先生、教えて。

オトバタケ

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 五年前のあの夜、俺は苛立っていた。
 二十年研究を続けても、母の脳を甦らせる装置が完成しない。
 父も喜寿を迎え、頓に老け込んでしまった。
 母を甦らせることだけに執念を燃やして生きていた父が、時折諦めたように母の眠るカプセルを見つめるようになり、とうとう今夜は、自分が死んだら母と共に埋葬して欲しい、と伝えてきた。
 そんなこと出来るものか。
 父と同じで俺の人生も、母を甦らせて再び家族三人で暮らすために費やしてきたんだ。
 二人だけで安らかな眠りにつくだなんて許せない。

 母の脳機能が停止した時、三歳だった俺には、母と過ごした記憶は数えるほどしかない。
 だが、残っている記憶は、どれも温かく幸せに満ち溢れていた。
 両親が俺を愛してくれていたのは、残された写真の枚数でも分かる。
 微かに残っている記憶と写真に写された情景をリンクさせ、忘れてしまわないように何度も反芻した。

 体も頭も年相応に成長していっても、母を求める心だけは三歳の幼児のままだった。
 しかし、純粋に母を求める気持ちだけで研究に没頭していたわけではない。
 父に認めて欲しかったのだ。
 父に、ちゃんと俺を見て欲しかったのだ。

 全ての元凶であり始まりであったあの日、書斎の本棚の一番上の段に収められた七色の背表紙の本を取りたかった俺は、ジャングルジムにでも登るように本棚によじ登った。
 危ないから降りなさい、と注意する母の焦った顔が面白くて、もっと吃驚させてやろうと本棚の天板に手を掛けてぶら下がった。
 危ないからやめて、と悲鳴のように叫ぶ母に更に悪戯心は増し、体を振り子のように左右に揺らした。

「ナオくんっ!」

 母の絶叫に驚いて手を離して床に落ちると、大地震が来たかのように部屋が揺れ、爆弾が爆発したような音がした。
 柔らかな母の胸に包まれて、バタバタと小さな爆弾が落ちてくる音を聞いていると、母の名を叫びながら父が書斎に飛び込んできた。
 その後の記憶は途切れているが、あの時に倒れてきた本棚から俺を守ったのが原因で、母の脳の機能が停止したことは分かっている。

 父は口に出したことはなかったが、何度も俺を責めるように見ていた。
 父は、母を深く深く愛していた。
 父にとって母は、唯一の人だ。
 もし、あの時に犠牲になったのが俺だったならば、父は俺の体を保存して人生を掛けて甦らせる装置など作らなかっただろう。
 母がいれば、新しい子供を作ることは可能だ。
 子供に恵まれなくても、母が傍らにいれば父はそれで満足だったのだろう。
 母をこんな風にしてしまった責任と、そのせいで父に心から愛してもらえなくなった悔しさを晴らすため、母を甦らせる研究に人生を捧げたのだ。

 夜の街を当てもなく歩き、目についたバーに入ってきつい酒を頼むが全く酔えない。
 溜め息を吐きながらグラスを傾けていると、隣の席に座った女が秋波を送ってきた。
 いつもなら相手にしているようなタイプの女だったが、今夜はそんな気分にはなれずに店を後にした。

 人生の全てを掛けて母を甦らせようとする父を見て、家族としての愛情ではない、他人に恋焦がれる気持ちを理解したくて何人もの女と付き合ってみた。
 確かに、女の肉に包まれるのは気持ちがいい。
 だがそれだけで、体は満足しても心が満たされたことはなかった。
 俺は母と血の繋がりがあるから、本能的に母を求めているのだと思う。
 しかし父は、血の繋がりがある俺よりも、心の繋がりだけの母を求めている。
 愛する者が出来れば、父の執念を理解できるのだろうか?

 そんなことを考えながら歩いていると、人気のない路地裏に迷い込んでしまった。
 大通りに戻るべく踵を返そうとすると、薄汚れた路地の奥に人影があるのに気付いた。
 目を凝らして見てみると、どうやら地面に寝転がっているらしい。
 酔い潰れた酔っ払いだろうか?
 普段の俺ならば関わるのは時間の無駄だと放っておくのに、何故だか気になって引き寄せられるようにその人影に歩み寄ってしまった。
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