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1 誘拐犯と

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「へぇ、あんた聖女じゃなくなったのか」

 興味もなさそうに、その男は言った。
 ワインを片手に足を組んで椅子に座る男の名を、ディーという。おそらく偽名だ。
 
「そうね。追放されたの」
「ふぅん」

 やはり、興味がなさそうにディーは相槌あいづちをうつ。
 ワインで喉を潤して、空になったグラスにワインをドボドボと注ぐ。仕草は乱暴で雑だ。けれどそれがなぜか様になる。
 
 ここは城下街の宿屋。価格は安くもないが高くもない、よくある宿屋の一室に二人きり。
 少女はベッドに、男は簡素な木の椅子に、それぞれ腰掛け向かい合っていた。二人の間には一本足のテーブル。その上にぽつんと置かれた 蝋燭ろうそくの光だけがゆらゆら揺れていた。
 そのわずかな光に照らされる男の顔は存外整っているようだ。
 しかもどういうわけか目が離せない。
 うなじでまとめた癖のある黒髪のせいか、褐色の肌のせいか、眼帯に覆われていないきらきらと光る青い片目のせいか、不思議と視線を集める。そんな男だった。
 
「それで? 元聖女様、名前はえーっと」
「リゼットよ」
「姓は?」
「ないわ。ただのリゼット」

 ニヤニヤと笑うディーに対して、リゼットは無表情に名乗った。
 オレンジの光に照らされるのは、背を覆うほどの 揺蕩たゆたうような白い髪と、透き通るように白い肌。緑色の泉のような瞳が蝋燭の光を反射している。その作り物めいた美しさは、まだまだ幼い容貌ようぼうと無表情とが相まって、まるで人形のようだ。
 リゼットに性はない。孤児だから。それに対して何かを言われるのは慣れている。だが、予想に反して、ディーは「へー」と言ってワインを飲むだけだった。
 酒を飲むペースは随分と早い。銘柄めいがらをちらりと見る限り、アルコールが強いことで有名なこの国の名産の酒のようだが、酔っ払う様子もない。まだ酒を飲めるようになってそう月日が立っていないだろう年齢であるのに、酒に強いらしい。一方リゼットは酒を飲める年齢ではない。
 ディーは若く二十歳をこえて間もないが、リゼットは幼く、女と呼べる年齢になって間もない。おそらく5つ以上離れている。
 そんな幼いリゼットに対して、ディーはその年齢差を感じさせない無遠慮な口調で尋ねた。
 
「で? ただのリゼットは、これからどうする?」
「どう? あなたは私をどうしたいの? だって、もう私は聖女じゃないのよ」
「らしいな」
「そして私の今後を握っているのはあなたなの」

 言って、リゼットは両手をディーに見せるように胸の前にあげた。細い両手首はいま麻の縄で縛られている。
 
「それもそうだ」

 ディーは真面目な顔をしてうなずいた後、ケラケラと笑う。
 品がない。と思ってリゼットが顔をしかめると、彼はさらに楽しそうに笑う。リゼットにはいまいちこの男の事がわからない。まぁわかるはずもないのだ。なぜならこの男とはつい先ほど出会ったばかりだから。

「突然現れて、人を縛って裏町の宿に連れ込んで、それであなたは何をしたかったのか知らないけど、私が聖女だからそうしたのでしょう? でも残念。私もう聖女じゃないの」
「力がなくなったのか?」

 問われて、一瞬迷う。

「そうでは、ないけど……」
「へえ。じゃあなんで追放されるんだ?」

 至極不思議そうにディーが言った。

「……あなたには関係ないでしょう」
「そうか? 聖女の力目当てで誘拐したのかも」
「そうなの?」
「さぁどうかな」
「ごまかしてばかりね」

 ディーとの会話は謎かけのようだ。聞いてもはぐらかされて終わる。何を聞いていたのかわからなくなった頃に、またその話題に戻ったりする。リゼットが何かを言わないと、永遠に喋っているが、素性がわかるようなことは何も言わない。まったくもって謎な男だ。

「それで? なんで追放されたんだ?」
「――そんなに知りたいの?」
「ああ。暇つぶしにはなるかと思って」

 暇つぶし。と口の中でつぶやいて、リゼットはため息をついた。やっぱりよくわからない。

「いいわ。くだらない話だけど、酒の肴になるといいわね」

 そう言って、リゼットは話し始めた。
 
 リゼットは聖女だった。この国、アルサンテ王国の聖女。今朝、その称号を奪われ、国を出て行くように言われた元聖女である。

 
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