先生、教えて。

オトバタケ

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 朝食を終え、梅田先生に渡された薬を飲んで、洗濯機を確認しに浴室に向かう。
 玄関の前を通りかかると、土間に置かれたままの朝顔の育成キッドが目に入った。
 俺の視線に気付いた直人も、それを見遣る。

「今日は、あさがおできる?」
「そうだな。晴れてるし、洗濯物を干したら種蒔きするか」
「やったぁ!」

 早く早く、と散歩を催促する犬のように俺の腕を掴んで洗濯機に向かう直人。
 掴まれた箇所から伝わってくる温もりに、あれだけの罪を犯してもなお疼きだしてしまう浅ましい雄の俺。
 歯が欠けるくらいに奥歯を噛み締め、沸き上がってこようとする卑しい感情を押さえ付ける。

 早く朝顔の種蒔きをしたくて堪らない直人は、乱暴に洗濯機から洗濯物を取り出していく。

「ナオくん、もっと優しくしてやらないと服が痛がるぞ」

 カゴの脇に落ちてしまったタオルを拾おうとしゃがんで手を伸ばすと、同時に伸ばされた直人の手と重なった。

「先生……」

 重なった俺の手をぎゅっと握り締め、甘い声で囁いてきた直人の欲情に染まった顔が近付いてくる。
 ドクンと高鳴った心臓が、この後に訪れる蕩けるような口付けを期待して早鐘を打つ。

「ほら、早く洗濯物を干して朝顔の種蒔きをするんだろ?」

 唇が触れ合う寸前に、いけないと気付いた先生の俺が慌てて顔を背けて、握られた手を無理矢理解いて立ち上がる。
 物欲しそうに俺を見上げていた直人だが、早く朝顔の種蒔きをしたい誘惑には勝てなかったのか、洗濯物を入れたカゴを持って立ち上がった。

 とりあえず干せばいいと言わんばかりに適当に洗濯物を干していく直人に、ちゃんと干さないと朝顔の種蒔きはしないと叱る。
 シュンと項垂れた直人と共に洗濯物を干していき、朝顔の育成キッドを取りに玄関に向かう。

「物干し台の近くでやろうか」
「はいっ!」

 あそこなら陽当たりもいいし、洗濯物を干すついでに世話も出来る。
 大事そうに朝顔の育成キッドを抱えた直人を引き連れ、物干し台の置かれた場所に戻る。
 袋を開け、入っていた説明書を読みながら鉢に土を入れ、種蒔きをする準備をする。
 俺が鉢に入れた土を恐る恐る触る直人に対して沸いてくる庇護欲に、まだ先生としての感情が残っていたことに安堵する。

「ナオくん、こうやって穴を空けてみな」
「うん」

 土に人差し指を挿して種を入れる穴を作り、直人に見せる。
 直人の長い指が土に挿し込まれていく様を眺めていると、その指の与える快感を覚えている後ろがぎゅうっと締まった。
 ぎゅっぎゅっと締まってうねる内壁を無視し、朝顔の種の準備を始める。

「じゃあ、種を空けた穴に入れるぞ」
「こんなに小さいのに、お花になるの?」
「あぁ、そうだぞ。ちゃんと水をやって世話をすれば、大きくなって綺麗な花が咲くんだ」

 開花した朝顔を想像しているのか、ニコニコしながら種を蒔いている直人に、一緒に育ててやれないことを心の中で詫びる。
 直人のために綺麗な花を咲かせてくれな、と祈りを込めて俺も種を蒔いていく。

 土を被せ、一旦室内に戻って手を洗う。

「水をやるじょうろがないか、姫子叔母様に聞いてみよう」
「うん」

 夫人に聞くのが一番確実なのだが今日は会えないので、あの医院に移り住むまで、ここで暮らしていた梅田先生に聞いてみることにする。
 リビングを覗くと、ソファーに座って医学書なのか分厚い本を読んでいる梅田先生がいた。

「姫子おばさま、じょうろしってる?」
「じょうろ? 確か納戸にあった気がするわ」
「やったぁ! あさがおにお水あげるからほしいの」
「分かったわ。でも納戸はたくさん物が入ってるから、ナオくんも一緒に探してね」
「はいっ!」
「先生は、今はまだ使わないキッドの中身を片付けてくるから、見つかったら水を入れて朝顔のところに来てくれな」
「うん、分かった」

 本をテーブルに置いて立ち上がった梅田先生に付いて、直人はリビングを出ていく。
 もう、カルガモの雛のように俺の後を付いて回ることもなくなるんだな、とその後ろ姿を眺めて切なさに胸が締め付けられた。
 そんな思いを抱く資格は俺にはないのだ、と痛む胸を拳で叩きつけ、キッドの片付けをしに庭に向かう。

「よっ、先生、体の具合はどうだ?」

 庭に出て、今は使わないキッドの中身を袋に戻していると、俺と同年代くらいの若い男が近付いてきて、軽い口調で話し掛けてきた。

「お前、誰だよ」

 俺のことを先生と呼ぶ男の正体が分からず、睨み付ける。

「そんな怖い顔すんなよ。オレは姫子の息子だ。お前の大事な生徒の直人とは従兄弟って間柄だ。克己かつみって立派な名前があっから、もう、お前なんて呼ぶなよ」

 克己と名乗った男は、国重親子や梅田先生と同じ鳶色の髪と瞳をしている。
 直人ほどではないが、整った顔は国重一族と同系統の美形だ。
 体型も直人ほどの身長はないが俺よりも高く、服の上からでもそこそこ筋肉が付いているのが分かる。

「あの馬鹿の暴走を止めて、先生のケツの処理までしてやったんだから感謝してくれよ」

 克己の顔をまじまじと見ていると、にやりと口角を上げてとんでもないことを言い放ってきた。

「なっ……」

 梅田先生がやったと思っていた後処理は、この梅田先生の息子の克己がやったというのか?

「オレも医者の卵だ。患者の秘密は家族にだってバラしたりしねぇよ」

 固まってしまった俺に、梅田先生に似た全てを包み込むような笑みを向けてくる克己。

「直人は、お前が働いていたとこにいる奴等とは違うだろ? アイツがああなったのは一年前だからな。それまでは普通の、いや、あのなりだから普通以上に恵まれた生活を送ってた。女関係はって意味でな。アイツがああなったのは舞子さんのためだ。舞子さんは、ああなってしまったアイツを赤ん坊のように甘やかして可愛がってる。あの母子には複雑な事情ってやつがあるわけよ」

 克己が語った内容に衝撃を受ける。
 直人は、一年前までは普通の大人の男だっただと?
 幼児のものとは思えない文字も、絵の腕も、綺麗な箸遣いも、体が覚えていたことだと考えれば説明がつく。
 三歳児程度の知能のわりに何事も覚えが早かったのは、一年前までは普通にやっていたことだったからなんだ。
 それに何よりも、俺を抱く手練れた手付きは、女に不自由していなかった大人の男の証明だ。

「夫人のためって、どういうことなんだ?」
「言葉通りの意味だ。さぁて、未来のお医者様は大学に行ってお勉強しますかね」

 俺の質問には明確に答えず、フラフラと門に向かって歩いていく克己。
 直人は幼児に戻ってでも甘えたいくらい、母親が好きなのだろうか?
 そう思った途端、ズキンと体を引き裂くくらいの痛みが走った。
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