デイジーの受難

ルルオカ

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デイジーの受難

大路の旅立ち④

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ばちんと、さっきより音量が増した痛々しい響きが耳について、その音にぎょっとしている暇もなく、反射的に脳天をそらし背筋を伸ばすと、膝を曲げたまま上体だけ後ろへ倒していった。

痺れているのは鼓膜だけでなく、全身指の先まで隅々と、舌も麻痺したようになり、新体操の技のような、きつい体勢で動けず話せず。

唯一自由のきく目だけを三村くんのほうに向ければ、やおら起き上がって、腹のあたりのめくれたシャツを直している。
もう片手に握られているのは重量感がある黒く厳ついスタンガン。

さっき、腹のあたりのシャツを握っていたのが、やや気になったのは、ズボンのウェスト部分にそれを挟んでいたからなのだろう。

「たく、顔はやめろよ。明日、昼から生放送なのに」

頬に指を這わせ腫れ具合を確かめつつ、顔をしかめる三村くんは、いつになく、威圧的だった。

いつもの三村くんなら、「当てた部分、痣になっていないか!?」と俺のことを真っ先に心配をするし、平手打ち一つくらい「魔が差しだんだよな?」と困ったように笑って許してくれるのに。

俺を幼いまま見て、手加減するのをやめてほしいと、望んでいたはずが、いざ、苛立ち交じりに無遠慮な物言いをされて、やや怯んでしまった。
スタンガンで除霊でもされたのか、憑き物が落ちたようにすっかり我に返ってもいたから、もう憎まれ口を叩く意気もなく「ごめん」と謝る。

場違いな俺の馬鹿正直さに、三村くんは「ふ」と笑みをこぼして、でも、俺が見たことないような大人びた寂しげな表情で「俺ってさ」と語りだした。
スタンガンをしっかりと握って掲げながらだけど。

「恋愛音痴というか、もともとの考え方からして、おかしいみたいなんだ。

気づいたのは弟がおめでたで結婚をしたとき。
それから、全然、結婚も恋愛もしたくなくなった。

どうも俺は、三村家の跡継ぎとして、名前と血筋を受け継がせるために、結婚がしたかったらしい。
『そのためだけ』に結婚を、結婚をするために恋愛をしていたんだよ」

そう、その通り、弟の結婚を機に、三村くんの「結婚したい」の口癖が聞かれなくなり、耳障りだった噂やスキャンダルも音沙汰がなくなった。

理由は、なんとなく察しがついていたものの、まさか、三村くんが恋愛結婚したいのは「そのためだけ」だとは思わなかった。
恋愛結婚したがる理由の大半を占めていたとして、他にいくらでも、寂しいからとか、欲求不満だからとか、人生を楽しみたいからとか、動機はいくらでもありそうなもの。

俺なんか、とくに理由も、目的もなく人を好きになったのだから、尚更に三村くんの、目的があっての結婚、結婚をするための手段に恋愛をする感覚というものが理解しがたかった。

大体、そう聞くまでは、弟の結婚ですこし落ち着いただけで、元々惚れやすく軟派な恋愛ボケで結婚したい病の人と見ていたのだから。

もう付き合いは十年以上になるのに、てっきり恋愛体質だと思いこんでいた俺は、三村くんの何を見ていたのだろう。

三村くんの何気ない暴露に、完膚なきまで骨抜きにされ、仰向けに口を開いたまま呆けていたら、「あのときは、てっきり見抜かれたかと思ったんだけどな」と俺の間抜けな顔を覗きこんでだろう、苦笑された。

「弟が結婚してから、少しして、俺がへまして報じられたことがあっただろ?
そのとき、大路、『この前、弟君が結婚したのに、なんで』って言ってさ。

俺には『もう恋愛する必要はなくなったんじゃないの?』と言われているように聞こえて、ぎくりとしたよ。
否定をしたかったけど」

「結局、その通りだった」と遠い目をするのを見て、胸が軋むように痛んだ。

三村くんが幼いころのまま記憶を留めて、俺を見ているようで見ていなかったように、俺も幼いころから記憶を上書きすることなく、目の前にいる三村くんを見ようとしていなかったのかもしれない。

三村くんだけが、とっくに毛が生えた俺と、往生際悪く向き合おうとしなかった、その代償を払うべきなのではない。

俺だって、なんだかんだ、最後にはすべて許して無限に受け入れてくれる仏のようなものと、甘ったれた錯覚しつづけていたツケを、清算する潮時が僕にも訪れたようで。

「将来のことは分からない。
でも、俺はこんなんだから、一生、誰かを好きになれないのかもしれない」

跡取りとして名前と血筋を受け継がせるため「だけ」に恋愛し結婚しようとしていた三村くんに、はじめから、つけいる隙なんてなかったのだ。

恋をしても無駄な相手に、無駄に思い煩って、無駄に浮かれて、無駄に勃起をして、時間や労力を無駄に費やしたわけだけど、そうだろうかと思う。

三村くんは他の人のように恋愛や結婚をできなさそうなのを、変なことと自覚しているらしいが、本当にそうだろうか。

心から紛うことなく好きと思える人を好きになり、好きな人に好かれることは、そんなに、しょっちゅうあることではないのではないか。

人は誰かを好きにならなくても、セックスしたいから、寂しいから、暇だからと恋愛をしている。
好かれるのが嬉しくて、浮かれて、絆されて、相手をすこしも好きでなくても、その好意に胡坐をかいている場合もある。

多分、安きに流れやすい人は、そういうケースのほうが多いと思うけど、恋愛している最中は、相手が運命の人で、一世一代の恋をしていると疑わない。

だから、心から人を好きになることも、好きな人に好かれるのも難しくなく、誰でも当たり前にできるものと、勘違いをしている。

そう、勘違い。
三村くんは、周りの人が勘違いしているとは思っていないようとはいえ、「一生、誰かを好きになれないのかもしれない」というのは、おそらく真理だ。

本来、人を好きになるのさえ一生をかけてのことなのに、両想いになるなんて、夢のまた夢、奇跡のようなことのはずなのだ。

かといって、気分次第で、ままよと流されて恋愛するのも、また必要なことだとは思う。
人は子供を残さなくてはならないから。

一生に起こるか分からない奇跡になんか頼っていられないし、子を残せと急かす本能がもったいぶるのを許してもくれない。

三村くんの場合は、弟がおめでたの結婚をしたことで、多少、本能の支配から逃れられたというのもあるけど、彼自身が一時の欲を満たすために、曖昧な思いで向き合うこと、相手の好意に甘んじること、相手にいらぬ気を持たせることを、よしとしないのだろう。

そんな三村くんをあらためて、好きだと思った。
たとえ、昔のように「しかたないなあ」と手を差し伸べてくれなくても。

三村くんを好きになってよかったとも思う。

絆されも、流されもしないで、ましてや好きな人を傷つけ苦しめるなんて本末転倒な愚行を犯さないよう、取り返しのつかない過ちを犯さないよう、済ませてくれて、俺は本当の恋ができたのだから。

「ありがとう、三村くん」

まだ痺れながらもなんとか腕を持ち上げて、両手で顔を覆ったなら、腹から息を吐くように、そう告げた。

前にも、俺の思いがばれたときにも感謝の意を伝えたけど、そのときより痛みと悲しみを伴った思いをこめたから、どうしても声の震えを抑えられなかった。
悲痛さをアピールして同情を買うような真似なんかしたくなかったのに。

三村くんが動じて、身じろぎしたのが分かった。
ベッドが軋み布擦れの音がして寄ってくる気配がしたけど、ある程度まで近づいて留まり、また遠のいていった。

三村くんが手を伸ばそうとして、引っこめたのだろう。

それでいいと、奥歯を噛みしめつつ、顔を覆う両手の下で、とめどなく涙をあふれさせた。






幼いころは、どんな、わがままも聞き入れてくれた三村くんが、大人の俺に対しては通用しないことが分かった。

一生に一度遭遇できるかできないかの好きな人を、三村くんがまだ見つけていないことも、よく分かった。

俺の思いを知っても「まだ」なら、俺に望みが一縷もないことも、よおく分かった。

分かったからこそ、厄介だった。
なにがって、勃起の処理が。

まだお花畑の夢を見ていたころは、俺の脳内で三村くんは、年上とあって抵抗感を強く示しながらも、俺のテクニックで徐々にほぐれていって、最後には「もっと」とむせび泣きながらねだっていた。

が、幼いころから更新されていなかった記憶が、一挙に上書きされた今となっては、恋愛に異常にストイックなリアル三村くんが、俺の愛撫ごときで、喘ぎの一つ漏らすとはとても思えなかった。

おかげで、妄想ができない。
俺が愛撫するのに無表情で下半身も無反応な三村くんを想像すると萎える。

いっそ、男として、つまらない生理現象に振り回されずに済むのだから、いいのではないか、と思ったところで、生の三村くんを目の当たりにすれば、とたんに活性化する。

そりゃそうだ。
昔のとことん甘やかしてくれていた三村くんより、その幻想の殻を破った、手加減なしにスタンガンを向けてくる三村くんのほうが、もっと好きになったし、その電撃でもって、都合よく妄想するのが、いかにつまらないか気づかされたのだから。

なるべく自分で処理しようとは思うのだけど、こんなときに限って目敏い三村くんに先に見つかり、「お前の処理につきあってやってもいいと思っている」と口にしたのを律義に守って、俺の股間にはまた手を差し伸べてくれた。

それにしたって、だ。

今の三村くんという人間をある程度知って、その恋愛観も理解したつもりとはいえ、好きでもない男の象徴を握るのを躊躇わらわず、嫌な顔もしないあたり、やっぱり底が知れないと思う。

俯きっぱなしで、夢中になって作業しているような姿を見ていると、その胸中が分からないのがまた、そそられるようで、俺は堪らず、頬に口付けてしまう。

三村くんが顔をあげて、睨んできてもかまわずに、リップ音をたてて幾度も頬を口付けたら、頭を突きだされた。
押されるように、俺は顔を退かせつつ、また口づけしようとして、今度は顔の中心に向かい頭突きをされる。

鼻や口元がじんじんと痛むのに、「顔はやめてよ」と抗議すれば、「あ」というような顔をしたから、つい笑って、その一瞬の隙に頬に口付けてやったのだった。





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