デイジーの受難

ルルオカ

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デイジーの十字架

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デイジー結成五周年を迎え、半年かけて記念ライブを全国十公演することが決まった。

大規模なライブを催すに当たり、これまで以上に予算や人員が投入されるということで、先駆けての打ち合わせ、スタッフの顔合わせが都内某所で行われた。

「デイジー史上、最強最高のライブ!」と銘打たれれば、そりゃあ、身の引き締まる思いがしたものだけど、まだ打ち合わせの段階というのに、ステージに向かうときのように、いや、以上に僕は動悸を狂わせていた。

五日前に、全スタッフの名前が載ったリストを目にしたときから、体温は上昇しっぱなし、心臓は高鳴りっぱなしだ。

もちろん、誰にも気取られないよう、主要なスタッフが顔をそろえての、自己紹介がてらの情報伝達や意見交換がスムースにされるよう、努めて顔色を変えずにいた。

「じゃあ、今日はひとまず、ここまで」としめられ、席を立った各々が、挨拶したり談笑をしだし、ひそかに胸を撫で下ろした僕も一息つく間もなく、それに混じる。
寄り集まったデイジーのメンバーは、まず現場監督に声をかけ、その後すぐに、隣にいるポニーテールの女性にわっと押し寄せた。

「DVDのドキュメンタリー、めっちゃ、よかったっすよ!」「自分で見てて、俺、こんな顔すんだって、なんか新鮮でした!」「ていうか、映像自体、すごいきれいっていうか、なんか泣けちゃって!」と矢継ぎ早に褒めたたえるメンバーに、彼女は長いポニーテールを揺らし、おっとりと笑う。

やんややんやするメンバーに紛れて、僕は口元に手を当て、猿のように滑稽に赤面しそうなのを、どうにか堪えていていた。

細身で黒髪の長髪、涼しげな顔立ちをして奥ゆかしい雰囲気のある彼女は、見た目にそぐわず、七キロもあるカメラを肩に担いで、ライブ会場を走り回るカメラスタッフだ。

大和なでしこの名にふさわしい御仁とはいえ、本名は「豪田要人(かなめ)」。
前のライブから、舞台裏のメンバーをカメラで追う、ドキュメンタリー撮影を担当していた。

噂では現場監督の肝いりの抜擢らしく、なるほど、DVDを観たところで、映像の出来栄えは文句なしだった。

これまでのドキュメンタリーより、メンバーのオフ感がある姿、笑いを誘ったり胸に迫るような意外な一面、イメージになかったさまざまな表情、横顔や後姿、佇まいなど印象的なショットなど撮られていて、長い付き合いのあるメンバー同士「まだまだ、デイジーの知らない顔があるんだな」としみじみと肯きあい、感心しきりだったものだ。

「オージって、爽やか王子っていうかエロ王子じゃん!」「三村くんの背中って、こんなに泣けるの!?」「マエバがこんな男らしかったなんて!(僕の名前、前林を略してマエバとファンは呼んでいる)」とファンの反響も上々。

完成映像を拝見する前から、彼女がカメラスタッフとして卓越しているのを、撮られていたメンバーは分かっていただろう。

現場では、どうしても男の比率が高く、むさ苦しい環境にあって、自分らと年が変わらない、黒髪の乙女がいては、どうしても意識してしまうところ。

はじめは、そわそわしていても、気がつけば、彼女の存在を忘れていたと、メンバー全員が証言をしていた。
現場では常につきっきりで、体のいい匂いがしそうなほど、傍にいたにも関わらずだ。

気配を消すのを得意としているのか。
その特性から、ドキュメンタリーを任されたのもあるだろうけど、基本的に、彼女はカメラスタッフとしてプロ意識も能力も高かった。

七キロもあるカメラを細い肩に乗せながら、舞台裏で目まぐるしく移動をするメンバーに遅れをとらず、行く手を阻んだり衝突しないよう、適度な距離感でもって位置取りをする。
必要もなく口を利かないし、なるべく物音を立てず、くしゃみや腹の音を鳴らさなければ、走って息が切れても、メンバーに気取らせないようにしていた。

それでいて、ストイックさを剥きだしにして、「撮影対象とは馴れ馴れしくしません」とお高くとまっているわけではない。

メンバーが、人知れず、体の痛みに耐えたり、気分を落としたり、思い悩んでいるときには「これどうぞ」とチョコレートや飴、ラムネなど、一口サイズの駄菓子を、さりげなく差しだした。

駄菓子を手渡すくらいで、励ましたり、褒めたり、相談に乗ったりと、そこまで親身に接してはこなかった。
それが、良かった。

気にかけつつ、押しつけがましくない距離を保ってくれるのは、神経を尖らせているライブ中にあっては、ありがたいことだった。

彼女はカメラを通してデイジーを愛でながらも、プロとして節度を弁えていたのだと思う。
ドキュメンタリーにメンバーやファンが胸を熱くしたのは、デイジーを敬い尊重する彼女の気高さが、映像から見て取れたからだろう。

「あんなカメラスタッフ、今まで、見たことないよな」とデイジーでしばらく、注目の的になっていた彼女が、僕も気になっていた。

とはいえ、ライブ後は顔を合わせる機会がなかったものを、ドキュメンタリーを見たとき、彼女と再会したような錯覚をさせられた。

あらためて、彼女の表情や所作、仕草などが、まざまざと思い起こされただけでなく、画面に自分の間抜け顔が写ると、その自分に向けられる眼差しが意識されて、なぜだか、泣きそうになったもので。

完成したばかりのDVDを受け取って以来、ほぼ毎日、暇さえあればドキュメンタリー映像に見入っていた。
我ながら依存症のようだと呆れたものだけど、次のライブに参加するスタッフのリストを見たときに、どっと燃えるように心臓が熱く打ったのに、やっと自覚した。

これが僕の初恋だと。

それにしても恋とは、人生を薔薇色にするだけでなく、胸のときめきを相殺するくらい、胸の痛みを伴うものだとは思いもしなかった。

困惑や不安、もどかしさ、悲しみ切なさ疚しさ、自己嫌悪と、胃もたれしそうに、泥のような感情が胸に渦巻いてやまない。

永遠に彼女を見つめていたくありつつ、目が合ったら爆死しそう。

彼女の艶やかな髪を梳くのを想像して、うっとりしながら、「自分の汚れた手なんかで、なんと恐れ多い!」と背徳感に苛まれる。

もし結ばれたら、清く正しい交際をしようと、真面目腐って考えていたはずが、気がついたら勃起している。

できるだけ心を無にし、糞尿と変わらない生理現象の処理の一環と割り切って、済まそうとしても、まあ、脳裏に浮かぶは浮かぶは、彼女が喘ぎ悶える、はしたないさま。

髪を梳くのさえ罪深さを覚えるのではなかったのか。

脳内では、その髪をちぎらんばかりにひっぱり、後ろからがんがん突くという体たらくで、処理後にはすっきりするどころか、自分の正気を疑った。

「好きな相手でエッチな想像をして射精するのは、男として当たり前」と正当化できなければ、彼女を強姦したかのような感覚を拭うこともできないで、吐き気のように罪悪感がこみあげてくる始末。

大路が一時期、勃起過剰に悩んでいたのに、同情をしたとはいえ、今になって身に染みてその辛さを理解することができた。
幾度も脳内で犯した彼女を、いざ前にして後ろめたく居たたまれなく、堪らなくありながらも、獲物を狙う獣じみた興奮を覚えて、堪らなくもあって。

折角、スタッフのリストに名前を見つけてから、待ちに待っていた、そのときを迎えたというのに。

思春期真っ盛りな男子よろしく、心拍数も助平心も制御しきれないとあっては、とても合わせる顔がない。
すこしは落ち着きを取り戻し、一言くらい声をかけたかったものを、間に合わず、現場監督が「そうだ、要人、先にあれ、とってきておいて」と顎をしゃくった。

現場監督が「要人」と呼んだのが、やや引っかかりつつも、それどころでなく、頭をくらくらさせながら、部屋をでていく彼女を見やる。

彼女が去ったことで、他のスタッフに向かおうとしたメンバーから、気づかれぬよう抜けだし、ふらつく足で追いかけた。

人生初の恋に、逆上せあがっている今の自分が、迂闊に彼女と対面していいものか。
なんて、相手に遠慮してというより、おかずにして射精して、そう経たずに顔を合わせるのが、なんとも決まりが悪く、自ら避けたがっていたのだけど、ここで逃げては後々、もっと気まずくなり、仕事に支障をきたすことにもなる。

多少、ぎこちなくても、せめて礼儀としての挨拶、そして、ドキュメンタリーの好評ぶりについて「ありがとう」と伝えておいたほうがいい。

人気のない廊下を歩く彼女に、ほんの迷ってから「豪田さん」と呼びかける。

やおら振り返って、眠たげな目を向けられたとたん、心臓が破裂しそうになったけど、ぐ、と踏ん張って「あの」と口を切った。

「僕と結婚してください」

言った傍から、「は!?」と跳びあがった。

「いや、これは!」と小躍りするように慌てふためく僕を尻目に、ぼんやりと突っ立ったままでいる彼女は、物憂そうに告げたのだった。

「法的に無理です」



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