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片平宗助の日記四冊目

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明治二十六年 五月二日



先日、玲二さまが訪ねてくれ「庭を案内してくれる?」とおっしゃられたが、あれから五日経ち、一度も顔をだされなかった。

お近づきになるのが畏れ多いようで、むしろ安堵をしたし、うすうす、そうなる予感がしていとはいえ、なぜだか気分が落ちつかなかった。

会いたいとは思わない。
ただ、微笑した玲二さまの暗い目が頭からはなれない。

気を紛らわせるため仕事に精をだしつつ、うっかり玲二さまに会わないよう注意して屋敷の敷地で過ごしていたところ。
庭の手入れをしていて、外で息抜きする使用人、三、四人が話すのを耳にした。

どうも旦那さまが、夜のおでかけをお控えになっているらしい。

理由は、町におりる道に女の怨霊が出現するからとか。

この山には、古いいいつたえがある。
村の女が、海沿いの村にいる男に会うため、怨霊のような格好をして山を越えていたというものだ。

山賊や人さらいに襲われないための対策だったのが、その女の一人が不幸な目にあったという。
訳あって狂ったふりをしていると知った悪党が、山道をいく女に乱暴をして殺したのだ。

「この醜女が!」とさんざん罵られたことから、死んだときの格好のまま彼女は怨霊となり、山道をさ迷って「わたし、きれい?」と人に問いかけているとのこと。

いいつたえは知っていたが、現実にそのような女が現れたとは初耳。
もし、まえから出没していたなら村で噂になっていたろうし、旦那様も毎夜、外出できなかっただろう。

「女の怨霊がでただけで旦那様も女遊びを諦めるとはな」と使用人たちは笑いつつ、一人は「しかたないよ」と告げた。

玲二さまが観月家の一員となってから、その扱いをめぐって旦那様と奥様の、なんとか均衡が保たれていた関係が破たん。
おかげで、まえのように奥様が尻拭いをしなくなり、女関係で揉めることが多くなった。

使用人の解釈によれば。
そうして後ろ盾をなくして、愛人たちの怒りや恨みを全面に受けるようになった旦那様は、まえより奥様を含めた女に負い目を覚えて、過剰に怨霊を恐れるのだろうと。

「このままで観月家は大丈夫かな」と心配するのに「まあ、しかし、玲二さまにとっては、よかったのではないか」とべつの使用人は笑いとばしたもので。

並の子供より、よほど躾られて賢い、しっかり者の玲二さまとはいえ、夜に旦那様がいなくなるのを非常に寂しがられていたという。
「父様はどこ?」「父様はどこ?」と屋敷中をうろつき、使用人たちに聞いてまわっていたとか。

女の怨霊が出没するようになってからは、甘える猫のように、ずっと旦那様に寄りそい、そのさまが「聡明な美少年にして、かわいげがある」と定評らしい。

ほんらい、肩身の狭い立場の玲二さまが、奥様やご子息の目を気にせず、旦那様と静かに平穏に過ごせるのはいいこと。
ただ、使用人曰く「しかし、旦那様、顔色が優れないし、虚ろな目をして生気がないような・・・」と。

「よほどの女好きなのだな!」「女好きというか、生まれつきの好色なのだろう!」と彼らは茶化していたとはいえ、自分には旦那様の不調ぶりが、よくない予兆のように思えた、
自分でも胸騒ぎがする理由は、よく知れないが・・・。

どうしても考えてしまうのだ。
玲二さまが初めて別荘に訪れたのと、突如、いいつたえの女の怨霊が出現したのと関連があるのではないだろうかと。





明治二十六年 五月三日



ずっと音沙汰なかった秘書の高橋さんが久しぶりに訪問してくださった。

ただ、まえより、さらに憔悴なさって見えて「小屋に足を運ぶより休まれたほうが」と申し訳なさを覚えるほど。

「自分のことは気にせず、お帰りになられては」と申しでたものの「むしろ屋敷にいては胃が痛いようで、心が休まるのは、ここだけですから」と云ってくださったので。
滋養のある食べ物と、高橋さんのお好みのお茶をだして、できるだけ、おもてなしをした。

それにしても玲二さまに関して、溝を深める旦那様と奥様の板挟みになるのが、数日で頬がこけるほど辛いものなのだろうか。

そうだとしたら、屋敷の話はしたくないだろうと思い、自分の仕事や父のいる町についてなど、当たりさわりないことを一方的に話させてもらった。

はじめは相槌も打たず、呆けていた高橋さんだが、お茶をすすって、すこし顔色をよくすると「あの、一つお願いが」と。

「あなたが観月家でいちばん口が堅いのは重重、承知しています。
そのうえで、あらためて、これから語ることは内々にしてほしいとお願いしたい。

一時でもいいので、秘書の立場を忘れ、心の赴くままに語らせてもらえないでしょうか」

しがない別荘管理人の俺なんかが、すこしでも力になれればと、うなずいて聞いたところ。

どうやら、高橋さんは、玲二さまを恐れているらしい。

はじめは夜に旦那様が外出するのを「なんでいないの」「どこに行ったの」と質問攻されて、立場上、はぐらかすしかなかったとはいえ、その幼気さに心を傷め、哀れんでいた。
だが、そのあと不可解で疑わしいことが立てつづけに起こったという。

旦那様の女遊びに、奥様が手も口もださなくなったことで、高橋さんの負担が増した。
加えて、ある女の使用人が屋敷で目の余る行為をするのに、ひどく頭を悩ませたらしい。

その使用人、佳代は、まえから「つかえない」と評判で、器量がよくなければ愛嬌もない不調法な女だった。
いつも、ぶっきらぼうながら、玲二さまに対してだけは笑みを絶やさず、媚びていたとか。

そうして色目をつかうことで、また、まわりのひんしゅくを買っていたが、どうしてか玲二さまが気にいって別荘につれてきた。
ただ、仕事でしくじるたび泣き叫んで暴れるなど、別荘にきてから輪にかけて手に負えないものに。

とくに夜に佳代が暴走するので、旦那様の女遊びに目が行き届かなくなり。
女関係で揉めるようになったのは、そのせいもあるらしい。

それでも有能で律儀な高橋さんは、屋敷と女遊び、どちらの揉めごとも収めていたところ、女の怨霊出現の噂が立った。

おかげで旦那様が夜の外出をやめて、多少、高橋さんの肩の荷が下りたとはいえ、不安は増したとのこと。

夜に別荘にいるようになり、旦那様が鬱鬱としているからだ。
「わたしの見まちがかもしれませんが」と断ったうえで、まえより玲二さまに、よそよそしくなったようだとも。

「わたしが夜の外出の手伝いをしていたので、父を恋しがる玲二さまに、よく思われていなかったのでしょう。
つい、そう考えて後ろめたいあまり、疑いの目で見てしまうのかもしれない・・・。

なるべく客観的に判断したいところですが、ただ、どうしても、一つだけ拭えない疑念がある。
使用人の佳代のことです。

女の怨霊が出現するようになってから、彼女は粗相をしなくなり、それどころか夜に屋敷で見かけることもなくなりまして。
玲二さまは、自分の部屋で待機させているとおっしゃいましたが・・・」

その話を聞いて、思いだしたのは玲二さまと初めて会ったとき。
「父様の夜の遊びの詳細を知り、手伝いをしているのか」と聞かれて、おそらく高橋さんと同じように秘めた敵意を受けとって、自分は肝を冷やしたのだと思う。

自分の思い過ごしならいい。
ただ、高橋さんも懸念しているとなれば、見過ごせない。

結局、今日は高橋さんの話を聞くだけで別れたが、女の怨霊について調べようと心に決めた。

「自分が探ってみるので」と伝えて、高橋さんの胃痛をすこしでも和らげたかったが・・・。

自分が下手を打った場合、高橋さんが仲間と見なされる危険があるから、独自に動くことにしよう。





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