8 / 32
デイジーの受難
前林のお節介②
しおりを挟む結局、今にも死にそうとばかりに弱音を吐き、大泣きをしたのが杞憂もいいところだったわけで、でも、彼女は、あの夜のことを掘り返すことなく、「よかったね」と声をかけてもこずに、何事もなかったように、僕に接してくれた。
あんなにみっともない、赤ん坊のような泣き喚き声を、これまでに誰にも聞かせたことはない。
聞いたら、おそらく多くの人が呆れ返るか慌てふためくだろうものを、僕がわあわあ泣き終わるまで彼女は口を利かずに待っていてくれた。
それだけでも、ぐっとくるものがあるのに、僕に恥をかかせないために、さりげなく素知らぬふりをしてくれたのだから、そりゃあ、ほだされるというものだ。
といって、彼女に初恋はできなかった。
前は彼女に報えないのが後ろめたかったけど、どうせアイドルを職業にしているのだと、開き直ることにした。
早く結婚ができな立場でいるなら、長い時間をかけて彼女を好きになっていって、全盛期を越えて落ち着いたら結婚、という流れはちょうどいいかもしれない。
と、考えるまでに、心は動かされていた。
自分の胸の内で立てた計画でしかなく、彼女に打ち明けはしなかったものの、前より彼女に話しかけ、連絡をとるようになったことから、僕の心境の変化に気づいていたと思う。
なのに、だ。
折角、僕が彼女に心を傾けるようになったのに、むしろ関係性はまずくなっていた。
仕事で女性と接すると「私にはああやって笑ってくれないのに」「男って好意と性欲は別よね」と僕にしか聞こえない小声で、とはいえ、ねちねちと嫌味や皮肉を吐いてくる。
プライベートでも前はすぐに連絡を返さなくても、ほとんど、けちをつけなかったのが「忙しいってずっと忙しいわけじゃないでしょ!」「そんなに連絡を返すのが遅いと、この業界でやっていけないよ?」と少しでも返事するのを億劫がれば、人間失格といわんばかりに責め立てた。
彼女の健気で無欲な姿勢を買っていただけに、面倒くさい女に急変したのには、かなり幻滅して苛立ちはしたものの、これまで彼女の好意にさんざん甘えてきておいて、同じくらい甘えられるのを嫌がるのは虫が良すぎるだろうと思い、なるべく大目に見ようとした。
それにしたって、朝から晩まで監視しているかのように、どこまでも口出しをしてくるので、我慢の限界は割と早くきて、「君は僕が好きなんじゃないか!」と怒鳴りつけてしまった。
怒鳴りつけた傍から、我ながら「何様だ」と後悔したのと、「ごめんなさい」「やっぱり私、あたなの傍にいる資格がないのよ」と「資格」を持ちだされたら、ぐうの音もでずに、結局「僕こそごめん」と謝ることになる。
本当は心にもない謝罪であり、僕はなんだか釈然としていないし、しばらくは、しおらしい彼女がまたヒステリーを起こしだして、また僕が怒鳴りつけ、お互いが謝罪、というパターンを繰り返すだけで、関係改善をすることがなかった。
今まで接してきた女性なら、「結婚は初恋でするもの」と頑なな意志でもって跳ねつけられたものを、報われない恋をしつづける彼女には、なんとなく負い目があって、歯切れが悪くなる。
こうも関係が悪化しては、彼女に初恋する可能性はもうないのだし、一旦、お互い距離をとったほうがいいとは思うのだけど、それでも、どうしてか彼女を手放しきることができなかった。
そして、とうとう、そのときが訪れた。
その日、彼女は連絡もなく突然、僕のマンションの部屋に訪れて「他の女といるところを見たくないから、仕事に行かないで!」と滅茶苦茶な訴えをして暴れまわった。
部屋の物を片っ端から放って、なぎ倒すのを後ろから抱きついて抑えこんでも、足をばたつかせ、腕を振り回し、挙句にその肘を僕の目にぶつけてきた。
顔は商売道具だ。
目とあっては腫れるだけでなく、失明する危険だってあり、それこそ彼女が望むようにアイドルを辞めなければならない事態になりかねない。
彼女がそう意図して肘鉄を食らわしたわけではないだろうけど、かっとなった僕は、体に回していた腕を勢いよくほどくと、よろけた彼女の背中を加減なく、突き飛ばした。
ソファに倒れこんだ彼女は、ねじが切れたおもちゃのように、微動だにしなくなった。
そのことを意外に思いつつ、このままだと自分は彼女を殺しかねないと本気で考え、告げた。
「もう、君とは一緒にいられない」
彼女にとっては死刑宣告のはずが、乱れた髪がかかる横顔は、驚いても怒ってもいなく、彼女が態度を豹変させてから、一度も見せたことのない穏やかなものだった。
不可解に思える表情に、でも、僕は悟らされた。
僕は彼女にまったく関心がなかったのだと。
関心があったのは、好かれているということだけ、だったのだと。
なんなら、ほだされる前のほうが彼女に関心があったかもしれない。
あの大泣きをした日を境に、どんな僕でも受け入れてくれる彼女の好意に味を占めて、もっとくれもっとくれと、麻薬を求めるように見境がなくなった。
その分、前は多少、あった彼女への関心が完全に消え失せたことに、彼女は気づいたのだろう。
だったらと、考えた。
目が釘付けになっている好意を取り上げてしまえば、また自分を見てくれるかもしれないと。
好意を取り上げられたところで、僕は不満を募らせるばかりで彼女と向き合おうとせずに、突き放してしまった。
ぶっちゃけ、僕にとって、好意をくれない彼女は用済みだったということだ。
好意を与えてくれるなら、別に誰でもいいと思えるほどに、やはり、彼女には関心持つことができなかったのだろう。
彼女にはひどいことをしたし、自覚していなかった自分の身も蓋もない現金さを痛感させられた苦い経験だったものの、学習もした。
というか「結婚は初恋でするもの」という意志が強化されたというか。
やっぱり「この人が運命の人だ」「最初で最後の恋だ」と心から思えないのとだめなのだ。
相手になびいて、ほだされても、それは好意の中毒症になっているようなもので、むしろ相手に無関心になる。
相手にすれば、報われないより、無関心にされるほうが耐えられず、中毒症を治そうと好意を取り上げ、「私を見て!」とばかり敵意を向けるようになる。
彼女の場合は迷惑行為で済んだものの、殺傷事件が起こる危険性もあるし、下手したら僕はDVに走っていたかもしれない。
怪我をさせずに済んだのと、彼女が週刊誌に売ったり訴訟沙汰にしなかったのは、運が良かっただけで、僕が脱退し芸能界引退するならまだしも、デイジー解散にまで波及してもおかしくなかった。
今更ながら、そう考えたなら吐き気がする思いがしたし、後悔も深まったわけだけど、自分は二度としないと決意できたとして、問題はデイジーのメンバーだった。
メンバーの熱愛の噂やスキャンダルは多少、ありつつ、僕のようなトラブルを起こしているようではない。
でも、「結婚は初恋でするもの」と意識の高い僕でさえ、容易に相手にほだされ流されたのだから、ある程度アイドルとしての心得があるメンバーでも、知らず知らずに蟻地獄にはまることだってあり得る。
さすがに僕の経験談を語って釘を刺したり、小姑のように詮索し口出しはしなかったけど、もし同じ運命をたどりそうに見えたなら、僕と同じような目に合わせないよう、そしてデイジーに危機をもたらさないよう、死に物狂いで食い止めるつもりだった。
だから、普段から、メンバーをつぶさに観察をして、何気ない会話に聞き耳を立てて、たまにお宅訪問をして探りを入れるという、悪い虫がついていないかのチェックを怠らなかった。
ただ、一つだけ見落としていたことがある。
時代の流れからして考慮にいれないほうがおかしいし、ライブで冗談とはいえ「グループ内恋愛禁止!」とまで口にしていたのに。
僕が結婚を強く意識した恋愛観を持っていたこともあり、恋愛対象が必ずしも異性に限らないことを、その瞬間を目にするまで、すっかり失念をしていた。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる