精霊の愛し子 ~『黒の魔法使いカルナック』の始まり~ 

紺野たくみ

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第2章

その1 カルナックは投石紐の練習をする

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           1

 エルレーン公国の外れに広がる高山台地は、霊峰ルミナレス山系に位置している。

 真昼であっても、吹き抜ける風は氷のように冷たい。

 そこに、パコの群れが一群れ放たれて、のんびりと草を食んでいる。
 パコは冷たい高原に馴れている。
 そのために、脂分をたっぷり含んだ、強い外毛で覆われているのだ。

 その、パコの群れの中に、一人の少女と、少年がいた。

 少年のほうが少し年かさだ。十三歳ほどだろう。
 赤みを帯びた金髪は癖が強く、無造作に、短かめに整えてあった。髪と同じ色の眉は太め。目の色は暖かみのある褐色。まだ子どもだが、日焼けして野性味を帯びた精悍な面差しだ。
 身につけている丈の短い長袖の上着と、足首まで隠すズボンは、パコという家畜の毛を織って作られたものである。

 少女は、七歳くらい。
 艶のある黒髪を後ろで一つに結び、きっちりと整った三つ編みのお下げに結っていた。
 色白で気品のあるすっきりとした面差しは、まるで神々の造作になるかのように美しい。黒髪と、淡い青の瞳の対比が印象的だ。
 小柄で華奢な身体に、少年が着ているものと同じパコの毛で織られた長袖の上着、膝小僧をすっかり隠してしまう長さの、ひだの多い黒いスカート(ポリエラ)。
 その上に、ゆったりとした純白のローブを羽織っているのは日よけのためだ。斜め掛けの小さなポシェットと靴はローブと同じ白布で、靴底は木の皮でできている。

 二人はパコが草を食んでいる傍らで、何やら真剣な表情で向き合っている。

 少年は、手に、丈夫なリャリャグアの外毛を縒った細い紐を持っている。
 ワラカと呼ばれる投石紐だ。
 二つに折ると手を真っ直ぐに伸ばしたくらいの長さ。その真ん中だけは、手のひらほどの幅になっていて小さな穴が開いている。そこに小石を挟み込む。
 そうして準備を整えると、少女に渡した。

「いいか、ルナ。投石紐(ワラカ)を思いっきり、強く振り回すんだ」
 
「えっと。こう?」

 ぶんっ!

 少女は、手のひらを保護するために義理の姉カントゥータが作ってくれた、柔らかい皮の手袋をしている。
 教わった通りに、真ん中に石を挟んだ投石紐(ワラカ)の両端を一つにまとめて握り、激しく振り回してみせる。

 びゅんびゅんと、風を切る音がする。

 その様子を眺めていた少年は「なんかヘンだなあ」と呟きながら、次の動作について説明する。
「そんなに激しく振り回さなくてもいいんだけどな。じゃあ次は、紐の片方の端だけを手から離して、目標に向かって、当てるつもりで紐を振り抜く!」

「はぁ!? おまえ何言ってる。いきなり、そんな器用なことできるか! おれは初めて投石紐(ワラカ)を握ったんだぞ」
 そう言いながらも美少女は投石紐(ワラカ)を振り回し続けていた。

「えいっ!」
 叫んで、紐を放す。

 勢いよく石は飛んでいき、狙った大岩にぶち当たって、砕け散り。
 岩の方には、大きな穴が開いた。

「やった! ほら、見ただろクイブロ! どうだ」
 自慢げに、胸を張った。

「すげえ威力だな。小石なのに爆弾をぶつけたみたいだ」
 クイブロは、腕組みをして、うなった。
「これで、紐ごと投げつけたんでなきゃ、完璧だけどな」

「……ああ。それね」
 ルナと呼ばれた美少女は、ばつが悪そうに、首をすくめた。
 石だけを投げるはずが、紐も全部投げてしまったのだ。

「しょうがないだろ。初めてなんだから。片方だけ手から離すなんて、うまいことできるかよ」
 黙っていれば妖精か幼い女神かと見紛うような美貌にもかかわらず、口は悪かった。

「まあ、確かにそうだな。ルナ。もう少し工夫をして、練習だ。村の子どもは、みんな、小さい頃から投石紐を握ってきたからな。コツがあるんだ」

「うん。練習する! おれも、クイブロみたいに投石紐の名手になる! それから、カントゥータ義姉さんみたいに、スリアゴも使うんだ」

「あれは、ちょっと危険だから。まずワラカからだよ」
 クイブロは実の姉カントゥータの、紐の先に先の尖った金属の錘(おもり)を結びつけた武器スリアゴを自在に操るさまを思い浮かべて、首を左右に振った。

「当たり所が悪いと大けがするからなぁ……」

「でも、いつかはやるんだ!」
 美少女ルナのほうは、やる気まんまんだった。

「ルナ。おまえの好戦的なところは、うちのカントゥータ姉ちゃんそっくりだよ」

「義姉さん、だいすき。やさしいよ。この手袋も作ってくれたし」

「うん。うん、よかったな」
 クイブロは、ルナの手をつかんで、ふいに引き寄せる。
 艶やかな髪を撫で、顔を寄せて、くんくんと匂いを確かめるように、吸い込む。
「やっぱり、いい匂いがする」

「くすぐったい」
 腕から逃げようとするから、思わず力が入った。

「あ、やだっ!」

「逃げるな。よけい、ひどくしたくなるから」

「バカ! いやだったら!」
 唇が、近づいてきて。ルナはもがいたが、逃げられなかった。


 育ての親である精霊の赦しを得て、婚礼の儀式が無事に終わり、子ども同士ながら名目上は『伴侶』として村で認められたクイブロと、嫁のカルナックである。

 美少女にしか見えないカルナックが、男の子なのは、クイブロにとってただ一つの残念なことだった。

 クイブロはカルナックのことを「ルナ」と呼ぶ。カルナックだから、ルナ。クイブロだけが呼ぶ、愛称だ。


 地面に押し倒されたカルナックが、もがく。
「手を出さないって誓ったくせに!」

「出さない。……でも、これくらいは……いいだろ?」

「やだ! ま、まだ……いや……!」

「いつならいいんだよ?」
 押さえつけて唇を重ねようとしたとき、カルナックの影の中から、「グルルルゥ」と、獣のうなり声がして、黒い大きな獣が姿をあらわした。

「ノーチェ! 助けて!」
 夜(ノーチェ)と呼ばれた四つ足の猛獣は、夜王。本来は夜行性だが、カルナックを守護する魔獣として従っている。
 獣は、主人の望みに従って、大きな前足で、ちょん、と。クイブロの身体を払い落とした。

「うわあああ!」
 情けない声をあげてクイブロは吹っ飛んで、二メートルも先の地面に落ちた。

 だが、初めて出会ったときに、一目で好きになったクイブロが、やはり無理矢理キスをしたせいでカルナックの怒りをかい、魔法で天空高く飛ばされ、危うく生命を落としかけたことを思えば、ましな待遇だと言ってもいいだろう。



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