筆と刀の混沌戦禍

皐月やえす

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 庄右衛門と雪丸は、人気を避けつつ行動しているが、先日の一件から大変気まずくなっていた。雪丸も口数が少ないし、距離が近くなると慌てて離れたりする。庄右衛門も相変わらず素っ気ないので、静かな道中がさらに静寂に包まれる。

 路銀はたっぷりあるのだが、せっかく戦場に向かう途中の足軽たちと鉢合わせたので、を始めた。
雪丸と離れる時間が欲しかったので、昼食を購入してくるように言いつけた。
春画を売る手伝いをしないで済んだのも相まって、雪丸は少しホッとしたようにその場を後にした。

「さっきの坊やはなんだい、旦那のコレかい?」

 客の一人がにやけながら小指を立てた。庄右衛門はしかめ面をして、

「そんなんじゃねえ。ただの連れだ」

と返事をして、またサラサラと描き始める。

「はぁ、さっきの坊やみたいな美人と旅ができる旦那はいいねぇ。俺も美人とどこか遠くへ逃げてえや」

 別の客がボヤく。気持ちはわかるとだけ言っておいた。これから戦場に向かうのだから、逃げ出したくなるのも当然だろう。
 ところが、

「おっ、旦那も、もしかして女房に尻に敷かれているタイプだったかい?」

と返事をされて、はて、と庄右衛門が筆を止めた。

「やっぱりあれだな。女は子供産むと変わっちまうって本当だ。俺のやることなす事なんでも気に入らねえらしくてよ。いつもきいきい怒鳴り散らすんだ」
「ああ、うちのかかあもそうだなぁ。挙句隣の旦那がどうのとか、蜻蛉御前かげろうごぜん様だったらこうするとか、知らねえっての!」

 客たちは思い思いに、主に自分の嫁に対する愚痴をこぼし始めた。話を聞いていると、偶然だろうか、誇張されているのか、揃いも揃って驚くほど気の強い嫁を持ってしまっているようだ。
楽しみに取っておいた酒を勝手に使ってしまったり、つまみや夕食ゆうげを犬にやってしまったり、子育てで忙しいのはわかるが、会話すらもせず無視を貫いたり……。どうも普通の肝っ玉とは違うようだ。

「もう家に帰るのも億劫だぁ……戦が終わってボロボロになってやっと家に帰ると、なんだ、帰ってきたのかいなんて言われちまったんだ……嫁の顔を見るのがつらいぜ」

 客の一人が嘆く。庄右衛門は客たちに少しだけ同情をした。
庄右衛門と嫁のはるは、喧嘩をすることはあれどうまくやってきたと思うし、少なくともはるは庄右衛門に冷たい態度を取ることはなかった。庄右衛門も、家や子供達を守ってくれているはるに深く感謝しながら、お互い適度に気を使って暮らしてきた。
おかげでどんな死地に面しても、何がなんでも帰りたいと強く願うことができ、結果的に仕事を無事に終えることができた。
これも一重にはるが居心地の良い家にして帰りを待っていてくれていたからだ。はるも庄右衛門を頼りに思い、時に励まして側にいてくれた。

(帰りたい場所や、会いたい人がいるっていうのは、大事なことだよなぁ。はるのような優しい嫁を持てて、俺は幸せ者だったのかもしれん)

 客たちの地獄の叫びのような愚痴をよそに、庄右衛門はしみじみと今は亡き嫁に思いを馳せた。



「あんたぁ!忘れ物!」

 遠くから叫び声が聞こえた。客の足軽の一人がびくりと跳ね上がり、恐る恐る振り返ると、そこには五人の女性がいた。一人が手を振りながら駆け寄ってくる。

「まずい、うちの母ちゃんだ……!」

 呼ばれた足軽が死にそうな声で呟くと、男たちは慌てて描いてもらった春画や美人画を隠した。今日のはここまでか、と庄右衛門も絵道具をしまう。

「あんた!あたしがせっかく用意したのに薬袋を忘れるなんて!あれだけ忘れ物するなって言い聞かせたのに!また合戦中に下痢したらどうすんだい、この馬鹿ちん!」

 嫁さんが甲高い声で喚きながら足軽の兵糧袋の中に薬袋を乱暴に詰めた。足軽はごめんよぅ、と情けなく謝る。
 他の足軽たちはこの嫁さんの剣幕に覚えがあるのだろう。げんなりと肩を落としてしまっている。
 と、ここで他の女性たちがこちらへ辿り着き、

「ん?ちょっと、それ何?」

と足軽の胸元からはみ出た紙をむしり取った。先程庄右衛門に描いてもらった、生々しく見事な春画だ。女性は悲鳴をあげ、庄右衛門は思わず目を覆った。

「何よ、これ!早速無駄遣いしたって言うの⁉︎」
「やだ!ウチの人も買ってる!」
「馬鹿じゃないの⁉︎こんなのに使うくらいなら、ウチの子たちにお土産の一つでも買って帰りなさいよ‼︎」

 嫁軍団はぎゃあぎゃあと足軽たちを罵りなじり始めた。叱られまくって足軽たちはどんどん小さく縮こまっていく。庄右衛門は、雪丸はまだかと思いながら、そっとその場を後にしようとした。が、

「で、この絵を売りつけてきた不埒者は誰よ‼︎」
「そ、そこのでっかい旦那が描いてくれたんだ……」

というやり取りをし、嫁軍団のなかで一番恰幅がよく気も強そうな年増が、逃げようとした庄右衛門を目敏く見つけ、

「何逃げようとしてんだい!この助平野郎‼︎」

と怒鳴りつけてきた。
庄右衛門は面倒くさそうにため息をいて向き直った。
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