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第3章
その10 たとえ世界に還元されても
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『成人の儀に臨む者。そなたらの名は?』
銀竜が、厳粛に、問いを発した。
びりびりと空気が震えて、足下の氷河に細かい亀裂が走る。
クイブロは背負っていたカルナックを、雪の積もった氷上に、注意深く、ゆっくりと降ろした。
氷上に立った途端にカルナックはよろけて倒れかかり、慌てたクイブロが手をのばして支え、抱きしめる。
二人は並んで、銀竜に向かい合った。
「プーマ家のクイブロ」
「カルナック・プーマ」
胸を張って、名乗りをあげる。
カルナックにとって、この名は特別な意味を持っている。
現在グーリア帝国皇帝となっている義父ガルデルに殺され、精霊に助けられて生き返ってからは、自分で『カルナック』と名付けた。けれど家族はいなかったので姓を持たなかったのだ。『欠けた月』の一族のクイブロと婚姻の契約を結んで、プーマ家に迎えられ、生まれて初めて、温かい家族を得たという経緯がある。
『うむ? 同じ名字か。年頃も同じようだが、年子か、双子か? それにしては、さほど似ておらぬな』
銀竜は空中に浮いた姿勢のままで、首を傾げた。
「本気(マジ)で聞いてる?」
「……そうみたいだね」
ルミナレスの頂上に宿る銀竜に出会い、加護を与えられるかどうかが、運命の行く末を左右すると、精霊の兄レフィス・トールと姉ラト・ナ・ルアから聞かされていたカルナックとクイブロは、少しばかり拍子抜けして、顔を見合わせた。
「おれが言う」
意を決してクイブロは銀竜を見上げる。
「おれとルナは、カルナックは、伴侶同士だ。おれの嫁は可愛い。誰にもやらないからな」
「クイブロなに言ってんの。最後のはよけいだよ!」
「でも言っとかないと! 大事なことだから」
『ほほう。儂が成人の儀の立ち会い者となって久しいが、これほど幼い身で、しかもすでに伴侶同士(ヤナンティン)とは、初めてだなぁ』
興味深そうに銀竜は身を乗り出し、ついには地面に降りてきた。
さらに、目を細めてカルナックを見る。
『嫁とな。その髪と目の色は、クーナ族でも『欠けた月』の氏族でもない、他国の者だな。いかにして縁を結んだのだ?』
この問いには、カルナックが答えた。
「精霊の、世界の大いなる意思の導きによって」
思えば最初からそうだったのだと、改めて気づく。
精霊の森が、レギオン王国の国教『聖堂』に異端として捕らわれ火刑に処される寸前だったコマラパに助けの手を差し伸べ、受け入れた後で、カルナックを伴って外の世界に出て行く許可を与えたこと。
森は、レギオン王国への出口を閉じ、かわりに開いたのは、クイブロたち『欠けた月』の一族が住む高原への通路だった。
そこは、コマラパとカルナックが最初に訪れる地として精霊に選ばれたのだ。
「そうよ、銀竜。カルナックは、世界の大いなる意思に愛された、精霊の愛し子」
ふいに、別の響きが、空気を震わせた。
『なにものだ。精霊か? 真月の女神と世界の約定により、この氷河のルミナレス山系は儂の管理下にある、立ち入り無用の領域であるはずだが』
銀竜の青年は、目をこらして、声の主を探した。
「それは重々、存じておりますが。お願いに、参りました」
何も無かった空気の中から銀色の靄が生じて、クイブロとカルナックの目前に集まり凝り固まっていく。
それは一人の、美しい少女の姿になった。
幼くして義父ガルデルに殺されたカルナックの生命を救い、守り育てた精霊族の、姉、ラト・ナ・ルアである。
「姉さん! どうして、ここに。クイブロの成人の儀が終わるまでは、姿を見せないと、言ってたのに」
「あたしの可愛い弟。カルナック。あたしは、じっと待っていられなかったの。あなたを苦しめる運命が、近づいている」
彼女は銀竜の前に、跪いた。
「この世界の約定を曲げても。ここにいる、我々精霊の養い子、カルナックのために、あなたの加護を、クイブロとカルナックに、与えてやってほしいのです。そのためなら」
顔を上げ、真摯な瞳を向けた。
「大いなる意思に逆らっても、そのために世界に還元されても、かまわない」
驚くべき事に。ラト・ナ・ルアは、これまでクイブロに見せていた、遠慮の無い態度とは打って変わって、銀竜に対しては敬意を表し、へりくだりさえ、してみせた。
『どういうことだ。あの誇り高い、世界と直結している精霊族が。一人の人間のために、儂に頭を下げるとは』
むしろ銀竜のほうが驚き、困惑していた。
「この子を不幸にしたくない。あたしたちには、世界の大いなる意思を通じて、未来の可能性が見えるの。カルナックの伴侶クイブロと『欠けた月』の一族には、生命を脅かすほどの危険な未来が迫っている。このままでは、クイブロは死ぬ」
ラト・ナ・ルアは、なおも懸命に言う。
『なるほど。養い子のためか。伴侶を失って嘆くのを見たくないというのか』
「世界の大いなる意思は。これは試練だと言う。二人で生き残るか、それとも悪い運命に負けて滅びるか…それは人間の選択だと。精霊族は大いなる意思に従うもの。そのために生まれた。始めは感情も無かった。この子を育てるのは精霊族の義務だったの。だけど、今は。この子が、たまらなく愛しい」
ラト・ナ・ルアは、カルナックを抱きしめる。
「自分でもわからないし戸惑っているわ。だけど、あたしが、カルナックを失いたくない気持ちだけは、確かなことよ。もしかしたら、これが、愛情というものなのかしら。人間が持っているような、不確かで、危うい……けれど、いとおしい、魂の輝き」
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