選んだのは、朝顔だった。
 小学生向けにディスプレイされた朝顔の育成キッドを見て、これがいいと言ったのだ。
 必要な物がセットになっているし、小学生でも育てられるのならば、二人で育てればちゃんと開花させることは出来るだろう。

 朝顔の育成キッドを買い、店を出てタクシーを呼ぶ。
 朝顔を持ちたがる直人にそれを渡し、タクシーを待つために駐車場の隅に歩いていく。

「久しぶりだな」

 不意に声を掛けられて振り向くと、高校の同級生で、俺の初めてを無理矢理奪って穢れた血を目覚めさせた委員長が立っていた。

「あぁ」

 全身を舐め回すように見られて、いやでも獣のようだった自分が脳裏に浮かんでしまい俯いてしまう。

「それがお前の新しい男か? もう抱かれるのは嫌だとか言っていた癖に、やっぱり男の味は忘れられなかったか?」

 施設の子達と出会って希望を見つけ、男達との淫らな関係を一切経った後も、この委員長は執拗に関係を迫ってきた。

「こいつの味は最高でしょ? こいつの初めてを味わったのは俺なんですよ。最初からこいつは淫乱でね」

 委員長が直人に向かい、下衆な笑いを浮かべて挑発的な口調で言う。

「もうタクシーが来るから行くな。ナオくん、行くぞ」

 委員長の口から発せられる獣の俺を知られたくなくて、直人を引っ張りその場を去ろうとするが、直人は岩のようにびくとも動かない。
 突然、温かな熱が全身を包んだ。
 甘い香りが鼻を擽り、何かを期待した心臓が波打ち始める。

「先生はぼくのなの。先生は、ぼくとけっこんしてかぞくになるの」

 俺をぎゅうっと胸に押し付けて言う直人の声は、明らかに怒気を孕んでいる。

「お前、脳足りんを相手にして自分好みに調教してるのか? 番号は変わってないから、そいつに飽きたら連絡してくれ」

 蔑む口調でそう告げ、委員長は去っていった。
 俺が罵倒されるのは構わないが、俺と一緒にいたせいで直人まで馬鹿にされるのは胸が張り裂けそうなほど辛い。

「ナオくん……」

 ここで、ごめんなんて謝ってしまったら、委員長が直人に放った酷い言葉を肯定してしまうことになる。
 どうしようもない自分を詫びるように、直人を抱き締め返す。
 直人の心地好い温もりに包まれていると、徐々に胸の痛みは鎮まっていった。

「そろそろタクシーが来るから行こうな」
「うん」

 そっと胸板を押して促すと、直人は素直に従って俺から体を離した。
 駐車場の隅に着くと、ちょうどいい具合に到着したタクシーに乗り込み、家路についた。
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