先生、教えて。

オトバタケ

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 彼が消えて三ヶ月が経った。
 彼と植えた朝顔は巻き貝のような蕾をぷくりと膨らませ、明日には花開いてしまうだろう。
 俺と彼の愛しい子供――。
 我が子の晴れ姿を、是が非でも愛する伴侶と共に眺めたい。

「くそっ……」

 先程届いた、彼が消えてから雇った探偵の定期報告を、握り潰してゴミ箱に投げ捨てる。
 報告書には、働いているらしいと突き止めた工事現場は三日前に辞めていて、また足取りが不明になったと記してあった。

(君は今、どこにいるんだ?)

 綺麗に花開いた姿を彼に見せたくて、毎日世話を続けた朝顔に水をやるため庭に出て、あれから一つ季節が変わってしまった空を見上げて尋ねてみる。
 ジリジリと照りつける真夏の太陽によって温められた風が干してある洗濯物を揺らし、俺の服と彼が残していった服が仲良くダンスを踊る。
 荷物と共に消えた彼が唯一残していったその服は、毎日の洗濯で少し色落ちしてきている。
 布を痛めたくはないが、自分の服と彼の服が並んで干されている様を見たくて、やめられないでいる。

(君も、この陽射しを浴びているのだろう?)

 彼の温もりを覚えている掌を太陽にかざす。
 君は自分を卑下しすぎるから、陽の当たる場所は相応しくないと、暗い場所で震えているのではないかと心配だ。
 一秒でも早く君に、愛する俺の先生に逢いたい――。


「先生と仲良く暮らすのよ」
「うん。ぼくと先生はけっこんしたから、ずっと一緒にいるよ」

 彼が消えたあの日、まだ青白い顔をしながらもにこやかに話す母に彼と結婚したことを報告していると、部屋に入ってきた克己に突然鼻と口を押さえられて意識を失った。
 ズキズキと痛む頭を抱えながら重い瞼を開けると、そこは父の研究室だった。
 コンピューターの電源が入ったように、今までの記憶とこの一年の母の記憶が脳内に高速で映し出される。
 そして今の状況が分かり辺りを見渡すと、頭上の装置を挟んだ向こう側にあるベッドの脇に、姫子さんと克己がいるのが確認できた。
 ベッドから降り、少しふらつく足取りで二人の元に向かうと、予想した通りにベッドに横たわる母の亡骸があった。

「お母様……」

 ポロポロと涙を流している姫子さんと、辛そうに顔を歪めている克己の隣に並び、幸せそうに微笑む母の死に顔を眺める。
 これで安心して父の元に行ける、と俺の中に移された記憶の中で母が嬉しそうに微笑んでいる。

「直人、俺達を殴らねぇのか?」

 母の、俺と同じ柔らかな鳶色の髪に指を通していると、ズズズと鼻を鳴らした克己が冗談めかして聞いてきた。

「殴る必要なんてないだろ。記憶の移行は成功だ。母の想いを知って殴れるわけないさ。それに、もう俺は一人じゃないしな」
「つーことは、ガキんちょの記憶も残ってんのか?」
「あぁ。ところで彼はどこにいる?」
「オレがここに入ってきた時は廊下にいたぜ」
「分かった。姫子さん、少し先生と話してくるので、母を頼みます」
「えぇ」

 姫子さんに母を頼み、彼に会いに部屋を出たが、廊下に彼の姿はなかった。
 記憶移行にどれ程の時間を要したかは分からないが、何時間も過ぎてはいないはずだ。
 彼と出掛けて戻った時から灯りが付いたままになっているキッチンを覗くが、その姿はない。
 待ちくたびれて眠ってしまったのかもしれないと思い二階の寝室に向かってみたが、彼の姿はなかった。
 彼の鞄がなくなっていることに気付き、まさか、と階段を駆け降りて玄関を確認すると、彼のスニーカーが見当たらない。
 慌てて裸足のまま庭に出るが、どこにも彼の姿はない。

 記憶の移行をしている間に、彼は忽然と消えてしまった。
 何故? どうして? と混乱して、戻ったばかりの記憶の糸がぐちゃぐちゃに絡まりあう。
 彼も俺を愛していると言ってくれた。
 彼も結婚を了承してくれた。
 彼もずっと一緒にいると誓ってくれた。

 五年前の夜だって、彼は俺を求めてくれていた。
 あの夜から彼が気になっていたが、全ての柵から解放されて幼児に戻り、彼に対して抱いていた想いの正体が分かったのだ。
 あの夜俺は彼に惹かれ、彼を見つめ続けているうちに愛してしまっていたのだ。
 それを分かっていたから母は、彼を俺の先生として招いた。
 母が結んでくれたリボンが、固く結びあったと思ったリボンが、遠ざかっていく彼と共にスルスルと解けていってしまう。
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