先生、教えて。

オトバタケ

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「ん……」

 顔を照らしてくる眩しい光に導かれるように瞼を上げると、いつもの寝室とは違う天井が見えた。
 どこかで見た覚えがあるが、リビングとも書斎とも違う天井だ。
 思い出せそうで思い出せない気持ち悪い感じに唸っていると、扉が開く音がして誰かが近付いてくる足音がした。

「おはよう。熱は下がったみたいね」

 近付いてきたのは梅田先生で、俺の額に手を載せるとほっとしたように微笑んだ。

「熱?」
「一昨日の昼に高熱を出して倒れたのよ」
「一昨日?」
「えぇ。疲れが出たのか、一日以上寝てたのよ」

 記憶を辿ると、買ってきた額に直人と絵を入れたところまで思い出せた。
 そこで記憶が途切れているということは、直人の前で倒れてしまったということなのだろうか。
 突然俺が倒れて、直人は混乱したに違いない。
 護ろうと誓ったのに、傷つけてばかりの自分が腹立たしい。

「ナオくんは?」
「取り乱すくらい心配して光太郎くんの側にいるって騒いだから、お薬を飲んでもらって光太郎くんと一緒に一日寝ててもらったわ。もうそろそろ起きるだろうから、顔を見せて安心させてあげて」

 梅田先生の言葉を聞き、急いでベッドを降りて部屋の全体像が見えると、ここは客間だったのだと分かった。
 まだ多少ふらつく足で、直人の寝室に向かう。

 そっと寝室のドアを開けると、中は薄暗かった。
 足音を立てずにベッドに近付くと、直人はスースーと規則的に寝息を立てていた。
 その寝顔が想像したような苦痛に歪む顔ではなかったのに安心したが、いつもの穏やかな顔ではなく機械的な感じがしてチクリと胸が痛んだ。

 まだ時刻は、いつも直人が起床する時間より早いし、熱を下げるために大量に汗を掻いたのだろう汗臭い体を清めてこようか。
 物音を立てずに鞄から仕事着を取り出し、浴室へと向かう。
 服を脱いで、ふと洗面台の鏡を見ると、体のあちこちに虫に刺されたような赤い斑点が散らばっていた。
 普段は使われていない客間のベッドを使ったからだろうか?

 痒みはないのにな、と鎖骨にある赤い斑点に触れると、ピリピリと甘い痺れが走った。
 そして脳裏に、直人との交わりが浮かんできた。
 これは虫刺されではなく、直人に付けられたキスマークだ。
 高熱を出して意識が混濁していたといえ、欲しがる直人を拒みもせず、あろうことか誘うように抱かれてしまった。

 浴室に駆け込み、後ろを掻き出してみるが、直人の放ったモノは出てこない。
 何度も直人に突かれたのは高熱にうなされて見た夢だと思いたい心を、もっと欲しいとうねる内壁と直人の残した痕が否定する。

 後ろの後処理をしたのは直人だろうか? いや、初めての時には後処理はされていなかった。
 では、第三者がしたということか? まさか、梅田先生?
 梅田先生は医者だし、五年前に男達に乱暴された俺の治療もしている。
 直人は俺を抱く前に、梅田先生に俺を診てもらったと言っていたはずだ。
 俺の症状を確認しに、再び部屋を訪れた可能性は極めて高い。
 抱いていた俺が意識を失って錯乱していた直人に薬を飲ませて眠らせ、俺の体を清めて客間に運んだと考えると辻褄が合う。

 これ以上汚さず、犯した罪の償いとして、契約が終わるまでは護り切ると誓ったばかりなのに、また直人を汚してしまった。
 更に、罪を国重家の一員に知られてしまった。
 梅田先生に知られたということは、当然夫人の耳にも入っているだろう。
 いや、俺が男に乱暴されたことを話していなかった梅田先生なら、夫人が傷付くのを嫌って話していないかもしれない。

 夫人に知られる前に、国重邸から去らなければならない。
 そのせいで国重家からの援助が途絶えて施設から契約違反だと罵られても、直人を護るためには立ち去るのが最良の選択だ。
 夫人と顔を合わせたら、今日限りで直人のお世話を辞めさせてもらうと告げることを決め、今日で最後の先生になるためにシャワーで身を清めていく。

 寝室に戻ると、ベッドの中の直人が身を捩っていた。
 カーテンを開け、今日は晴天なのだと分かる明るい陽射しを室内に入れ、ベッドに近付く。

「ナオくん、おはよう」
「先生、おねつは?」
「もう大丈夫だ。心配してくれてありがとな」

 心配そうに俺を見上げている直人に、笑い掛ける。
 すると、泣きそうな笑みを浮かべた直人が、俺の腕を掴んで引寄せてきた。

「よかった」

 厚い胸板に押し付けた俺の体を力の限り抱き締めた直人が、愛しそうに呟いた。
 泣きたいくらいの甘い痺れと、死にたいくらいの罪悪感とが混ざり合った巨大な嵐が生まれ、体の中を駆け抜けていく。

「先生、熱が下がったから腹が減ったんだ。早く朝飯を食べにいこう」
「うん。いっぱいたべて、いっぱい元気になってね」
「あぁ」

 俺を離して、いそいそと準備を始める直人を横目にベッドを確認すると、シーツが取り替えられていた。
 直人にシーツの取り替え方を教えてはいない。
 やはり、第三者がここに入り、廃液まみれのシーツを取り替えたということだ。
 心のどこかで、まだ夢だと思っていたアレが、やはり現実だったのだと突き付けられて、崩れ落ちそうになる体を必死に支えて最後の先生の顔で直人を見守る。

 一階に降りていき、洗濯機を回してキッチンに向かうと、中にいたのは梅田先生だけだった。

「ナオくん、光太郎くん、おはよう」
「姫子おばさま、おはよう」
「おはようございます」

 直人と関係を持ってしまったことを知られ、更に後処理までされたので、いたたまれなくて梅田先生の顔が見られない。

「あれ、お母さまは?」

 キッチンにいるのが梅田先生だけだと気付いた直人が、少し寂しげに聞く。

「明け方まで降っていた雨の影響なのか、足が痛むようなの。今日はゆっくり休ませてあげて」
「おみまいしてもいい?」
「明日になったら元気になるから、今日は会うの我慢していい子で待ってましょう」
「うん、いい子にしてる」

 重病ではないと分かった直人が、元気を取り戻して席につく。
 俺も椅子に座りながら、今日は夫人に会えないことに打ち沈む。
 今日一日、なんとしても先生の俺で過ごしきり、明日には夫人に先生を辞めることを告げよう。
 病み上がりだからと用意されていた雑炊を胃に流し込み、頼むから今日だけ出てくるんじゃないぞ、と雄の俺に言い聞かした。
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